TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

ある日突然 ~ 消えた椿の実…

2014年08月31日 | 上山の四季
今日で8月も終わりです。
今年の夏は雨の日が多く、ちょっと異常でした。
遠くに行けなかった分、近くの上山にはたくさん登りました。
傘を差して登ったことも何度かありました。
登る度になにがしかの自然の変化が発見できるのですが、昨日はがっかりしました。

山頂近くに椿の木があるのですが、その実がごっそりとなくなっていたのです。

何の変哲もない写真ですが…


前日までは、枝にたくさんの実を付けていたのです


ショックです。
ショックです。この椿は道沿いにあり、多くの人が花の段階からその成長を楽しみにしていたと思
います。もう少しで実がはじけるところまできていたのに…。


以下は、私が記録していたこの椿たちです。

冬の寒さの中で蕾をふくらませ


艶やかな花を咲かせ


そしてじっくりと、一夏かけて実を成熟させます




早熟ないくつかの実は割れて、もう少しところまできています


でも多くの実は、日の光をいっぱいに浴びながらその日を待っていました


そして冒頭の写真です。ごっそりとちぎられてなくなりました


枝の高いところに難を逃れた実が生き残っていました。今まさにはじけて種を地に落とすところです。


上山は標高122mの低い山です。上山公園の一部として、登山道こそ人工的に整備されていますが、そこの森は見事なまでに昔のままです。「太古の森」や「森林浴の森・日本百選の山」に指定されています。あの実を採られた方は椿油にでもされたのでしょうか。道沿いの椿でしたので、みんなの目を楽しませて欲しかったなと思います。私の考えが甘いのでしょうか…

「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

花を落とした白百合や大雨で流された茸を前ブログで紹介しましたが、それは自然の営みであり諸行無常なこの世の常です。しかし、他の人が採取することまで「夜半の嵐」として想定しておかなければならないのでしょうか…

似たようなことが多良岳でもありました。
多良の山中でエビネを見つけ、同じようにその成長を楽しみにしていました。そろそろ花が咲く時季だと思って行ったら、なんと跡形もなく盗掘されていたのでした。

今回の上山は、採取が禁止されている区域ではないので、しょうがないことかも知れません。
でも、ちょっと残念でした。
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ツクツクボウシ

2014年08月27日 | 上山の四季
上山のあちらこちらでツクツクボウシが鳴いていました。
夏ももうすぐ終わりです。



オーシ ツクツク オーシ ツクツク …
独特の鳴き声で、誰でもそれと分かるツクツクボウシ。

今から40年も前、中学生のとき、夏休みの理科の自由研究で昆虫採集をしました。夏休みも終わりというのにまだまだ数が足りず、ギリギリまで野山を歩き回っていました。その時捕まえたのがツクツクボウシでした。網に捕らえられたツクツクボウシは鳴き声が変わります。

ジージージッジイー

その頃(今もそうですが)昆虫の知識がなかったので、別の蝉と思って何度か捕まえては逃がし、捕まえては逃がししていましたが、その蝉こそがツクツクボウシでした。
そんな昔のことが思い出されました。

また、新たな茸が顔を見せていました。


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続・「上山で見つけたユリと茸」

2014年08月26日 | 上山の四季
本ブログ「上山で見つけたユリと茸」の続編になりますので、8/24のブログと比較して見ていただければと思います。
あのときのユリと茸を3日ぶりに見に行きました。

あの白いユリは…



花は根元に落ちていました。

次に向かったのは愛宕社の石段の茸達です。
あのたくましかった茸が見つかりません。そんなはずはとよく探したら…
その後の大雨で根こそぎ倒れ朽ちていました。



木の切り株の中に仲良く並んでいた茸三兄弟は…




久しくとどまるはずのない自然は、様々な顔をみせてくれます。
ブログ「一期一絵」の中でも書きましたが、今日の山は生涯でただ一度の今日の山です。
精一杯の命の輝きも、あるいはその残照もいとおしく感じずにはいられません。
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相思相愛の木 ~連理木

2014年08月24日 | 山(県内)
ちょっと前に話題になった「相思相愛の木」を紹介します。
この木は、轟の瀧をさらに上流に登った銀鈴渓の近くにあります。
地元の湯江山林会が、強い愛で結ばれた木ということでこの名前を付けたそうです。



幹は別々の木ですが、一本の枝でつながっている不思議な木です。
一般には「連理」(れんり)と呼ぶそうです。
道ばたにある小さな山茶花の木ですが、最初に見つけた人は、よく気づいたなと感心します。

今は、案内の看板が出ています。また、両方の幹をしめ縄(写真をよく見ると確認できます)で繋いでいます。
木にしてみたら大きなお世話かも知れませんね(^o^)


「連理」について調べてみました。
辞書には、「一本の木の枝と他の木に枝とがくっついて木理(木目)が通じ合っていること」とあります。また、夫婦・男女の契りの深いことのたとえとして使うともあります。(明鏡国語辞典)

唐時代の詩人白居易は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が楊貴妃に永遠の愛を誓ったときの言葉として「連理枝」(れんりのえだ)という言葉を使っています。


   七月七日長生殿  七月七日の長生殿で
   夜半無人私語時  誰もいない真夜中に私に言ってくださったお言葉でした
   在天願作比翼鳥  天にあっては願わくは比翼の鳥となり
   在地願爲連理枝  地にあっては願わくは連理の枝となりましょう

なんと強烈な愛のメッセージでしょう。

余談になりますが、玄宗皇帝はなぜ楊貴妃を最後まで幸せにしてやれなかったのでしょうか。息子のお嫁さんを奪い取ってまで后にしたというのに。
これについて調べる前は、楊貴妃は「傾国の美女」などと悪いイメージがあったのですが、調べた範囲ではそうではないようです。
問題は旦那である玄宗皇帝にあるようです。
そもそも楊貴妃は、息子のお嫁さんだったではありませんか。
楊貴妃に夢中になりすぎ、政治を顧みなかったのが原因で楊貴妃は殺される羽目になりました。

白居易の「長恨歌」の中には、楊貴妃を責めるようなことは一切出てきません。
(「長恨歌」は漢詩としては長文ですが、とても美しい詩です。興味を持たれた方はぜひご一読を)

「長恨歌」の「恨」は、玄宗皇帝が自らのだらしなさを悔いた悔恨の情の「恨」と、「願わくは連理の枝」と、永遠の愛を誓いながらもそうならなかった楊貴妃の恨みの「恨」と諸説あるようです。いずれにしても、楊貴妃が美人過ぎたが故の悲しいお話です。

連理木の語源を調べる中で話が横道にそれてしまいました。
せっかくの美しい「相思相愛の木」にケチを付けてしまう形になって申し訳ないです。
ここまで調べたからには、「連理木」は、その睦まじい形のように男女の情愛、特に夫婦の情愛がきわめて深く、仲むつまじいことのたとえで、 二人の愛を終生全うしましょうという意味で使いましょう。
あれ?長々と書きましたが、結局振り出しに戻りましたね。
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「九十九瀑の水けむり」

2014年08月24日 | 山(県内)
「多良嶽の九十九瀑の水けむりあつまるところ雲もこそ湧け」  吉井勇 歌集「天彦」より


雨の後でしたので恐ろしいまでの轟音を立て流れる「轟の瀧」、まさに「とどろき」の瀧、そしておどろきの瀧でした。

「楊柳の瀧」「太龍の瀧」「昇竜瀧」「猪落瀧」…と多良岳を源流とするこの渓流には九十九の瀧があると伝えられています。
この日は涼を求めて渓流を歩いてみました。

楊柳の瀧とその滝壺で遊ぶ子ども




いつもより水量が多い渓流


瀧を写すカメラマン


キャンプ場


売店


名水


銀鈴渓




この橋を越えて行けば小松尾、さらに金泉寺なのですが、本日はここで引き返しました。
なお、次回は銀鈴渓の近くにあった「相思相愛の木」を紹介します。
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上山で見つけたユリと茸

2014年08月24日 | 上山の四季
上山の展望台に行く途中の分岐に、白いユリが咲いていました。
昨日カメラを忘れていて撮りそこねていた分です。




北口から愛宕社に登る途中の石段には、大きなキノコがありました。


どれぐらい大きいかというと、比較のため私の携帯を並べてみました。


茎もこんなに!このアングルは迫力がありますね。(自画自賛)


他にも、木の切り株の中に


これはまだ傘を開いていませんが…


これなんか人の顔に見えませんか?


上山は駐車場から30分あれば往復できます。
私にとっては、トレーニングコースであり気分転換のための散歩道でもあります。
登る度にいろいろな発見があります。
この時期は花など咲いていないだろうと思っていましたので、白いユリを見つけたときは嬉しかったです。
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一期一絵

2014年08月22日 | 上山の四季
一期一会ならぬ「一期一絵」

夕方、いつもの上山に登りました。
その122mの山頂では、雲一つないくっきりハッキリの多良山系を見ることができました。
あれほどクリアーに多良岳が見えることはめったにありません。
さらに、頭を南にめぐらせば、これまた平成新山がくっきりと見えるではありませんか。

ただ、残念なことに、今日に限ってカメラを持って登りませんでした。
一期一絵と言えるほどのシャッターチャンスを逃してしまいました。

本日、8/22の未明は大変な天気でした。
その激しい雷雨は、災害の危険をも感じさせるほどでした。
午後からは天気は回復しましたが、まさかこんな景色が見られるなんて…、
誰がこの眺望を予測できたでしょうか。

まったくの油断です。
今年の夏は梅雨みたいな天気が続きました。
それでもこの上山には傘を差し、ウエストポーチにはカメラを入れて登っていました。
今日も家を出るとき、一瞬カメラのことが頭をよぎったのですが、まさか今日は必要ないだろうと、今日に限って持って行きませんでした。

たかが写真と言われそうですが、「上山の四季」は本ブログの柱の一つとして情報発信を考えていますので、写真が撮れなかったのは残念です。

また、今日はきれいな白百合も咲いていました。
その白百合も写すことができず、重ねて残念です。

-明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは- (親鸞)

今日の山は、生涯ただ一度の今日の山。
次回には見られないものがあります。
一期一絵の写真を撮る準備を怠らないようにしなければと思いました。


ふだん身に付けていくウエストポーチと愛用のカメラ

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サボテンの花

2014年08月20日 | エッセイ


サボテンの花は神秘的です。
ある日、蕾がぐんぐんと伸びてきて、大輪の花を咲かせます。
純白のとてもきれいな花なのですが、次の日にはしぼんでしまいます。

花が咲いた次の日です。



写真のサボテンくんは、時間差(一ヶ月半の間)で、10個ほどの花を咲かせました。
そのうちの1個を、切り花にしたら少しは持つかなとためしてみましたが…



残念ながら1日しかもちませんでした。

同じサボテンの仲間の「月下美人」も、夜に咲き始め朝にはしぼんでしまいます。
どちらの花も純白でよく似ています。



そういえば、「サボテンの花」という歌が、学生の頃あったな…。(1975年、作詞・作曲:財津和夫)
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精霊流し

2014年08月16日 | 島原


「精霊流し」は長崎の盆の風物詩です。「しょうろうながし」と読みます。
精霊流しは、初盆を迎える家が灯籠で飾った精霊船(しょうろうぶね)を出して故人の霊を海に送るというものです。

パソコンで「しょうろうながし」と打って変換しないので、「えつ?」と思って辞書で調べたら…、載っていませんでした。

精霊流しが全国的なものでないことを、今日初めて知りました。

写真の精霊船は島原のものです。
島原の精霊流しは、長崎のそれと似ているようで違います。

まず、船は引っ張るのでなく、故人の親戚や知人で担ぎます。
担ぎ手の掛け声は「ナマーイドー、ナマーイド-」です。
爆竹を鳴らし、「ナマーイドー」を唱えながら海まで担いでいきます。



船を飾っている提灯も「切子灯籠」(きりことうろう)と言って島原地方独特の工芸品です。



他にも違いはありますが、一番の違いは最後に船を海に流すことです。



子どもの頃は船を本当に流していました。
それまでの喧噪が嘘のような静寂の中、波に揺られ小さくなっていく精霊船は何とも情緒があり、「海の彼方に極楽浄土があるのかな…」と思ったりしたものでした。

今は、精霊船を海まで担いだ後はしばらく漁船に引っ張ってもらって、その後、陸に回収します。

数年前の、叔父の初盆のときのことです。
海に浮かぶ精霊船の周りを、いとこ(故人の息子)が、胸まで海水につかりながら「ナマーイドー、ナマーイドー」と、いつまでも兄弟二人で声を上げていました。
叔父との最後の別れだったのでしょう。目頭が熱くなりました。

あのときの光景が思い出されました。
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石鎚山の鎖場

2014年08月11日 | 山(県外)
四国の山第3弾というわけではありませんが、今回は昨年登った石鎚山の鎖場を紹介します。
ふつう鎖というと、登山道の危険なところに掛けてあるもので、使わないなら使わないで登れるものです。
あくまでも補助的なものと思っていました。
ところが、石鎚山のそれは今まで経験した鎖場と違いました。

垂直に近い崖に、大きく長い鎖が垂らしてあり、この鎖をよじ登ってしか先に行けないのです。
さすが修験道場の本場と驚きました。
土小屋から登るとき、いきなり第2の鎖(65m)となりますので、小さなお子さま連れなどはご注意ください。











スリル満点の鎖を登りきり、弥山(1975m)の山頂に到着。
山頂には石鎚神社、頂上社、トイレがあります。




休憩後、雲の中に見える天狗岳山頂を目指しました。いわゆる石鎚山頂です。
そういえば私が大学4年生の時、石鎚山がブームでした。
理由は、その時の西暦が1982年で,西日本一の石鎚山の標高と同じだったからです。



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