“フォークダンス仲間で同い年の妻と自宅で婚礼を挙げたのは一九六一(昭和三十六)年五月。結納直後、私が肺結核で入院したため結婚は七ヵ月遅れた。貧困農家の三男である私は小さな町工場に勤めていて、家に食費を納めていて貯金はそれほどなく、結納金は仲人から借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらった。静岡県の熱海や富士山、神奈川県の箱根を巡ったぜいたくな新婚旅行は妻の持参金を充てた。
月日は流れた。新型コロナウイルスの影響で一年遅れとなったものの、五月上旬、結婚六十周年のダイヤモンド婚をわが子や孫と一緒に老舗の料亭で祝った。結婚式や新婚旅行のモノクロ写真を並べ、昔話を楽しんだ。次は、夫婦そろって元気に米寿を迎えるのが目標だ。”(7月16日付け中日新聞)
三重県東員町の川村さん(男・85)の投稿文です。またまた頑張ってきた高齢者の話しである。結婚の結納金は仲人さんから借り、結婚式の費用は親と兄に出してもらい、新婚旅行費用は奥さんの持参金を使ったと言われる。それでも結婚された。今、お金がないから結婚ができないという、話をよく聞く。こういう話を聞くと何と思われるだろう。何事も意思、意欲である。世の中の多くのことは、その気になれば何とかなる。今のお金がないから結婚できないは、弁解の言葉に聞こえる。結婚してから始まるのである。結婚にそれ程の意欲がないのであろう。
こうして結婚して、ダイヤモンド婚を迎えられた。結婚して良かった、感慨無量であろう。次は米寿と言われる。未だ意欲は衰えない。こうした話しに、ボクの意欲もますます高まっていく。