藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

新しい文面が浮かんでこない?・・・・・。

2015-03-12 21:00:34 | 日記・エッセイ・コラム

奥様に引かれて、「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加させていただいたのは、数ヶ月前からである。 主催されている先生が私の母校の先輩で、こんな先生に英語を教わったなら、私が英語難民には成らなかったであろうと思われる程の先生である。 会員として取り巻く先生方は、何れも「広島大学」名誉教授をはじめとする、広島では名だたる英語の先生だ。 そんな会とはつゆ知らず、「押しかけたのが運の尽き」、毎月の宿題が大変である。 しかし、私には私の「八雲」に対する思い入れがある。 そのへんの主張を、「受け入れていただける」 そこが不思議な空間を持った会などである。 考えてみると、当たり前なのかもしれない。英語の出来が悪い生徒が一人増えてだけの感であろう。 大半の会員が、英語教育の一線で名をなした方たちなのだ。 私の発言などは、むしろ新鮮に感じていただいているのかもしれない。 私の考えは単純である。 考古学的、民俗学的なのだ。 証拠中心主義である。 私が「八雲」の虜になったのは、十七歳のときである。 入院中の私に、大学病院の先輩医師が、英語の学習の為に差し入れてくれたのが、「怪談」の英語原文だった。 辞書と共に一年間暮らした。 英語試験にはこまらなかったが、話すことは出来なくなった。 それから六十年、英語に向き合ってみると、教わった先生によって、子供たちの運命が大きく変わる事が認識できた。 しかしながらその反面、民俗てき慣習や、神道の風習や、仏教の文化の中での英語文学など、その文化の違いが把握できていないように思えてならない。 たとえば「NUN」という単語を日本語に訳すと、「THE NUN’S STORY」 は、「尼僧物語」と訳された。 「THE NUN OF THE TEMPL OF AMID」を最初に翻訳したものが、「阿弥陀寺の比丘尼」と訳した。

「尼僧」と「比丘尼」の違い何であろうか調べ始めると切がなくなってきた。 「NUN」の定義に始まり、「比丘尼」の定義までは来た。 これからどれほどの時間をかければ、満足できるところに行き着くのやら・・・・・・。

おまけに、「浜田広助」の童話を読んだら止まらなくなった。 古本で取り寄せて既に三冊読んでしまった。 彼が出している「童話」集はいく冊あるのだろうか。 すべて読むことが出来るだろうか。 ・・・・・・・すべて読んでみたい・・・・・。「涙を流しながら。」 今もインターネットで探している。

 

コメント
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