TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

天山から眉山へ(最終回)

2023年04月14日 | その他
拙ブログ "tenzanbokka78" を、長いことお訪ねいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、ブログ開設から10年あまり経ち、アップしたブログは1000を越えました。

セカンドライフが始まったのを機に、"tenzanbokka78" に一つの区切りをつけようと思っています。

そこで、心機一転の新規移転!
「まんやま独歩」という新たなブログを開設することにしました。

「まんやま」は故郷のやま「眉山」のことです。
青春の山「天山」から故郷の山「眉山」を冠したブログに移行し、セカンドライフの歩み(老境)を綴っていこうと思っています。


長い間、tenzanbokka78をご訪問いただきありがとうございました。
新しいブログ「まんやま独歩」もよろしくお願いします。
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大きな活字本で「沈黙」を

2023年04月10日 | 日常
遠藤周作文学館に行ってから無性に「沈黙」が読みたくなりました。
「沈黙」の中のフレーズが所々で紹介されていて、興味がわいてきたからです。

例えば、文学館から車で5分ほどの所にある「沈黙の碑」




石には次のフレーズが刻まれています。

 人間が
 こんなに
 哀しいのに
 主よ
 海があまりに
 碧いのです
    遠藤周作

外海の碧い海




文革館に隣接する思索空間アシャンティ


碧い海に向かって並べられている椅子、そのカウンターには遠藤作品のフレーズを刻んだプレートが貼られていました。


「私がその愛を知るまでには、今日までの全てが必要だった。『沈黙』」


文学館の中は言わずもがなでした。




家に帰り、しばらく遠藤周作文学館の余韻に浸っていました。
その余韻は、日が経つにつれて「沈黙」を読んでみたいという気持ちに変わりました。

幸い、連れが昔読んだという文庫本を持っていたのですが…




字が小さくて読むのが苦になりました。
若い頃は何でもなかったのでしょうが、ちなみにこの本は昭和56年に出版されたものでした。

それでも「沈黙」が読みたくて図書館へ行くと、ありました。
大きな活字の「沈黙」。



先ほどの文庫本と比べると、こんなにも字が大きいのです。


図書館にあったのは「大活字文庫」と名のついた22ポイント・ゴシック体で印刷された本でした。

活字が大きい分、嵩は張ります。
文庫本1冊が3分冊



本の厚さ


文庫本の7倍の厚さになります。

その分文字が大きく、これなら目に負担を掛けないでどんどん読めそうです。



ただ、ページを頻繁にめくらなければなりませんが…
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思索空間アンシャンテ 遠藤周作文学館隣接

2023年04月04日 | お出かけ
長崎市外海町にある遠藤周作文学館、その存在は知っていましたが、先日初めて訪ねました。









文学館の展示物は、どれも興味深く見応えがあるものでしたが、それ以上に私が惹かれたのは、文学館に併設した「思索空間アンシャンテ」でした。



(Enchanteは「はじめまして」を意味するフランス語)

建物に一歩踏み入れたら大きな窓一面に広がる青い海が視界に飛び込んできました。




窓の外は角力灘(すもうなだ)
午後になると、部屋の中にもだんだんと光が差し込み、同時に海が輝きを増します。




ここは元は喫茶店だったそうですが、改装され、大きな窓辺に十分な距離をとって椅子が並べられています。
潮騒のかわりに館内には静かな音楽流れています。
(遠藤周作の遺品のレコード 木管楽器パンフルートの即興曲「グレゴリアンの調べ」だそうです)

椅子に座って海を眺めていると、とっても良い気持ちになっていきました。
目の前に広がる青い海、そして心地よい音楽。
心がどんどん浄化されます。

「思索空間」と名付けられたこの建物には、「忙しい生活から少し離れて、ゆっくり時間を過ごしてほしい」という願いが込められているそうです。しかも入館は無料です。

入り口にあった遠藤周作の奥様のメッセージ



館内にはソファーや本もありました。









本棚から本を借りて、この椅子に座って読書にひたる。


なんて贅沢な空間なんだろう!
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古川の桜 「昭和やったね」

2023年03月30日 | お出かけ
福山雅治さんが「名もないオイだけの名所さ」と「昭和やったね」の中で歌った国道207号線沿いの桜を見に行ってきました。








「昭和やったね」 福山雅治

207号線に春が
今年もやってきた
桜が綺麗に咲いとるね
菜の花 線路越しに
さざ波光る大村湾
子供ん頃から好きたい
母ちゃんの故郷へ
ドライブする道
名も無きオイだけの名所さ


福山雅治さんが子供ん頃からお気に入りだった「名もない名所」は、今では「古川の桜」と呼ばれ、多くの人が訪れています。




(古川は「ふるこ」と読みます)


古川のバス停周辺の桜が今満開です。









この207号線と並行してJR長崎線が走っていて、桜と列車を撮影しようという訪れる人多いみたいです。

2019年の新聞記事(毎日新聞)





バス停から線路に下りられるようになっていて






撮り鉄さん以外も線路脇まで下りていました。




そこには列車の時刻表がありました。


列車の通過時刻を貼っているのは事故防止のためでしょう。

撮影は安全な道路沿いから十分のようです。




今日(3/30)の新聞にも古川の桜の紹介記事が載っていました。
「諫早市多良見町の古川の桜が満開となった。歌の世界も楽しめ、多くの人が通り抜けに訪れている。見頃は今週末ごろまで」
(「毎日新聞」抜粋)
記事中の「歌の世界」というのは福山雅治さんの「昭和やったね」です。
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野生の桜 凛として

2023年03月26日 | 山にまつわる話
山肌が所々白くなっていて、山に桜が咲いていることに気づきます。

例えば、雲仙


左下、麓の方です



いつも登っている上山でも



離れたところから山を見ると、白くなっているので桜と気づくのですが、山の中にいるときには桜を見落とします。
それは、花の咲いている高さが下界と全く異なるからです。

例えば上山の桜ですが


この桜も足下ばかり見て歩いていたら見落とします。

高い所で咲いています。

桜は他の木と生存競争で負けないように、他の枝の上の方で花を咲かせるのです。


桜は花の位置が葉っぱの位置になります(ヤマザクラは葉が先ですが)。
ですから、葉っぱを繁らし光合成でエネルギーを得るためには、他の木より上で花を咲かせる必要があるわけです。



この桜に気づいたのは、足下に白い花びらがいっぱい落ちていたからです。



山の桜は、はるか上の方で花を咲かせます。そこが公園の桜との違いで、山で見落とす原因になっています。
公園の桜は観賞用に、日当たりの良い所に、隣と十分に間隔をとって植えられているので、四方に枝を伸ばして目の高さにも花を咲かせます。


以前、山の中の桜を見に行ったことがあります。
それは登山道から少し外れた多良岳の森の中でした。

春がまだ浅く、周囲の木が葉を落としていたので桜と気づくことができました。



真下から見上げると


そこには、生き残るために無駄な部分を一切そぎ落とした野生の桜の姿がありました。

なんてステキな桜でしょう!



山の中では、桜は周囲の木と競い合って生きています。



必死に生きようとしているその姿は圧巻です。



夏には、あの高さに葉を茂らせて光合成を行います。
常緑樹の葉の上、
周囲の落葉樹に負けない高さで。



必死に生きようとしている野生の桜の、その凛とした姿に深い感動を覚えました。
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