寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3361話) 逆ナン

2022年08月10日 | 出来事

 “名古屋・名駅の商業ビル「名鉄レジャック」の閉館が決まったことを新聞で知りまました。もし、レジャックがなかったら、私の人生は全く違っていたに違いありません。昭和五十五年十月。私はこのビルにあったディスコに通っていました。仕事後の毎週金曜日の夜です。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」観て影響を受けたのです。気分はジョン・トラボルタでした。その日、「一緒に踊っていただけませんか?」と、女性が丁寧な言葉で声を掛けてきました。当時十八歳だった妻でした。女性から男性に声を掛ける「逆ナンパ」といパターンだったのです。
 妻は看護学生でした。病院に住み込み、午前中は仕事、午後は高校の看護科で勉強、夜も仕事というハードな生活でした。卒業と同時に無事、准看護師に。後に我々は結婚しました。妻は五十代で正看護師とケアマネジャーの試験に合格。頑張り精神は若い頃と変わりません。
 現在の私たちには子ども三人、孫三人。私は前期高齢者になり、妻は昨年還暦。今も現役バリバリの看護師です。もしあの日、レジャックでの出逢いがなければ、妻と結ばれることはなかったわけで、閉館はとても寂しい。一度ビルの前で手を合わせようと思います。”(7月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主夫・室谷さん(65)の投稿文です。名駅の商業ビル「名鉄レジャック」の思い出である。室谷さんはこのレジャックで逆ナンされ、結婚に到り、子ども3人、孫3人の至福を得られた。人の一生にはいろいろな思い出の場所ができる。結婚の機会の場所ともなればそれはもう忘れられぬ場所であろう。そのビルが壊される。寂しい気持ちになるのは当然である。
 今名古屋駅近辺は、リニアの開通に向けて、大改造中である。こうしたビルもいくつか建て替えられる。レジャックもその一環である。古くなった人工物はいつか寿命が来て廃棄され、新しいものに変わる。リニアの開通はその大きな起爆剤となっている。寂しく思う人もあろうが、大きな楽しみに思っている人も多かろう。


(第3360話) ヘアドネ達成

2022年08月08日 | 行動

 “一宮市神山小六年の久保田結腸君が二十二日、市内の美容室で、三年間伸ばしてきた髪を切った。病気や事故で髪を失った人の医療用ウィツグを作るために頭髪を寄付する「ヘアドネーション」のため。「女みたい」とからかわれ、途中でやめようと思ったときもあったが、「人の役に立ちたい」との意志を貫いた。(後略)”(7月24日付け中日新聞)

 記事からです。お母さんがヘアドネーションをされているのを見て、凄いと思い、自分も始めるのである。女かとからかわれもする。しかし、意志の強さで見事に目的を達する。小学生にしてこの行為である。これは環境であろうか。人の役に立つという思い、からかわれても意思を曲げない強さ、人様々とは思うが、実に素晴らしい。この記事で、登校日には嬉しい声がいろいろ飛んだでしょう。この体験はこの後にも、いい方向に大きく影響するであろう。これを自信にこれからもいろいろ挑戦してみてください。


(第3359話) 再会の感激

2022年08月07日 | 出来事

 “実家があった名古屋市北区の商店街近くを訪れた際、小・中学校の同級生が営む店に立ち寄った。仕事中にもかかわらず同級生は対応してくれ、別の一人にも声をかけて三人で立ち話をした。会話は弾んで後日改めてもう一人も呼んで集まることにし、五月中旬、その近くのファミリーレストランで私たち四人は再会した。するとみんな六十数年前の少女時代に戻ったかのよう。互いを「○○ちゃん」と呼び、当時の思い出や級友の話で大いに盛り上がった。昼食の時間帯に店が混みだしても話は尽きず、近くの公園に場所を移し、そこで昼下がりまでしゃべった。久々の再会に感激し、次会う日が待ち遠しくて仕方ない。”(7月23日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・浅井さん(74)の投稿文です。久しぶり、小中学校の同級生を訪ねる。話が弾んで、今度は4人で会うことに。高齢になるほど、小さし頃の友達が懐かしくなるのだろう。ボクも数年前、散歩がてら長年会っていない友を数人訪ねたことがある。涼しくなったらまた訪ねてみよう。この文はそんなことも思い出させてくれた。
 コロナ禍でこの2年ばかり中断した同年の仲間の集いを今年二つ開いた。自分としてはこれを最後の機会とするつもりであった。一つは職場を同じ年に退職した15人ばかりの仲間である。今ではもう8人ほどしか参加できなくなっている。そして5人が参加したが、誰もこれを最後にしようと言わない。続けることになった。そして中学校の同窓会である。平成18年から毎年開催してきたが、これも今年最後のつもりで開いた。28人集まり、ボクがこれが最後のつもりと挨拶を終えれば、すぐに、続けてもらえるよう頼もう、という声が飛んだ。そして続けることに。これから何事も減るばかりである。自ら機会を減らすことはないのだ。ボクは10年続けると宣言する。


(第3358話) 米寿が目標

2022年08月05日 | 人生

 “フォークダンス仲間で同い年の妻と自宅で婚礼を挙げたのは一九六一(昭和三十六)年五月。結納直後、私が肺結核で入院したため結婚は七ヵ月遅れた。貧困農家の三男である私は小さな町工場に勤めていて、家に食費を納めていて貯金はそれほどなく、結納金は仲人から借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらった。静岡県の熱海や富士山、神奈川県の箱根を巡ったぜいたくな新婚旅行は妻の持参金を充てた。
 月日は流れた。新型コロナウイルスの影響で一年遅れとなったものの、五月上旬、結婚六十周年のダイヤモンド婚をわが子や孫と一緒に老舗の料亭で祝った。結婚式や新婚旅行のモノクロ写真を並べ、昔話を楽しんだ。次は、夫婦そろって元気に米寿を迎えるのが目標だ。”(7月16日付け中日新聞)

 三重県東員町の川村さん(男・85)の投稿文です。またまた頑張ってきた高齢者の話しである。結婚の結納金は仲人さんから借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらい、新婚旅行費用は奥さんの持参金を使ったと言われる。それでも結婚された。今、お金がないから結婚ができないという、話をよく聞く。こういう話を聞くと何と思われるだろう。何事も意思、意欲である。世の中の多くのことは、その気になれば何とかなる。今のお金がないから結婚できないは、弁解の言葉に聞こえる。結婚してから始まるのである。結婚にそれ程の意欲がないのであろう。
 こうして結婚して、ダイヤモンド婚を迎えられた。結婚して良かった、感慨無量であろう。次は米寿と言われる。未だ意欲は衰えない。こうした話しに、ボクの意欲もますます高まっていく。


(第3357話) 新聞はインフラ

2022年08月03日 | 行動

 “その昔、今でいう中学校二年生までの五年間、新聞を配った。新聞の中身は難しくて正直読むことができなかったが、祖父からいくつかの記事の内容は教えてもらった。
 そして現在は、新聞を午前と午後に分けて計二時間半以上読んでいる。関心のある記事は切り抜き帳に貼っておき、後日再読するようにしている。この他、「知識の落ち穂拾い」と題したノートには記事にある私にとっては新奇な表現や難解な字句、話題性があると感じた内容を書き留めておき、自分史やエッセーを書く際の参考にしている。老人会の集まりでも仲間との話題になる。新聞は私にとって貴重な生活インフラの一つだ。”(7月16に付け中日新聞)

 愛知県春日井市の今井さん(男・89)の投稿文です。今井さんのこの文を読むと、人間は年齢ではないと言うことをしみじみ思う。89歳にして、新聞は貴重な生活インフラとして、丹念に読み、切り抜き、自分史やエッセーの参考にしていると言われる。自分史やエッセーを書かれるのだ。老人会の集まりのも参加されている。ボクの地域で、89歳で老人会に参加されている人は知らない。でも、ボクに可能性は残されている。最近ボクは、あと5年と言っていたものを10年に延ばした。10年それなりの健康を保てば、今井さんに近くなる。上手に過ごして少しでも近づきたいものだと思う。
 小学校から中学校まで、5年新聞配りをされたと言われる。妻の弟も同じくらい新聞配りをしたようだ。昔の人は小さい時からよく頑張ったものである。


(第3356話) 選挙権

2022年08月01日 | 出来事

  “今参院選でも、今は亡き祖母のことを思い出しました。一八七七(明治十)年生まれの祖母は全く学校教育を受けず、自分の名前ぐらいしか書けませんでした。それでも戦後、婦人参政権が認められると就学前の私を連れて投票に行きました。手のひらに墨で投票したい人の名を書いておいたものの、投票所に着くと汗で手は真っ黒になっていて。そのことを察した係員が「代わりに書くから大丈夫ですよ」と言ってくれ、祖母は意中の候補者名を大声で叫びました。慌てた係員から「小さな声で」と注意され、祖母は「そうか、内緒話か」と言ってみんなで大笑いしていました。
 こんな祖母との思い出から私は選挙権を勝ち取った先人に感謝し、この権利を必ず行使しています。”(7月11日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の池田さん(男・77)の投稿文です。人間は身勝手である。あって当たり前になると何の感謝も起きない。そして疎かにする。その一つが今の選挙権であろう。一般人が選挙権を得るために先人はいかに努力されたか、そして婦人参政権も同じである。池田さんは、おばあさんの思い出を書かれている。お笑いのエピソードと言え、貴重な一票を行使された。平穏な時にはそれ程でない一票の価値であるが、いざというときには大きな意味をなす。
 一票が大切であるだけに、今の国会議員選挙の仕方にはどうにも納得がいかない。死票が多すぎるのである。少し調べてみると、大雑把ではあるが、ある党は得票率の倍の議員が当選しているようである。一票の価値はよく裁判沙汰になっているようだが、こちらはほとんど問題にされていない。こちらの方も大きな問題だと思うが、いかがなものであろうか。