“若い頃、出勤の夫に「今日美容院へ行ってくるね」と言った。「ああ」との返事。髪をバッサリとカットしてきた。帰宅した夫は何も言わない。食事の時も寝る時になっても、まだ何も言わない。とうとう「ねえ、今日美容院へ行って来たんだけど」と言ったら、夫は「行くと言ってたじゃないか」。私は「・・・髪切ってきたの!ホラー」。夫はやっと見て「おう、いいじゃないか」。
そんな夫といつの間にか五十年。今年は金婚式である。やさしかった二親を送り、三人の子どもも育ってくれた。よく頑張ってきたなあと思う。『妻は空気』の夫だが、やさしい。夫に感謝である。この頃は、もの忘れ競争』が熾烈になってきた。夫の方が少しリードしているようで、それはそれでちょっと心配だ。片付けた場所を忘れ、家中を大捜索はしょっちゅう。『大切なものは片付けてはいけない』と学習した。
これからは残りの人生を『二人で一人前』で終えることができるよう、仲良く元気で前向きに過ごしていきたいと思う。そして、今の私にはささやかな願いがある。涼しくなったら、散歩の嫌いな夫を何とか引っ張り出して、一緒に歩きたいと思っている。”(8月9日付け中日新聞)
名古屋市のパート・森さん(女・74)の投稿文です。空気があることをボクらはあまり意識しない。空気がないと一瞬も生きていけないのにである。それ程に当たり前のことだけに、いちいち意識していたら、気持ちがたまったものではないだろう。そして、夫婦は空気か?。そしてそれが良いのか?。いろいろな意見があろう。
新婚の頃なら大いに意識しているだろうが、次第に薄れていく。それが一般ではなかろうか?。ボクらもそうであると思う。空気は見えないが配偶者は目に見える。見えるだけに自然にいろいろな配慮はする。自然に程度である。森さんはご主人を「『妻は空気』だが、やさしい。夫に感謝である。」と言われる。これが長年連れ添った良い夫婦ではなかろうか。そして、残りの人生を『二人で一人前』と考えるようにしたいと言われる。これからはまさにこれである。相手の失敗をいちいち告げていたら、険悪になってしまう。気がついたらそれとなく正していく。これまた空気である。
外国の状況を見ていると、何歳になってもハグをし、愛しているという言葉を交わす。これを羨ましく思う時もある。これは文化の違いであろう。ボクら夫婦のそんなときはまた来るであろうか。