TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

諫早の六地蔵石幢を訪ねて2

2021年12月27日 | 諫早
諫早市内にある六地蔵石幢を調べたら、小野地区の他に、小長井、本野、多良見、そして天祐寺にもあることが分かりました。
一度には回りきれないので、何日かに分けて訪ねました。

12月19日 
多良見地区と天祐寺へ

まず、多良見地区へ出かけました。
最初のは、多良見図書館近くの墓地の横にありました。


中央の石仏がそれですが、近づいて見てみると

顔の破損が確認できます。また、全体的に摩耗しています。

次に、喜々津小学校横の川沿いにある「河原の六地蔵石幢」を訪ねました。

こちらは、石幢の笠も残っていたので、摩耗はさほどではありませんでしたが…


顔は同じく破損していました。破壊されたのかも知れません。

多良見地区で見学したのはこの2基で、この後、天祐寺に向かいました。


天祐寺の六地蔵石幢
天祐寺には、下の図のように4基の六地蔵石幢があり、書院横のは建立は天文10年(1541年)で、市の文化財に指定されています。


(天祐寺の説明板 一部加工)

諫早家の墓所内に3基あるのですが、ここは現在は入れません。
書院横のを見に行こうとしたら、秋の特別公開のとき以外はここも入れないとのことでした。
しかたないな… 来年の秋まで待つか、と思ったとき、過去の記憶が蘇りました。秋の特別公開なら2年前に襖絵を見に行っているぞ…そのとき、中庭に石塔があって、それを撮したな…
そうだ、あの時のが六地蔵石幢だ!
家に帰ってさっそく過去のデータを探したらありました!
我ながらよく撮していたなと、自分を褒めたい気持ちでした。

2019年11月30日
「秋の特別公開」


中庭


これだ!

何ときれいなお顔!

あの時は関心が無かったので、写真を撮っただけで素通りでしたが、今改めて写真を見ると地蔵様の顔が潰されることなく、きれいな状態で残っていることに感心します。今日見た多良見の2基とは比べものにならないほどきれいです。天祐寺は、伊佐早を治めてきた西郷氏、諫早氏の菩提寺でした。その境内ということもあって廃仏毀釈の難からも逃れられたのでしょう。近くにある四面宮(現在の諫早神社)の秘仏・四面菩薩坐像も明治の神仏分離の折に、この天祐寺に移され難を逃れています。
なお、諫早家の墓所にある六地蔵石幢は、諫早史談会の調査によれば、大永6年(1527年)頃に建立されたものだそうです。佐賀の仁比山護国寺で見たのとほぼ同じ頃です。

(3へ続く)

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