TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

続・ネコノミ対策 刈りたての芝生に…

2022年08月30日 | 畑・園芸・工芸・片付け
ネコノミ対策の一環で芝生をバッサリと刈り上げました。
ちょっと深く刈り過ぎました。
人間で言えば「五厘刈り」状態です。



フサフサした芝はなくなったのですが、猫はお構いなしのようです。

次の日



黒いものが落ちている…

アップ


さっそく猫の糞です。
ここは自分の縄張りだと猫も譲らないみたいです。

猫を近づけないことが一番のネコノミ対策なので、次なる手を講じなければなりません。
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ネコノミ対策⑥ 芝生刈り

2022年08月29日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれて大変な思いをしました。
そこで、今年は徹底してネコノミ駆除をしています。

ネコノミ対策もいよいよ大詰めです。
清掃、消毒、焼却処分としてきて、最後は庭の芝生刈りです。



この芝生も猫のたまり場になっていました。伸びた芝生の中にノミが潜んでいるかも知れません。そこで、草刈り機で短く刈り込んでから消毒することにしました。


ビフォー


アフター



植木とのキワは手作業で刈ったのですが、途中蟻の巣に出くわしました。巣を壊された蟻が手にたくさん群がってきました(「蟻の巣をつついたような騒ぎ?」に)。手袋をしていたのですが、手袋とシャツの袖の隙間から入ってきた蟻に噛まれました。そのときはあまり気にしていなかったのですが、後でとんでもないことに…


(全部で8カ所)

ノミは神経質なほど用心していたのですが、たかが蟻と軽く見過ぎていたのが失敗でした。
蟻に噛まれた跡は赤く腫れて、ノミに噛まれた時と同じような強烈な痒みに襲われました。
噛まれたのは手袋と袖の隙間です。植木職人さんがされているように腕カバーをしていたらと思うのですが後の祭りです。


これで一応ネコノミ駆除は終わりです。
今後は猫のたまり場にならないようにしていかなければと思っています。

週の2/3は留守をしているのをいいことにふだんは猫の溜まり場のようです。






猫は嫌いではないのですが、ネコノミが恐いので猫たちには立ち退いてもらうことにします。
猫を近づけさせないグッズがあるので、それらを使って猫を家の周りに近づかせないことが根本的なネコノミ対策のようです。
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ネコノミ対策⑤ 焼却処分

2022年08月28日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれて大変な思いをしました。

家の周りは念入りに消毒しましたが、対策としてはまだ不十分です。
今度は猫が入っていたタンスを処分します。
そもそも不用のタンスを置いていたのが間違いでした。


タンスの引き出しにいた猫


タンスを小屋から出して


焼却することにしました。


タンスの処分は以前にもやったことがあります。
大きな木槌でたたけば、あっという間に分解です。







ドラム缶の焼却炉で燃やします




ネコノミ対策もいよいよ終わりに近づきました。
あと一頑張りです。

-続く-
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ネコノミ対策④ 消毒

2022年08月28日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれて大変な思いをしました。

今年もギリギリのところまで恐怖が迫っていましたが、ネットで注文していたネコノミ駆除の薬剤が届きました。



中身


水性サフロチン乳剤 屋外の消毒用
スミチオン粉剤SES 小屋の消毒用
フマキラー ND-03 屋内の消毒用
噴霧器2個

さらにホームセンターで

粉剤用の散布機と漏斗

ネットで買った2個の噴霧器は同じものだったので、間違わないようにマジックで名前を書きました。


薬剤を希釈して


準備完了

消毒3点セット

まずは掃き清めてその後に消毒


家の周り


猫が住み着いていたところには粉剤を散布


スミチオンSESは「人畜に対する毒性が低く、しかも殺虫効果が優れているので、安心して使用できる」と書いてありましたが、匂いが強烈です。

なお、室内用のフマキラー ND-03は畳やカーペット、ベッドのマットレスにも使用できるというものです。今年はまだ家の中ではノミを見ていないのですが、用心のために購入しました。これは匂いやベタ付きがなく、しかも安全で旅館、ビル、病院、飲食店、ホテルなどでも使われている優れ物だそうです。その文値段も高かった…

昨年はまったく無防備で、家の中までノミを持ち込んだので大変でした。
去年は「ノミ取りホイホイ」を買ってしのぎました。

ノミ取りホイホイ


夜、青い光を出してノミをおびき寄せ粘着マットで捕まえるという仕組み


実際、昨年はこれで数匹のノミを捕まえましたが、駆除対策としてはノミの卵や幼虫の駆除ができず消毒には及びません。
-続く-
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ネコノミ対策③ 洗濯しても死なないノミ

2022年08月28日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれて大変な思いをしました。

ですから、今年はかなりセキュリティレベルを上げていたのですが、つれ合いがまたもや噛まれました。
そして私もあわや噛まれるところでした。

農作業はかなり気を遣っています。
服装は長袖、長ズボン、そしてダニよけスプレーまで使う念の入れようです。

ズボンの裾は縛り


その上からさらにダニよけスプレー


ところがある日
ズボンの裾に黒い点が付いているのを見つけました。
以前の記憶(悪夢)が蘇りました。
黒い点 → 飛び跳ねる →ノミ

案の定ノミでした。
外ではたいてすぐに着替えて洗濯しました。

ところがです。
洗濯が終わり干そうとしたときです。

糸くずフィルターをひっくり返そうとしたとき、
そこに黒い点を見つけました。

「まさかや」と思いながらつまもうとしたら
その瞬間に跳びはねました。

「あきさみよ~!」

仮に、衣服にノミが付いていたとしても洗濯機で回したらノミは死ぬと思っていたら、ノミは死んでいなかったのです。

糸くずフィルターをよく見てみると、奥の方にはまだ数匹のノミがうごめいていました。
「ノミに噛まれる」
1年前の恐怖が蘇ってきました。

すぐにノミが逃げないように糸くずフィルターの口をしぼりました。
さて、どうしたものか…

殺虫剤を吹きかけようかと思いましたが…

名案が浮かびました。

熱湯で殺せばいいんだ!

すぐに実行しました。
まてよ、まだ衣服に付いて生き残っているノミがいるかも知れない。

洗濯カゴに上げた洗濯物をもう一度洗濯槽に入れて大量のお湯に浸し、もう一度回しました。

2回目の洗濯終了

糸くずフィルターを確認すると、やはり新たな黒い点が入っていました。
しかし、今回は黒い点は跳びはねることはありませんでした。

糸くずフィルターを確認していなければ大変なことになるところでした。


熱湯に浸したので、下半分が変形してしまいました。
調べたら、ノミは60℃で死ぬそうです。それを知らなかったのでぐらぐらたぎったお湯に漬けたのです。


ネコノミの恐怖がそこまで迫っている出来事でした。

もう一刻の猶予もないと思ったとき、ネットで注文していたネコノミ対策グッズが届きました。



ここから反転攻勢に打って出ます。
-続く-
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ネコノミ対策② 野良猫天国?

2022年08月28日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれて大変な思いをしました。

なぜネコノミ?
今年その原因が分かりました。

去年までは実家には週末に帰るぐらいでふだんは空き家状態でした。
それをいいことに野良猫の絶好の居場所になっていたのです。

今年は仕事を辞めたので、週の1/3は実家で過ごしています。
畑仕事をするようになって、農機具等を置いている小屋を開ける機会が増えたのですが、小屋を開けて猫と出くわすことが3回もありました。
しかもそこで子猫を生んでいるのです。

耕耘機の格納小屋


えっ!



子猫が5匹
親猫は私と目が合った瞬間に逃げていきました。







小屋の入り口を開けっ放しにしていたら次の日はいなくなっていたのでホッとしました。
夜の内に家移りしてくれたようです。


その5日後です。
別の小屋から子猫の鳴き声がします。
「まさかや」と思いつつ戸を開けると…



「あきさみよ~」




よくまあタンスの引き出しに…
後の2匹は?

引き出しの奥にいました。

猫は嫌いではないのですが、猫に付いているだろうネコノミが嫌いなのです。
ここに住み着かれてネコノミが大量発生したら大事です。

とりあえず外に連れ出し





どうしたものかと困ったあげく、最初に居た耕耘機小屋に5匹を戻しました。
私としては精一杯の譲歩でしたが、親猫はあそこは危険と思ったのでしょう。
次に見たときにはまた居なくなっていました。
-続く-

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ネコノミ対策① 去年のこと

2022年08月28日 | 畑・園芸・工芸・片付け
去年はネコノミに噛まれ大変な思いをしました。

去年のある日
ふと腕を見ると黒い点々が付いていました。
草取りをしていたので、砂や土がついたと思って払おうとしたらその黒い点が跳んだのです。
その時点でノミだと分かったのですがあまり気にもとめませんでした。

翌日、噛まれた後が赤くなり痒み出しました。
翌々日、ますます痒くなりました。
その痒みたるやかって経験したことのないほどの痒みで、とうとう我慢できずに皮膚科を受診しました。

虫刺されぐらいで病院に行くのは恥ずかしい気もしましたが、受診して正解でした。
注射をしてもらい、飲み薬と塗り薬を処方してもらいました。
ネコノミに噛まれたら市販の薬では利かないそうです。おまけに、昨年は南目(島原半島で島原以南の地域を指す)でネコノミが大発生し、沢山の患者さんが受診されていますとのドクターの説明でした。

そして今年。
1年前のことがあるので、ネコノミには十分注意をしていたのですが、お盆につれ合いがまたしても噛まれました。気づくのが早く噛まれたのは2カ所だけだったので、去年もらっていた塗り薬を塗って様子を見ました。


虫刺されによく効く塗り薬

ネコノミに噛まれた痒さは私も去年経験済みなので、早急にネコノミ対策に打って出ました。
-続く-
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ついに解決、吉井勇と平戸の関係

2022年08月20日 | 吉井勇
久しぶりに吉井勇についてです。
堅苦しくて面白くない話なので、興味がない方はどうぞスルーしてください。

私にとって吉井勇研究はセカンドライフの3本柱の一つですので、これからも随時アップしていきます。

前置きはさておき、この夏の猛暑が、私がずうっと疑問に思っていた「吉井勇と平戸との関係」をすべて解決してくれたました。
なぜ猛暑?
それは日中あまりにも暑すぎて畑仕事ができないからです。
「晴耕雨読」は地球温暖化以前の言葉で、現代は夏を除外して使わなければなりません。
真夏の晴れた日の畑は「命の危険」さえ感じます。
そこで、晴れた日は部屋の中で読み物をするわけですが、先日買っていた吉井勇全集の中に、知りたかったことすべてを見つけました。



全集など百科事典のようなもので、何か調べ物があるときに開く以外は豪華な飾り物だったのですが、連日の猛暑のおかげで全集をこまめに開く時間ができました。

するとあるではないですか。

以下に、私が今回発見した「吉井勇と平戸の関係」について綴ります。


まずは、全集の付録のように付いていた「月報」から。


(「月報」)

「月報」も全集と同じく8冊あるのだが、その第1冊目に吉井と平戸の関係が書かれた記事が載っていた。佐々木慈寬氏の「吉井先生と九州」というコラムだ。
(佐々木慈寬氏は福岡市松源寺の元住職)

「-途中省略- 昭和31年5月の九州入りは、『五足の靴』いらい50年目の平戸訪問が目的であった。博多では中州芸妓の新作舞踊『春景中州賑』(はるげしきなかずのにぎわい・筆者作詞)を見て、平戸市長山鹿光世氏の招きで同島を訪れて昔を懐かしんだが、それが機縁となって平戸河内峠の景勝の地に歌碑が建つことになったのである。翌32年7月5日の除幕式は暴風の中で行われた。『山きよく海うるはしとたたへつつ旅びとわれや平戸よく見む』の雄大な先生の歌碑は九州で7番目である。-以後省略-」


(河内峠に建つ歌碑)


次に吉井勇全集
その第8巻、随筆「『歌碑』と『白秋生家の跡」に、私が知りたかったことすべてが書かれていた。タイトルに平戸が出ていなかったのであやうく見落とすところだった。

何よりの発見は、河内峠にある歌碑に刻まれた「山きよく海うるはしとたたへつつ旅びとわれや平戸よく見む」には本歌があったことだ。しかもその本歌は明治40年8月、いわゆる「五足の靴」で初めて平戸を訪れたときに作られていたということだ。

その本歌というのが、青春真っただ中だった勇らしく吹き出しそうになってしまった。

山荒く海きほへども少女らはうつくしといふ筑紫よく見む
(この歌は吉井の第1歌集「酒ほがひ」の羇旅雑詠の中に確かに収められている)

この本歌について、吉井自身が随筆の中で次のように述べている。

「実をいうとこの歌は、今から50年ほど前、即ち与謝野寛先生をはじめ北原白秋、木下杢太郎、平野萬里、それに私の五人、南蛮紅毛の遺蹟を探る目的として九州旅行に出かけたときに作った、
山荒く海きほへども少女らはうつくしといふ筑紫よく見む
という歌を本歌としたものであるので、ちょっとこれを歌碑にするのは躊躇されたのであるが、しかし考えてみると本歌の方は少女が美しいと言って人事をたたえ、こんどの歌の方は山が清く海が麗しいと言って自然をたたえているのだから、いかにもその間に50年という歳月の経過が感じられて、むしろ時の落差に対する興味があると思ったので、もうこれ以上本歌ということを意識せずに、ひとつの人生の記念場として新たに歌碑を建てるのも、かなり大きな意義があるのではないかと思うようになった」


さらに、当時の紀行文である「五足の靴」にそれを裏付ける記述があった。

(九)平戸
「-略- 此町を歩いて気が付いたことは、比較的美しい容貌の女が多いことだ。九州に入って珍しいことだから、此町は美人系だなどと興がったが、唯其顔色が美しいに過ぎないと思ふ」

「五足の靴」は五人が輪番で筆を執ったということだが、署名がないのでこれは誰が書いた文なのかは分からない。


さらに、河内峠の石碑に添えられた解説文の「空前絶後」についてもその意味が分かった。


(歌碑の説明文)


「空前絶後」は、吉井の随筆を読むと歌碑の大きさもだろうが、風速20mに近い暴風雨の中で行われた除幕式と併せてこの言葉を使ってる。

吉井は随筆の中で次のように述べている。

「私は歌の作者としての挨拶の中で、こんな豪快な除幕式は、おそらく空前絶後であって、私としては永く忘れることができないだろうと言ったが、これは負け惜しみでもなく、私自身真実そう思ったのである。そういう荒天の中で決行された除幕式は、いかにも筑紫のはての平戸らしいものであって、神官の読み上げる祝詞の声ばかりでなく、歌碑の前に供えた神饌や榊も、みんな吹き飛ばされてしまうぐらい壮絶を極めた。参列した人たちもみんなレインコートにゴム長靴という出で立ちだから、なんのことはない、防水工事に集った一団と思われるような格好だった」

そんな「壮絶」な除幕式の様子を吉井は歌に詠んでいる。

宗達の風神雷神わがために来しやとおもひ空を見上ぐる

玄海の風をともなひあらあらし平戸の雨は石も穿つや

山鹿流の陣太鼓鳴る音らしも夜半すさまじき風もて来るは

したたかにウヰスキー飲み眠りけむ山鹿市長の夢に降る雨

平戸なる河内峠のぬかり道護謨長靴を穿きてのぼるも



風速20m近い暴風の中で執り行われた序幕式は、100を越えた除幕式の中で後にも先にもここ以外はなく、まさに「空前絶後」、吉井もさぞかしあきれたことだろうが、そのことを詠んだ歌は実にコミカルだ。

もう一つの「空前絶後」歌碑の石の大きさだ。
この石は当時の平戸市長山鹿光世氏の努力によるものだった。
山鹿光世氏については、私の後輩Y島君が「山鹿市長にはお嬢様がおりまして、私の高校時代の英語の先生でした。山鹿市長の祖先は、忠臣蔵でも有名な山鹿素行の山鹿兵法の伝承者です」と、以前のブログにコメントしてくれていた。

山鹿光世氏と石については随筆の中に
「それにこれは、これまで建った私の歌碑の中で最雄大なものであって、平戸市長の山鹿光世君はこの石を得るために全島を歩き、やっと堤というところの海岸で発見したものだというから、その熱情もこの歌碑にはこもっているのである。-中略-『石が大きいのでこれを運ぶのに、堤の海岸から河内峠まで十里の道を五日がかりで、途中橋をかけ替えたりして大変苦労しました』と言っていたが、なにしろ山鹿流兵学の祖甚五右衛門(素行)から十数代目の子孫のことであるから、市長みずから陣太鼓を打たないまでも、みんなの陣頭に立って大声叱咤、極力指揮をしたことであろう」



(石は古代の溶岩である玄武岩)


(歌碑の高さは台座と併せて4.2m、石の重さは8.5t)



(山きよく海うるはしとたたへつつ旅びとわれや平戸よく見む
 勇)




この歌碑が建つ年の正月、即ち昭和32年の正月に吉井は次の歌を読んでいる。
この春は筑紫平戸に歌碑建つと思ひうれしく年むかへすも



以上で平戸の歌碑について疑問に思っていたことがすべて解決した。

なんでそんな些細なことにこだわるのかと言われそうだが、当の本人は吉井勇について調べることが楽しくてたまらない。
吉井勇研究はまだ始まったばかりである。
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移植したユリ

2022年08月17日 | 上山の四季
今回は今年の5月に訳あって移植していたユリの話です。
大きく成長してきれいな花を咲かせてくれました。

その訳とは

4月

玄関前のクンシランの鉢に何やら怪しい草影が…

5月

その正体はユリでした。
クンシランの鉢に落ちたユリの種が根付いたのでしょう。
でも、ここでは窮屈です。

そこで株分けをしました。


こちらはクンシラン


そしてこれらがユリ



ユリはまだ生えていない家の南側に移植しました。


8月


8月7日 「早く咲かないかな…」


8月12日 
一輪だけ咲いたのを見届けて実家に帰省しました。


お盆は島原の実家で過ごしたのですが、このユリが気になっていました。
「お盆の留守中に咲いて帰った頃には散っているのでは…」


8月16日 諫早に帰る


咲いてくれてありがとう!
  

待っていてくれてありがとう!
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奇跡の「飛びユリ」

2022年08月12日 | 上山の四季
今回は「飛び梅」伝説ならぬ「飛びユリ」についてです。

私は現在、諫早と島原の二拠点生活をしています。
諫早の台所前の空き地は前回紹介しましたように、沢山のユリで埋め尽くされようとしています。

もう一方の島原の実家ですが、ナントここにもユリが咲きました。


このユリはどう見ても諫早に根付いてくれたユリと同じです。




実家の近辺にはこの手の白百合は見当たりません。

私が上山のユリを蘇生させたので、お礼に島原の実家まで飛んできたのでしょうか。
だとしたらこれは、主を慕って諫早から飛んできた「飛びユリ」ということになります。


ちなみに、諫早に咲くユリ



どう見ても同じです。
だとしたらどうして…


「飛びユリ」の方がロマンがあるのですが、よくよく考えてみると、諫早のユリがここに根付く可能性が1つだけありました。それは奇跡に近いのですが、そもそも刈り取られたユリが諫早に根付いてくれたこと自体が奇跡ですから。

奇跡を綴ったブログ →
奇跡の軌跡  命をつないだ上山のユリ」 2018年07月08日
(クリックしてください)

さて、この島原のユリですが、石仏への参道の両脇に、一対の灯籠のように咲いています。
その茎の付け根はリュウノヒゲの中です。


このリュウノヒゲは諫早にあるのを移植したのですが、このリュウノヒゲの中にユリの種が混じっていたとすれば説明がつきます。


2021年1月1日 正月早々のアウトドアでした。

焚き火で暖を採りながら


土が流出しないように境界にリュウノヒゲを移植したのでした。


石仏の参道にも



2021年10月 リュウノヒゲは定着





この諫早から移植したリュウノヒゲの中にユリの種が眠っていたのでしょう。
(諫早のユリも種を蒔いて発芽するまでのは4年かかりました)

そして今年、島原の実家にも諫早と同じ上山のユリが咲いてくれました。
諫早と同じように、これからどんどん増えていってくれればいいなと思っています。








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