TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

今日でブログ10年に

2022年09月22日 | エッセイ
今日9月22日は、ブログを始めてちょうど10年となる記念日です。
この日にあわせて通算1000号になるようにと思っていたのですが、残念ながらわずかに届きませんでした。
今日のは通算で988号です。

今月になって更新が滞ったのは、実家の片付けで実家に寝泊まりすることが多くなったからです。実家にはインターネットを引いていません。初めのうちは不便を感じていましたが、そのうちに慣れ、実家にいるときは静かな田舎暮らしを楽しむことにしています。

最近の田舎暮らしの様子です。









父から受け継いだタケノコイモは元気に育っていましたが先日の台風14号でダメージを受けました。



肝心のイモの部分がポッキリと折れています。


今は畑仕事よりも家の周辺の片付けにハマっているのですが、このことは後日に回します。


久しぶりに諫早に帰ってきたら、例のアサガオの成長した姿を見ることができました。





ブログ10年目、実に地味な近況を綴ってみました。

日々是好日
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ちょっとイイ話…

2022年04月21日 | エッセイ
平戸の宿でのことです。
ロビーに、皇族方が宿泊されたときのパネルが展示してありました。



皇族方の写真に混じって、高倉健さんのパネルもありました。



映画「あなたへ」のパネルです。


「あなたへ」は、10年前に作成された健さん81歳の時の映画です。
そういえば、ここ平戸もロケ地の一つでした。


説明をしてくださった支配人さんの話では、この映画の撮影のために、健さんをはじめ役者やスタッフの方が、このホテルに一ヶ月ほど滞在したそうです。
そのときの話で、ホテルとしては主役である健さんに一番良い部屋を用意されていたそうです。
ところが、健さんは自分より年上の大滝秀治さんがいらっしゃるのに、大滝さんより良い部屋に泊まるわけにはいかないと、部屋の変更を申し出られたそうです。
「そうでしたか」と、驚く私に
「健さんはすごい人でしたよ」と、支配人さん。

「すごい人でした」と、嬉しそうに話をされる表情から、健さんの人柄が伝わってきて、こちらまで嬉しくなりました。
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「高齢者」って何歳から?

2021年02月22日 | エッセイ
何かと話題が多い菅義偉首相ですが、氏は高齢者の定義について次のように述べていました。

「若者は20代以下を、高齢者は60代以上を念頭に置いている」

これは「Go To トラベル」キャンペーンが始まった昨年の7月22日に、当時官房長官だった氏が、団体旅行の自粛を求めた「高齢者」の目安について語ったときのものです。

あのとき、還暦だった私は「高齢者の区分か…」と、少しショックを受けました。

さて、新型コロナワクチンの接種が始まりましたが、その優先順位の2番目に「高齢者」とあるのですが、ここでは「令和3年度中に65歳に達する昭和32年4月1日以前に生まれた方」と明確に年齢が示してあるのです。

「Go To トラベル」の時には、高齢者扱いで団体旅行は控えてと言われ、ワクチン接種ではまだ早いと言われ何か釈然としないものを感じています(単なる愚痴…)。

新たな感染者数が減ってきた今、さらにワクチンの効果とあいまって早く終息して欲しいものです。


ヒマラヤユキノシタがピンクの花を咲かせました。


春の到来です。
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Go To トラベル

2020年07月24日 | エッセイ
昨日から「Go To トラベル」が始まりました。
この春に定年退職した私には、渡りに船のキャンペーンなのですが、コロナが心配なので自粛しています。

退職前は、退職したらどこそこに行こうと夢を描いていました。
行きたいところはいっぱいありますが、優先順位を付けて、退職の年はまずこの3つは行こうと決めていた所がありました。

それは、涸沢、四国の吉井勇記念館、大崩です。

中央の山への憧れは強く、登りたい山はいっぱいありますが、その中でも涸沢を選び家内と一緒に行こうと決めていました。


その思いは強く、わが家のトイレの壁には涸沢の描かれたカレンダーの切り抜きが貼ってあります。


これは2年前の「Yakultカレンダー 」の中の1枚で、イラストレーター山本祐司さんの作品です。(もとは長方形だったのですが、私が楕円状に切り取りました)


この絵を毎日眺めては涸沢への思いをふくらませていました。「退職したら絶対行くぞ!」と。
さらに体力の余裕があれば、奥穂か北穂に登ろうと思っていたのです。


夢は現在進行形で来年以降に持ち越しになりました。
四国も同様です。ナンの、政府が行け行けと「Go To キャンペーン」を打ち出しているのだから行けばいいじゃないかと言われそうですがそうもいきません。退職はしましたが、週に20時間ほど再任用で、人を相手にする仕事をしていますので、自分が感染するリスクは極力避けるようにしています。

残るは大崩ですが、ここは3密を避けてそのうちに行こうと思っています。アケボノツツジやササユリの時季は過ぎましたが山は逃げませんので、暑さが和らいだ頃にと思っているところです。

「山は逃げない」と自分で書いたものの、年々、体力や健康面で不安になることがあります。
来年も登れるだろうか?この健康な状態がいつまでもつだろうか?などと。

からだが動くうちにぜひとも登りたい山、私のベスト5は次の通りです。
  1 涸沢(穂高)
  2 羅臼岳
  3 北岳
  4 蝶ヶ岳
  5 飯豊朝日連峰

遠くの山に登れるのもあと2~3年かな…と、ちょっと弱気なTENZANBOKKAでした。


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12月をふり返りつつ

2019年12月26日 | エッセイ
いつの間にか今年もあとわずかとなりました。
久しぶりの更新です。

「天佑寺の襖絵」以降ブログが中断していましたが、あの日は天気が良かったので、そのまま北口から上山に登りました。

愛宕社で蝶と見まがう紅葉に出会いました。




 紅の小さき蝶の形して櫨の葉散りし愛宕の丘に





与謝野晶子の「金色の小さき鳥の…」のパロディですが、小さい蝶がいっぱい地面にとまっているように見えました。紅葉した櫨の葉です。


そして12月に突入。
今年最後のブログで、中断していた12月を簡単にふり返ることにします。

7日(土)ワンゲル長崎支部?の忘年会が諫早でありました。S本さんの呼びかけでS木さん、M本さん、私の4人が集まりました。カメラを忘れたので写真は掲載できませんが、ワンゲルのラインの方でアップされていることと思います。
ラインといえば、いまだガラケイを愛用している私に、この席でスマホを勧められました。
特に、来年11月のOB会幹事を私が仰せつかっているのですが、その連絡がラインだととても楽だというのが理由です。
そのラインとやらを見せてもらいましたが、ナルホド、そこにはいろいろな情報が寄せられていました。有志での山登りの呼びかけ、その写真入り報告、お互いの近況等々。

スマホといえばもう一つ。山で出会った人と立ち話をすると、多くの人がスマホをとりだし、その画面に地図を表示させ、ここから来たとか、これからのこのコースで行くとかを説明してくれます。地図上に自分の位置も示されているので、ナルホド、これなら道に迷う心配はないなと感心させられます。私はというと昔ながらの紙の地図ですが…
そういえば、山小屋に宿泊したとき、充電コーナーで多くの人がスマホを充電していたことを思い出しましたが、いろいろと便利な使い方があるわけですね。
スマホか…
来年ぐらい考えてみようかな。


実は昨日も職場の忘年会でした。
その帰り道、市役所前の広場が電装されていました。
「わが町のイルミネーション」です。


「灯りファンタジア」 左のキャラは諫早名物ムツゴロウですが右は?





さてその忘年会の間ですが、遠くの山には行けませんでしたが、仕事が終わって地道に上山ウォークを続けました。たいていは仕事が終わってからですので、日没が早い冬場は途中で真っ暗になります。
こんな感じです。





なお、11日は満月でした。




24日の夕方 中学生がここの山道を使ってトレーニングをしていました。





いつもの見慣れた光景です。
ここでよくトレーニングをしていた諫早高校陸上部女子のみなさんは、22日に京都で行われた全国高校駅伝大会でみごと8位に入賞しました。同じ上山でトレーニングする者としてとても嬉しく思いました。部員のみなさんもそして藤永監督もよく頑張りましたね。


いつの間にか季節は冬。黄色の花を咲かせていたツワブキも今は綿毛に。



休みの日には主がいなくなった実家に帰り、宿守やいろいろな整理をしていました。
実家に向かう途中に見た風景。



ナンと、12月だというのに一面ヒマワリが咲いていました。そしてその向こうには多良岳が見えるではありませんか。





年末、年始は実家で過ごします。
ネット環境がありませんのでブログはまたもしばらく中断します。
忙しい中にもボチボチと登り続けた上山ともしばらくお別れです。
ちなみに、今年は上山を歩くこと124回で、これまでの年間記録を更新しました。

年が明けると英彦山に同期と登る予定です。
新しい年がいい年になりますようにと祈りつつ、今年のブログ納めとします。
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中秋の名月

2019年09月14日 | エッセイ
中秋の名月



一応アップにも挑戦

ちょっと暗かったかな…


学生時代の月見の印象が強烈で、それ以来中秋の名月鑑賞は欠かせないものになっています。
その強烈な印象の一つを紹介します。


「忘れ得ぬ天山の思い出」(以前のブログに綴っていたもの。手直ししました)
 学生時代は毎年、月見をしていました。あるときは校舎の屋上で、あるときはボックスの横で。
そのときのではありませんが、ボックス横での酒飲みの様子を写した写真です。



 あの頃は、中秋の名月などは、みんなで酒を飲むための大義名分に過ぎませんでした。その年の中秋もボックス横で一晩飲み明かし、誰かの発案で早朝の天山に登ることになりました。まだ夜が明ける前に登ったのでしたが、山頂にはすでに先客がいて大変驚きました。
どうしてこんな早くに人が…
尋ねてみたら、その人は一晩中中秋の名月を愛でながら、天山の山頂で一夜を明かしたということでした。その人の横には傘と一升瓶がありました。「傘は」と尋ねると、「夜露をしのぐため」ということでした。花鳥風月と言いますが、世の中には風流を愛する人がいるものだといたく感心したのでした。


「いつかは天山山頂で中秋の名月を」と思いながら40年が過ぎました。
来年こそは…
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イチジク

2019年06月23日 | エッセイ
イチジクに大きな実がなった。
姉のイチジク好きを知って父が植えてくれていたものだ。



父を偲びながら姉と妹がもいでいる。


それはそれは大きな実だった。






私はあまり好きではなかったが、今回は食べてみた。
それは桃の味に似てとてもフルーティだった。
「うまい!」の一言を父に聞かせたかった…



実が割れていたものはまとめてジャムにした。


色はさえないがイチジクの香りのするジャムができあがった。


(左の瓶はびわジャム 右がイチジクジャム)


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大貝彌太郎と「無言館」

2019年02月03日 | エッセイ
前回の続きである。
大貝彌太郎の「飛行兵立像」は長野県上田市郊外にある「無言館」に寄付されたという。

無言館の存在は知っていた

かれこれ20年以上前のことだが、私が中学校の時の美術の先生が書かれた戦没画学生に関係する一文を娘の育友会新聞で発見したのだ。この美術の先生には親子2代にわたりお世話になったのだが、物静かでとても几帳面な方だった。「文は人なり」というが記事には先生のお人柄がにじみ出ていた。以下はその記事の抜粋である。

 「展示品が、先の日中戦争、太平洋戦争で亡くなった画学生たち約40名の遺作、遺品となったこともあり、館内の雰囲気も何となく暗く、来館者には年配の方が多かったように思います。五十余年前に画家への道を志しながら、やむなく戦地に行かされ、生還の望みも薄いなかで、最後まで絵筆を取り描いた作品の数々。どこまで伸びたか未知数の才能が、戦争によって無残にも断ち切られてしまったことが、私にはとても悲しく思われました。これまでいろんな美術館を数多く見てきましたが、今回の戦没画学生「祈りの絵」の中に「戦争」という時代下にありながらもけっして最後まで絵筆をはなそうとしなかった画学生たちの描くことへの無垢な情熱にとても感動させられました。」

また、昨年夏に、長崎で無言館所蔵の戦没画学生たちにの作品展が開催された。「無言館・祈りの絵」展だ。行くつもりだったが忙しさにかまけて気づいたら終わっていた。

その無言館に寄付された大貝彌太郎の作品。



平和な時代だったら、もっといろんな絵を描きたかっただろうに… 戦争に行くための飛行機乗りの指導などしたくなかっただろうに… ましてやその学生の軍服姿など描きたくはなかっただろうに… 顔や服をごちゃごちゃと塗りたくったのはどうにもやるせない心の表現だったのだろうか。

前回紹介した自画像でも、飛行機乗りの帽子をかぶった自画像の目は鋭さというより怒り,あきらめ、最後は狂人のそれにも見える自虐的なものへと変わっていっていた。



大貝彌太郎は昭和21年に結核のため諫早で逝去した。大貝は戦地には赴かなかったが、戦時下にあって自由に描くことのできなかった画家としての苦悩を誰よりも間近で見てきた夫人は、彼の作品を戦没学生の絵が納めてある無言館へ寄付された。終生画家であった夫への、そして作品へのせめてものレクイエムになればとの思いからであろう。
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わが家のイチハツ

2018年04月19日 | エッセイ
わが家のイチハツなどとたいそうなお題にしたが、昔から咲いていたわけではない。
なお、このような文体で書くときは晩酌で飲み過ぎて、酔っ払っている時である。
それはさておき、ある年、突然菖蒲に似た紫の花が咲いた。図鑑であれこれ調べ、イチハツであることが分かった。ひょっとしたら違っているかも知れないが、私たち夫婦はイチハツと思い込んでいる。
そのイチハツが嬉しいことに年々増えていっているのだ。
















これは玄関のシクラメンの鉢。
まったく手をかけないのだが、何年も花を咲かせてくれている。



そのシクラメンの鉢に、どこからか紛れ込んだ雑草が主役の座を奪おうとしている。

そのアップ



この雑草と同じように、なにがしかの力が働いて突如根を生やしたわが家のイチハツが、今では初夏の花壇の主役となって目を楽しませてくれる。

私たち夫婦も、あと何年かしたら子規のよう思うようになるのだろうか。


いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春ゆかんとす
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休日

2017年07月16日 | エッセイ
休日。セミより早起きしてごそごそしている。

したいことがあった。
ささやかだが、新聞連載小説のまとめ読みだ。

毎朝読んでいる連載小説の話がつながらず、前日のを読んでいないことに気づいたのは2週間ほど前のことだった。
後で読もうと思っていたらいつの間にか今日になった。

たいした問題ではない。
今は、ネットで簡単にまとめ読みができる。
新聞を取っていれば「愛読者会員」ということで、いつでもパソコン上で過去にさかのぼって新聞の記事が読めるからと安心しきっていた。

ところがだ、ネットを開くと

「浅田次郎さんの朝刊小説『おもかげ』は、ウェブ掲載の許諾がないため掲載しておりません。ご了承ください。」

一瞬「えっ!」と思ったが、さもありなんと思った。

新聞の連載小説までもが、これまでネットで読めていたこと自体サービスの過剰なのだ。
こういうことをしていたら、新聞小説が後日、本になったとき買う人がいるのだろうかと心配していた。

さすがは浅田次郎さんだ。浅田さんの決断は、浅田さん個人というより文筆業全体のことを考えての英断ではなかろうかと感服する。

とはいえ、梯子をはずされた形になってさあどうする。
選択肢は2つ。図書館に行くか我が家の古新聞のストックをひもとくかだ。

元気があれば図書館も楽しいのだろうが、あまりにも疲れていると外出がおっくうになる。

ストックしてある新聞の束をから15回分を探すことにした。
チラシをかき分けながらの作業は、超アナログだが、贅沢な時間でもあった。

幸い、読み残していた分はすべて残っていた。
やれやれである。




日が昇り、ゼミどもが本格的に鳴き始めた。
セミの鳴き声がノイジーに聞こえるほど疲れている。

今日は休日、休養日。
今日は家から一歩も出ず、ゆっくりと過ごそうと思っている。
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