藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

免許取得顛末記

2014-12-26 08:31:56 | 日記・エッセイ・コラム

私の自動車免許取得は遅かった。 昭和三十九年から、常に運転手つきで仕事をしていた。 長期出張時などは、他の者が帰郷しても、私は現地に留まり、行く先々の文化財等々堪能していた。 四十五年に子供が生まれて、移動手段として車の運転をと思い、免許を取得する事としたが、自動車学校に通う時間が無い。 そこで会社にお願いして、手の空いた時に教習所へ出向き、教習を受ける事にした。 いわゆる随時教習である。 教習所の事務員さんが、「それは止めたほうがいいですよ。大方の人が途中で止められます。」といい、「どうしてもと言われるならば、合格まで六十時間くらい考えて欲しい。」と言われた。 其れならばと、さし当たって三十時間分のチケットを買った。三十時間で取れれば「儲け物」と思ったからだ。 その日教官の空きがあるという。 早速一時間乗った。 教官に、「はじめて乗るのではないでしょう。」と言われたが、まったく初めて自分でハンドルを持った。 翌々日の夕方に、教官の明きがあるという。 一時間乗ったら、「案外早く取れるかもしれない。」と言われ、翌日の土曜日に、午前中教官の空きがあるというので指導を受けていると、その教官が「この自動車学校のコースと、試験場のコースは違うので、一度試験を受けて、コースの下見をしてきた方が良い。」という。 翌週の火曜日に試験を受けに行った。 火曜日と言うのは、当時官公庁の入札が殆ど無かったので時間が取りやすかった。 学科は、常識程度で十分だと思い、月曜日徹夜して二度読んだだけである。 それでも受かった。 実地試験は坂道発進のとき、広島空港の飛行機が離陸し、爆音でエンジン音が聞こえず、上手くいかなかった。 それでも最後まで運転させてくれた。 試験車から降りる時、 「左右確認をもう少し誇張した方がいいよ。」と、試験管からアドバイスを頂いたので、翌日午後再度挑戦してみた。 受かってしまった。 教習所に、残りのチケットを引き取っていただきに行くと、「免許取得を諦めた」勘違いされた。 その教習所始まって以来の、最速の合格者だと言われて、まんざらでも無かったことはたしかだ。 私の勤務先の会社の社長は、社員旅行は「自動車で九州四日間の旅」と決めていたので、翌年から運転しなければならなくなった。 私は、「三時間で取った免許ですから、三時間以上の運転はしません。」と宣言し、もっぱら温泉入浴と食欲を満たす事に精を出した。 免許取得以来、来年四十五年になる。 幸いかな一人の死傷者も出さずに今日を迎えている。

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