TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

アジサイ

2014年06月30日 | 上山の四季




週末の度に雨が降っていましたので、久しぶりの上山となりました。
アジサイの花が咲いていました。
陸上競技場のある南口から登って、山頂経由で北口の上山公園に下りました。
公園には池がありますが、そこにもアジサイが咲いていました。
梅雨の時季はアジサイです。





池のほとりのアジサイを愛でた後、この公園の西にある愛宕神社目指します。
愛宕社までは、百段を越える石段が続いていますが、この石段は登山に必要な筋力強化にはもってこいです。





息を切らしながら登っていると、学生時代の夏合宿に向けてやっていた階段歩荷が思い出されます。
途中、こんな石がありますが…



苔むして滑りやすいのですが、毎回、あえてこの石を登っていきます。
これは、滑らないようにバランスをとりながら登る練習なのです。
愛宕社でお参りをして、また上山の山頂を越えて南口に下ります。
上山に、南からと北からの2回登ることになりますが、たかだか120mの上山、距離にして4㎞弱、1時間のトレーニングです。
夏山に向けて、少しずつ山登りの筋力と体力を付けていこうと思っています。
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夏山の計画を立てる

2014年06月22日 | 山にまつわる話
前回の続きで、リフレッシュ休暇を使っての夏山計画です。
図書館に行って、山の資料を借りてきました。



右下の「上高地・槍・穂高…」は、私が学生時代持っていた、山渓のアルパインガイドです。
あれこれ迷いましたが、北アルプスに決めました。中房温泉から入って、燕岳・常念岳・蝶ヶ岳を経て上高地へ下りるコースです。
北アルプスの代表的なコースですが、私にとっては初めてのコースです。
学生時代はサイクリング合宿が多くて、あまり山に登っていませんでしたので…

昔のガイドブックでは2泊3日の行程ですが、今はゆっくりと3泊4日で行くのが主流のようです。
私も無理をせず、最も無理しようと思ってもできませんが、後者の方で計画を立てました。

そういえば、前回のブログで紹介した、SUWV南アルプスパートの山中19泊などは、キスリングの重量はいくらだったのでしょうか。予備日も入れれば20日を越える食料、加えて、今のように軽量化されていない当時の山の装備ですから。(ちなみに、当時使っていたホエブス625は名器でしたが、その重量は1460g。現在のガスバーナーは100g前後です。テント然り、シュラフ然りです。)

夏山シーズンの山小屋の混雑ぶりは富士山で経験しているので、できればテント泊の方が、夜は気兼ねなくぐっすり寝れそうな気がするのですが…、結局、山小屋を利用することにしました。
(燕山荘には個室もありますが、予約でシーズン中すべて埋まっていました。)

計画が立ったので、トレーニングも少しずつ負荷を上げていこうと思っています。



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夏山計画に思う

2014年06月21日 | 山にまつわる話
この夏、少しまとまった休みが取れます。リフレッシュ休暇です。
ふだん行けない遠くの山に登ろうと思って計画を立てています。
登りたいと憧れている山はいくつかあります。羅臼岳、北岳、剣岳、北アルプスなどです。
そこで、昔の資料を取り出してみました。
ワンゲル時代のものですが…、これを見て、現役の学生の登山計画って「すごいな」とあらためて感心させられました。かっての自分たちがそうだったのですが…。
同期のKから、「よく昔のものをとっているね」と言われますが、そんな中でも次の資料は自分でも感心するシロモノです。



社会人1年目の夏に、後輩が送ってくれた夏合宿の計画書です。(懐かしい青焼きが時代を感じさせます)
後輩と言うのは私たちが3年生の時の1年生ですが、これに目を通した当時、頑張っている後輩達の姿が目に浮かんだものでした。
また、おもしろいのは原点回帰とでも言うのでしょうか、南アルプスに行った1年は、今度は自分がPLとして、2年後再び(失礼、Dの場合は三度め)南に挑んでいることです。北海道、中部山岳地帯のサイクも同じです。
ただ、どれもが拡大再生産されており、自分たちを越えたなとも思える遠大な計画でした。
そんな計画書だったから、捨てずに取っておいたのでしょう。残念なことに、「フォッサマグナパート」の計画書だけは現在行方不明です。糸魚川から自転車で出発して、北アルプス、八が岳、南アルプスと山をいくつか登り、最後は富士山を目指すというものだったと思います。

他のパートも負けてはいません。南アルプスパートは、夜叉神峠から始まり聖岳までの山中19日、北海道パートも十勝・大雪の大縦走に加え層雲峡から上富良野までの5日間のロードも加えるとこれも18日にも及ぶ長期合宿で、学生時代ってすごいことをやっていたんだなとしみじみ思いました。

【D助の南アルプスパート】


【ENYAの北海道パート】


さて、今年の夏山登山ですが、学生のようなパワーと時間はありません。
2泊3日の北アルプスを考えているところです。
ただ、いやしくも元ワンゲル、トレーニングを積んで事故にだけは遭わないようにと思っています。
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平谷温泉

2014年06月14日 | 山(県内)


多良岳の下山後の楽しみ、平谷温泉です。
こちらは「ぬるめの湯」です。
大きな開放的な窓からは山奥の緑が飛び込んできて、ぬるいお湯と相まってからだとこころを癒やしてくれます。
(写真を見ているだけでも癒やされますね…)

熱いお湯が好きな人用はこちらです。


ついでに脱衣場です。
一枚板の木の椅子(写真左下)がありますが、湯上がりにこれに横になるとひんやりとして気持ちがいいです。
ただし、空いているときにしかできませんが…。

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太良嶽山金泉寺(4)~ その周辺

2014年06月13日 | 山(県内)

「山岳仏教の聖地」とまで言われた太良嶽山金泉寺周辺には、隆盛だった当時を思い起こさせるものが他にも残っています。

 

岩に刻まれた梵字ですが…

 

かなり高い崖の上に刻まれています。

 

 六体地蔵 太良嶽が栄えた江戸時代中期のものとされています。


 

 多良岳と国見岳の分岐付近にある石仏。冬に撮影。

金泉寺登山口を登ったところにある石仏。

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太良嶽山金泉寺(3)~ 不動明王と二童子立像

2014年06月12日 | 山(県内)

この像が金泉寺の本尊として祀られている不動明王です。

金泉寺の不動明王というと、金泉寺の由来に次のように登場しています。
「金泉寺は、空海が平安時代の初め頃、(途中略)身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。」(高野山真言宗 太良嶽山 金泉寺のホームページ「金泉寺の由来」より)

現存するこの不動明王は、その作風が平安後期のものと言われていますので、開山時のものではないと思われます。
仮に、平安時代後期の作としても、1583年のキリシタン教徒による金泉寺焼き討ちの時に、よくぞ難を逃れて今日に至ったなと感心せずにはいられません。
といいますのも、当時大村でのキリシタン教徒の在来宗教への攻撃はすさまじいものだったからです。1574年以降神社仏閣に対して破壊、焼き討ち、略奪に加え、僧侶の殺害と凄惨を極めたことが記録に残っています。
またこの時、金泉寺の瞬恵という僧が本尊を背負って逃げ、洞穴に隠れ難を逃れたいう旨が太良嶽縁起に記されています。
幾星霜に耐え、昨年(平成25年)、九州国立博物館の「山の神々 -九州の霊峰と神祇信仰-」というトピック展に、この金泉寺の不動明王と二童子立像が展示されました。
次の写真の両サイドが二童子立像で、左が制吒迦童子、右が矜羯羅童子です。
なお、この時の展示では次のように紹介されていました。
「正面観は12世紀の仏像らしく静穏。しかし背面には荒々しく鑿痕をのこす。これは、霊木からの出現途中であることを示しており、神祇信仰の影響を窺わせる。」




左側の腰を左に折っているのが制多迦童子で、右が矜迦羅童子です。両者の製作年代は違うとされています。制吒迦童子の作風は不動明王と同じ時期と言われていますが、右の矜羯羅童子は、何らかの理由で消失したものを後世になって補ったとされています。
    



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太良嶽山金泉寺(2) ~ 千手観音像

2014年06月10日 | 山(県内)


300年ぶりに修復されて、きれいになった金泉寺の千手観音像です。
平成22年9月に開眼法要が行われましたが、その年の秋に本堂の中に入れてもらい写真を撮らせてもらいました。

この千手観音像は、1703年に領主諫早茂晴の母お糸の方が金泉寺に寄進されたそうです。
前ブログの年表にも載せていましたが、1699年、本明川の氾濫で487名もの死者が出ました。
その死者の霊を弔うため、また、領民の安泰を願ってのことでした。
それから300年、廃仏毀釈の難を逃れ、よくぞ今日までそのお姿をと、ありがたい限りです。







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太良嶽山金泉寺(1) ~ 巡礼登山

2014年06月09日 | 山(県内)


これまで四季折々の自然を愛でながら何度となく登った多良岳ですが、今回は「山岳信仰の山」というテーマで歩いてきました。

現在私は、多良岳や金泉寺のルーツに興味を持って調べている最中です。
古文書には、多良岳、多羅岳、太良岳、太羅岳、太郎岳といろいろな表記が出てきます。
(もっとも「岳」は「嶽」と表記してありますが…)
昔は、例えばイチローを「一郎」や「一良」と表記していたので、「郎」と「良」は同じです。
そうすると太郎岳も太良岳も同じ山と考えていいようなのですが、別の山という説もあります。
しかし、別の山だったとしても大権現の起源は、どれも和銅年間で一致しています。
日本史で覚えたように「通貨になれや和同開珎」が708年で、その次の年の709年に太良(郎嶽三社大権現開創の記述が出てきます。
しかも、開いたのは名僧で名高いあの行基と記してあります。
さらに100年の後、弘法大師空海が留錫し、自ら不動明王を刻み本尊として金泉寺を創建したとあります。

高野山真言宗 太良嶽山金泉寺の由来には次のように書かれています。
 「金泉寺は、空海 (弘法大師)が平安時代の初め頃(806~07)行基菩薩の遺跡を訪ね、
  ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、
  身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。
  太良嶽大権現の神宮寺として肥洲の真言宗道場として多くの信徒に崇められて来た。
  即ち祈祷仏教として名高く『国家安泰、五穀豊穣、航海安全、神仏混交の名刹』として
  遠近の崇敬の聖地として栄え最盛期には30余の宿坊を数えたと言う。」

大いに栄えた金泉寺ですが、古の都奈良のお寺でさえ戦火や廃仏毀釈の受難を受けたように、太良嶽も例外ではありませんでした。
その後の主な出来事をまとめてみました。

1583年 キリシタン教徒の焼き討ちにあい金泉寺消失
1663年 諫早氏の保護で金泉寺再建
1699年 本明川大洪水(487人の死者)、翌年大干ばつ
1703年 千手観音奉納(大水害の死者の霊を弔うため)
1868年 神仏分離令
1871年 太良山大権現廃社
1911年 金泉寺建立
1922年 上宮に石の祠建立
1951年 県営山小屋建設
1957年 諫早大水害
1969年 金泉寺建立
1987年 千手観音像、不動明王像、二童子立像 高来町文化財に指定
2007年 再建計画「多良岳と『文化財』を守る会」発足
2009年 金泉寺再建
2010年 千手観音開眼法要

これまで私は、自然をテーマに登っていましたので、高来町からの金泉寺登山道はあえて避けていました。
人工的に石を敷き詰めた登山道が好きになれなかったからです。
ただ、あの石を敷き詰めた登山道ですが、多良岳は今も多くの参拝者登るので、木の根や登山道が傷まないようにと、自然保護の観点からは必要とのことです。

今回は、連綿として人々の信仰を集めた多良岳に思いを馳せながら登ってきました。
するとあんなに嫌だった石の登山道にも、それを積み上げた人の思いが感じられ、
石段を一段一段踏みしめながらの登山は、いつもとは違う巡礼の旅となりました。

(高木町の金泉寺登山口 数あるルートの中で、これが金泉寺への最短ルート)


(敷き詰められた石の登山道)




(わずか20分で金泉寺に到着 コンクリートの車道は…)


(高野山真言宗・太良嶽山金泉寺の看板 左前方の石碑には金泉寺縁起が刻まれています)


(「行基」の文字を見つけることができます)


(太良嶽大権現への石段)




(役の行者座像:1712年の作 「役の行者」は奈良時代の修験道の開祖)


(梵字が刻まれた碑)


(羅漢 岩の上の隙間にあり、足下ばかり見ていると見落とします)


(いかにも修験道場といった雰囲気の鎖場)


(大権現上宮への最後の石段 早春にはマンサク、今はツツジが彩りを添えてくれます)


(太良嶽大権現上宮 今は石の祠だけですが以前は大きな社があったのでしょう。手前の石畳の広さがそれを物語っています)



(墓石群 金泉寺近くの森の中に静かに佇んでいます。信仰の山を守ってこられた方々がここに眠っておられます)


金泉寺の石垣と墓石群について、諫早市のホームページに次のように紹介されています。

「金泉寺本堂正面に、野面積みの苔むした古い石垣が築かれています。台風を防ぐものか、暴徒に備えてのものか、いつ頃築かれたか記録はありません。
墓石群は本堂東側の坂上の尾根近くの樹林の中にあります。歴代先師の宝篋印塔、大きさが種々の五輪塔、板碑、切支丹焼打ち後の法印や墓石等があります。
中興以前の舜恵法印や以後の法印名が確認できますが、別院にも法塔があります。この中で五世賢雄大和尚と九世賢恵法印の墓は、太良町片峰にあった廃寺『縁故庵』跡の墓地にあります。これは法印が隠居された後、この廃寺で余生を過ごされたのではないかとも考えられます。」

上記のように書かれていたので、墓石群の中から舜恵法印のお墓を見つけお参りをしたかったのですが、見つけることができませんでした。
舜恵法印は、1583年のキリシタン教徒の焼き討ちの際に、金泉寺の本尊を背負って逃げ、洞窟に避難させたと太良嶽縁起に記してある僧侶です。
お墓は特定できませんでしたが、墓石群全体にしばらく手を合わせてから下山しました。
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これもアウトドア ~ 園芸

2014年06月01日 | 畑・園芸・工芸・片付け
昨日は一日中ツツジの剪定をしました。
サイクリングロードに沿って植えてある市のツツジです。
ロード沿いの住民がそれぞれの都合のよい日に、ボランティアで手入れをしています。
私も、昨日は一人で朝の8時から夕方6時まで頑張りました。
剪定は、花が終わったこの時期に1回ですが、定期的に除草作業をしたり、花なども植えています。
どうです、私天山歩荷は善良なる市民でもあります。

(サイクリングロード 桜の頃 桜の下にたくさんのツツジが植えてあります)


それはさておき、この日はとても暑い一日で、途中から頭がフラフラし出しました。
午前中の作業が終わって汗びっしょりで、シャツを着替えて昼食をとりました。
午後の作業では、目が回る感じだったので、熱中症かなとも思いましたが、その日のうちに仕上げたかったので作業を続けました。
水を飲んでも飲んでものどの乾きがおさまりません。
ちょうど家内が帰ってきたので、アクエリアスを買ってきてもらいました。
この手のものはあまり期待していませんでしたが、なんと効果てきめんでした。
飲んでしばらくするとのどの渇きがおさまり、頭のフラフラ感もなくなりました。
おそるべし、AQUARIUS!
あらためてラベルを見てみるとWチャージの水分補給、日本学校保健会推薦のお墨付きの文字も。
私はアクエリアスの回し者ではありませんが、その効果に助けられました。
午後からも暑かったのですが、アクエリを飲んだ後は元気になり、6時まで頑張り、無事作業を完了することができました。(この日は熱中症で2人亡くなっていました)
アクエリの宣伝みたいになりましたが、今後の山登りにも水とあわせてこのアクエリアスも持って行こうと思っています。

話を戻します。今回は剪定でしたが、庭いじりとか園芸も広い意味でのアウトドアだと常々思っています。
アウトドアの文字通りのですが、山に行かなくても土や屋外の空気に触れて気分転換や脳の活性化につながるからです。
また、作業で流す汗は(今回は恐ろしいほどの汗を流しましたが)山登りのそれと同じで実に爽快です。
園芸もまた、人の心を元気にしてくれます。


(ツツジ 4月中旬 紫の花はイチハツ)


(剪定後のツツジ また来年きれいな花を咲かせてくれます)









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