TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

諫早の六地蔵石幢を訪ねて3

2021年12月28日 | 諫早
12月20日
多良見地区を訪ねた翌日、再び小野地区へと向かいました。小野地区は、12/4の史跡巡りで行ったところですが、もう一度じっくりと六地蔵石幢を見たいのと、前回時間の関係で行けなかった「赤崎の六地蔵石幢」を見たかったからです。

阿弥陀寺の六地蔵石幢
お寺の境内に2つ並んで建っています。左は千手観音で右の石塔が六地蔵石幢です。




近づくと

顔をセメントで修理した跡が確認できます。左の顔は、別の丸い石を持ってきて補修したようにも見えます。

説明板


六地蔵の銘文に「逆修…」「天文一四 乙巳十一月」と刻んであると書かれています。
「逆修」については史跡巡りの折りに学習しました。石塔は、普通は亡くなった人の冥福を祈る追善供養塔だそうですが、逆修塔はその逆で、自分が生きているうちに死後の冥福を祈って建てる石塔だそうです。ここの六地蔵石幢に限らず、諫早地区の六地蔵石幢では、この「逆修」の文字を見つけることができます。石に刻まれている「天文14年」は西暦の1545年で、戦国の世です。
戦でいつ命を落とすかわからない時代だったから、このような逆修塔としての六地蔵石幢が多く造られ、今日に残っているわけです。


次は、小野の「六地蔵石幢群・六基」についてです。

小野町天満宮の六地蔵石幢


そこの境内に


4基の六地蔵石幢があります。県の文化財に指定されている「小野の六地蔵石幢・六基」についての説明板がありました。



右の方からの2基を見てみると


1つ目


2つ目のは

顔がそぎ落とされています。

さらに別の2基を見てみると


衝撃のアップ

顔が取れています。

別の角度


6体の顔がすべて壊されています。これも「逆修」と刻まれた石塔なのですが、ことごとく破壊されています。

一番左の石塔

これも顔がそっくり削られています…

六地蔵石幢の竿(幢身)に刻まれた「逆修」の文字、そして地蔵様の破壊された「顔」は、平和とはほど遠かった時代があったことを今に伝えているようです。


性空寺谷の六地蔵石幢

ここには1基建っていますが、これも小野の六地蔵石幢群六基のうちの一つです。




顔に白いのが付いていたので、ここのも壊されたのかと思ったら、どうやら白い苔のようです。全体的に摩耗は少なく保存状態としてはいいようです。


赤崎の六地蔵石幢



今は大切に祭られていますが、真ん中の地蔵様の顔は削がれていました。

天満宮に4基、性空寺谷に1基、赤崎に1基の6基が「小野の六地蔵石幢群・六基」と呼ばれるものです。史跡巡りの先生もおっしゃっていましたが、このページの一番最初の阿弥陀寺のも天文年間に造られたものだから、6基ではなくて7基ではないのかとい疑問が生じます。
ところが、今回一人で回っていて、何と8基目に遭遇しました。

8基目



顔の破損はなく、全体的に良好な状態です。

建立の年代はこれから調べますが、これも他のと同じように天文年間のものだったら「小野の六地蔵石幢・基」に、看板が書き換えられるのではないかとひそかにドキドキしています。史跡巡りの先生と近いうちに確認に行きます。

(4へ続く)

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