TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

昔のスナップ3~ボックス横で

2013年02月24日 | SUWV


本ブログ'12.11.23の「ワンゲルと酒」でアップした写真の姉妹品。
私が1年生の時の3年生がたくさん写っていらっしゃる。

ボックス(部室)ではよく飲んだ。
冬は水炊きをして飲んだ。
季節がいいときはこのように、ボックス横で輪になって飲んだ。
その頃のボックスは、プレハブ1戸建てで、各部のボックスが建ち並んでいた。
その中でも私たちワンゲルはよく飲んだものである。他の部があきれるほどに。

それから数年後(3年後?)、部室建て替えで立ち退くことになった。
その最後の日。ボックス横では盛大に、盛大に、盛大に飲み会が催された。
新しい2階建ての部室ができるという喜びなどなかった。
みんな悲しかった。慣れ親しんだボックスがなくなることで感傷的になっていた。
その寂しさを紛らすようにいつも以上に宴は盛り上がった。深夜まで。
みんな寂しかった。自分たちの思い出までも壊されるようで。
みんな知っていた。大学の特権である自由と自治が制限されるようになることを。

不知火寮しかり、部室しかりでこの頃を境に、大学側の管理がいろいろなところに及ぶようになった。ある意味近代化なのだろうが、旧制佐高時代のよき名残までも少しずつ…。
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昔のスナップ2~学園祭

2013年02月24日 | SUWV

学園祭の1コマ。写真の右上のはるか後方で、ジャンプしてでも写真に写ろうとしているのは同期のM田。松江であった彼の結婚式以来会っていないが、元気だろうか。そのジャンプしているM田の足もとには手作りの御輿が隠れている。



「エイチクルンバルンバ…」の熱血の舞(ちょっと大袈裟か、単なるバカ騒ぎ)。これをやると少量の酒でも一気に酔いが回る。

そう言えば、学園祭のイベントで駅伝大会もあっていた。ワンゲルからは2チーム出場していた。精鋭チーム(結構速かった)と仮装チームだ。仮装チームはキスリングを背負って登山靴で走るのだから狂気の沙汰である。それでもレースに参加できていたのは不断のトレーニングの賜であった。
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昔のスナップ~パック風景

2013年02月18日 | SUWV


昔のスナップがあった。
合宿前のパック風景だ。
在りし日の末永とT成、Y島が写っているので、夏の南アルプスパートかなと思うのだが自信はない。U田が写っていれば確定なのだが…。M鳥はメンバーなのか、単なる冷やかしなのか…。そう言うカメラを向けている私は冷やかし。

ブス625が2基。すすけた大コッフエル。奥の方にビニール袋に小分けした米も見える。タバコの箱はキスリングにきれいにパックするための必需品だった。そのため、合宿の度に、大学前の野中商店にもらいに行っていたのだが…。

もし、これが夏の南アルプスパートのなら、「木霊」に重量の記録が残っている。
T成…46㎏、Y島…45㎏、末永…43㎏、U田…42㎏
今では考えられない重量だ。

心当たりの人はコメントで教えてください。
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霧氷見学の思い出

2013年02月10日 | SUWV


 今は昔、大学1年生の時のことだ。
長大経済ワンゲル主催の霧氷見学に、一般参加者に混じって佐大からも有志で参加した。仁田峠から妙見に歩いて登るのだが、滑って滑ってどうにもならなかったのを覚えている。参加者はそれなりに防寒対策はしているのだが、さすがにアイゼンは持たない。主催者の方で荒縄を準備してあったのだが、踏み固められ凍った雪道ではあまり用をなさなかった。とても苦労して登ったのだが、そこには恐ろしいくらいに大きく成長した霧氷が織りなす幻想的な世界が待っていた。
 夜は、経済学部のどこかの建物で、友情参加してくれた西九州ワンゲル連盟の懇親会も兼ねて盛大に打ち上げが行われた。みんな飲む、飲む。なかにはリポビタンDの瓶に入った皿うどんのソースを一気飲みするものまで。しまいには急性アル中で倒れる者まででて、救急車まで呼ぶ騒ぎとなった。
 あれから30数年、酒はめっぽう弱くなったが(昔から?)、あの時見た霧氷の美しさが忘れられず、いまだに寒い中ききとして出かけている。


妙見展望所付近


鬼人谷から見た普賢岳。こちら側の斜面には霧氷がたくさん付いていた。


※ 当時の写真がありましたので載せます。(H26.7.19)






(霧氷をなめているところ)
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リハビリ・霧氷登山

2013年02月09日 | 山(県内)

(仁田峠からロープウエーで登ったところ)

 結局、山に霧氷を見に行くことにした。
ロープウエーで妙見展望台までと思っていたが、思いのほか足の調子がよく、妙見神社、妙見岳、鬼人谷、平成新山の新道にも足を伸ばし風穴往復、紅葉茶屋、あざみ谷を経て1周してしまった。
寒さの割に雪はなく、霧氷も北風のあたる斜面だけだったが、約2ヶ月ぶりの山を十分に楽しむことができた。今年初めての山登りは、怪我から復帰のリハビリ霧氷登山だった。


国見岳への縦走路。北風のあたる斜面だけに霧氷が付いていた。


木々の間から見える九千部岳。


大きく成長した霧氷、1.5㎝。青空をバックに美しかった。


平成新山への新道の途中にできていた大きなつらら。


新道をここで引き返す。普賢岳へは足が完全に治ってからと無理をせず。


今回の装備。雨具、スパッツ、軽アイゼン、帽子、手袋W、おやつ、魔法瓶。
山行きを心配する家内には、ロープウエーでちょっとだけと言って家を出たのだが、ちゃっかり1周するだけの装備は持って行っていた。
 備えあれば憂いなし。転ばぬ先のアイゼン。
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滝口康彦氏の作品がドラマスペシャルに!

2013年02月09日 | エッセイ


 2月9日の朝、午前中曇りの予報がはずれ青空が広がっている。
昨日からの寒波で、山は間違いなくきれいな霧氷がついていることだろう。
足が痛むのならあきらめもつくが、今では杖なしで歩けるまでに回復している。
リハビリ登山としゃれ込んでみるかと思案しつつ朝刊に目を通す。
昨夜の、長崎市のグループホームの火災の記事が痛々しい。
数年前の大村での同じような火災事故が思い出される。
 さて、何気なく目にしたテレビ欄。
そこに、「ドラマスペシャル『上意討ち~拝領妻始末』家族愛のため命を懸けた男の壮絶な闘い」の文字が躍る。
「あっ!滝口康彦氏のだ!」
本ブログでも何度か紹介した、滝口康彦氏の「拝領妻始末」が原作だ。
「今ごろテレビドラマに」と違和感を覚えるものの、うれしい。
キャストを見ると、田村正和、仲間由紀恵、津川雅彦、松平健と続く。
本作品が映画になったのは1967年(昭和42年)のことで、主演は三船敏郎。
「異聞浪人記」が「一命」というタイトルで再び映画化されたように、今、滝口康彦氏の作品が見直されているのだろうか。とすれば、滝口ファンにとっては喜ばしいかぎりである。
 氏の作品には、主の命令が絶対的な封建社会、武家社会にあって、自分の心に正直に生きようとするものの苦悩をテーマにしたものが多い。武士道という価値観で、人の命や生き方がないがしろにされる時代にあっても、人として真摯に生きようとした人達に焦点をあてて物語が紡がれている。時として、人間らしく生きようとした結果が悲惨な結末になることもあるのだが、その不条理は、形こそ違え現代社会にも通じるものがある。
 今夜9時、今から楽しみである。さて、それにしてもいい天気。どうしたものか…
 
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唐津ロード ~ 下見編

2013年02月03日 | SUWV


 佐賀・唐津間の60㎞を歩く「唐津ロード」を前回紹介したが、今回はその下見編である。
一般参加者を募って本番を実施するにあたり、事前に部員で下見を行っていた。

 私自身、1年生の時下見は強烈な印象で残っている。唐津まで一般道を歩いていくと聞いて、今回は新歓登山と違って楽勝と思った。山と違って重たいキスは持たなくていいしと、遠足にでも行くかのごとくルンルン気分で出発したのだが…、甘かった。川上峡あたりで靴ずれ、足をかばうように歩くと今度は膝が痛くなり、膝をかばうと腰が痛くなりで苦痛に耐えながら夜道を歩いていった。初めて歩く60㎞の道のりはとても長く感じられ、歩けど歩けど簡単にはゴールにたどり着かなかった。こんなのに参加費まで払って参加する人達の気が知れなかった。それも300人を超えるというから、正気の沙汰とは思えなかった。
 難行苦行とはこういうのをいうのだろうか、途中からは杖をつき、眠さと足腰の痛みに耐え意識が遠のくような感じで歩いて行った。そしてゴール、それまでの行程が苦しかった分、感激もひとしおだった。
 上の写真は、私が3年生の時のだが、ゴールした後輩達も同じような感激を味わったのだろう。虹の松原からそのまま唐津の海に飛び込んでいった。
(あちゃ!よく見たら後輩に混じって同期や先輩のO崎さんまで…)

 以下は、私が3年生の時の下見の様子である。

出発地点の県立図書館。みなさん余裕の表情。


夜中に休憩とった廃校。ござをからだに巻き付けて仮眠をとるのだが、寝たら凍死するのではと思うくらいに寒かった。(目が覚めたら何とか生きていた)


ゴール後、唐津の海をバックに記念撮影。


海に飛び込んだ連中。ムツゴロウとなって完歩の喜びを爆発させていた。
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唐津ロード

2013年02月03日 | SUWV
 唐津ロードを当時の新聞記事は次のように紹介している。
 (昭和56年 佐賀新聞)

 歩くことの楽しさを見直そうと佐賀大学ワンダーフォーゲル部は6日夕方から徹夜で佐賀市ー唐津虹の松原間約60㎞を歩く「唐津ロード」を実施する。
 唐津ロードは同部が発足した40年から行っているもので今年で16回目。最初は部内の行事だったが、一般にも参加を呼びかけたところ年々参加者が増え、昨年は小学4年生から67歳のお年寄りまで467人が参加した。
 夕方の5時50分、県立図書館前を13グループに分かれてスタート、川上、古湯を経由して翌日の正午に唐津市の虹の松原に着く予定。途中、古湯でファイヤーストームをして参加者の交流を深めるほか、12カ所で休憩を取りながら無理のないペースで完歩を目指す。各グループには部員が2名ずつついて指導、トラックなど3台の車を伴走させる一方、緊急病院にあらかじめ連絡して安全を期している。


ゴール!60㎞完歩の瞬間


パートごとに記念撮影

-以下の記事は別の年のもの-







この唐津ロードを実施するにあたっては、部員全員で下見のロードを行っていました。
 → 「唐津ロード 下見編」
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