藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

スマホの威力?・・・。

2015-03-01 15:06:45 | 日記・エッセイ・コラム

川崎の「中学生殺害事件」の犯人像が、早くから「ツイッター」で流れていた。 私も早くからこの情報に接していた。 同世代の子供たちが、警察よりも早くから情報を手に入れて、「スマホ」で情報を拡散させていたようだ。 しかも、「写真」付である。 その結果、犯人は逃走をあきらめたようだ。  

スマホを使わない私には理解しがたいが、その情報がかなり正しく犯人像を炙り出していたのには驚くばかりである。 世の中、ネット社会(スマホ社会)になった事を実感させられている。 それにしても「国民投票制度」は、疑問に思い始めた。 現在の法体系の中で、権利ばかり低年齢化させていくと、恐ろしい社会が来るのではなかろうかと思い始めている。 未成年、特に18歳以下の少年犯罪者は、「法的保護」により厳罰に処罰されることは無い。 人一人殺しても、長い刑期を科せられることなど無いのだ。 

教育現場などでは、教員の暴力は咎められるが、子供たちの暴力は咎められない。 「子供とは未成熟である」という概念が先行して、野放し状態であることは確かである。 結果、大人の足元を見透かされて、犯罪がエスカレートしているのではなかろうか。 

なんだかこの辺りにも、「現在の教育制度のあり方も見直すべき」という根拠になっていないだろうか。 市民感情のこの心の隙間をついて、「保守回帰」論者は、「国の管理教育の実践」を行ってはいないだろうかと、疑ってしまう。 高校教育の無償化は、悪い意味での競争意識を植え付けてしまったように思われてならない。 旧制中学の復活を予感させるところがある。 つまりに子供を、四極に選りすぐる事が始まったように思えてならない。

一、出来の良い教師  +  出来の良い生徒

二、出来の良い教師  +  出来の悪い生徒

三、出来の悪い教師  +  出来の良い生徒

四、出来の悪い教師  +  出来の悪い生徒

これらの組み合わせによって、子供たちがどのような成長をするのか想像すると・・・・・・・。

これらの事は、親の経済状態にも当てはまる。 この問題解決のために、高等学校の無償化がなされたが、果たして当初の目的通りの結果をもたらしているかというと、いささか疑問である。

「格差社会」の根本的解消が無い限り、四つの組み合わせはすべての場面で作り出されて評価されていく。行動が常に評価がなされることに、反論するつもりは無い。 問題はその先である。 評価が低いからといって、当事者の人間としての権利は保障されるべきだと思う。 それがなされない時に、格差が発生し問題が発生するように思えてならない。 このままで「子供」の未来は日本にあるのだろうか・・・・・・・・。

 

コメント
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