TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

多良岳のヤマシャク '20

2020年04月24日 | 山(県内)
久しぶりの山です。
平日の地元の山は「3密」の対象外でしょう。
ということで、多良岳に行ってきました。

この時期の多良岳といえばヤマシャクです。
迷うことなく、おたちね観音から中岳を周回してきました。

真新しいエプロンのおたちね観音様


オオキツネノカミソリも順調に育っていました。


そしてヤマシャクの森


花の時季は過ぎているかなと心配していましたが、今が盛りでした。4月になって冷え込んだからだろうと思います。






この4月よりセカンドライフです。
誰もいない花園でのランチ、可憐なヤマシャクを愛でながら贅沢な時間です。







今年も無事にヤマシャクが見られたので、西斜面のヤマシャクはパスしてもよかったのですが、時間はたっぷりあるので中岳西斜面の花園に向けて出発しました。

途中の炭焼き窯の跡


西斜面のヤマシャクの森


こちらも今が盛りでした。(例年より少し遅いです。ひょっとして、私が来るのを待っていてくれたりして…)








周回コースの楽しみはまだあります。
それは、中岳から五家原岳の稜線のツクシシャクナゲです。

例年だと日当たりがいいところはポツポツと咲き出しているのですが…
今年は全く見あたりませんでした。
それどころか、蕾さえほとんどないのです。
いわゆる裏年なのでしょうか…



やっと見つけた蕾


サクラ


ショウジョウバカマ?





帰路、修多羅の森にサクラが残っていたので立ち寄りました。



”TENZANBOKKA” 久しぶりの山記事でした。
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本蓮寺に移されていた吉井勇の歌碑 「とこしへに水清かれと祈らまし…」

2020年04月13日 | 吉井勇
「長崎探訪5 浦上水源地」の続編ということになる。

まったくの偶然だが、「孫文・梅屋庄吉と 明治大正長崎事情1」という別の資料を調べていて、浦上水源地に建てられた吉井勇の歌碑は別の場所に移されたことが分かった。その資料である。

「勇は道ノ尾温泉にも足を伸ばした。そこの料亭の経営者重富きみに案内された料亭2階から満々と水をたたえている浦上水源池を眺めて詠んだ一首が
  とこしへに水きよかれと祈らまし蓬莱の池を見はるかしつつ
『蓬莱の池碑』の除幕式は昭和29年(1954)初夏で、浦上水源池の一番奥にある湖畔の広場に重富きみによって建てられた。その後、昭和44年(1969)本蓮寺境内に移転された。」

件の本蓮寺を訪ねてみた。
本蓮寺は日蓮宗のお寺で、JR長崎駅から歩いて5分の丘の上に建っている。



石段の中ほど

かっての山門の跡。 昭和20年8月9日、原爆投下の折にこの寺は全焼したという。

境内を一通り探したが、吉井勇の歌碑は見つけることができなかった。



なぬ! あれはなんだ? 屋根の上に…



ウルトラマン!ではなく、巨大な観音様が… (注 ウルトラマンは40m、あの観音様は30m)


あの観音様は、近くの福済寺のもので、万国霊廟長崎観音様だそうだ。
長崎旅ネットに次のように紹介されている。

「福済寺は、長崎の唐寺のなかでも大きな寺院であったといわれ、戦前には現在の国宝にあたる特別保護建築物に指定されていました。しかし、第二次大戦中に原爆で焼失してしまい、現在では原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建てられた『万国霊廟長崎観音』が静かに長崎の街を見渡しています。」

そうか、あそこも原爆でやられたんだ…

おっと、横道にそれすぎている。肝心の吉井の歌碑に話を戻さなければならない。
自力で見つけることができず、お寺の事務所を訪ねた。
吉井勇の名前を出すと、すぐに案内してくださった。



閉まっていた門を開けてくださり


庭園の中に入れてもらった




そしてついに対面することができた。


かって、水源地の湖畔に建てられていた吉井勇の歌碑だ。





  とこしへに水きよかれと祈らまし蓬莱の池を見はるかしつつ

左の碑では「吉井勇」や、歌碑が建立された「昭和29年」の文字を読み取ることができる。


歌碑が建った翌、昭和30年は平和公園の平和祈念像が完成した年だ。
原爆で焼け野原になった長崎の町が、復興に向けて立ちなおりかけている頃だ。

「とこしへに水清かれ」との祈りは、なみなみと蓄えた水源地の水はもちろんのこと、平和への祈りでもあるのだろう。
あの巨大な「万国霊廟長崎観音」が原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建てられたように。




吉井勇の歌碑も安住の地を得て、ここ本蓮寺から静かに祈りを捧げているようだった。
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蛍塚  「水きよき本明川の蛍にも…」 

2020年04月12日 | 吉井勇
3月末をもって定年退職しました。
4月からは、再任用の短時間勤務をしていますが、自由に使える時間が大幅に増え夢のようです。そんな中、山登りもですが、10年かけて吉井勇について研究をしたいと思っています。
まとまった時間がとれたとき、吉井勇の歌行脚の足跡を訪ねる旅に出かけようと思っていますが、それはもう少し先の楽しみにとっておきます。
手始めに、長崎県内にある吉井勇の歌碑を訪ねることにしました。県内には8基の歌碑があります(9基あるという資料もありますが)。長崎に5基と平戸、諫早、雲仙にそれぞれ1基ずつです。
今回紹介するのは、私の住む諫早の諫早公園にある蛍塚の歌碑です。

諫早公園内にある蛍塚





この蛍塚は、本明川のかっての清流が失われ、急速に姿を消した蛍の霊を慰めようと、諫早市内の小・中学生が発案し小遣いを出し合って作った記念碑です。


「蛍塚」碑の左側にある丸い石碑に、建立の趣意が刻まれています。


ちょっと読みづらい部分があるので活字に直しました。

  ほたるは私たちの夏の仲間
  平和な楽しい夢を描いてくれる
  すべての人達の心の灯
  精魂を灯しつづけて
  短い命を果てていく蛍
  そうだ蛍塚を築いて
  祭ろう そうして
  慰めよう

  諫早市小・中学校生徒会


この丸い石碑の裏面  


昭和29年5月と建立の日付が刻まれています。


さて、件の「蛍塚」には吉井勇が子ども達に贈った歌が刻まれています。


 水きよき本明川の蛍にも小さき命のありていとしも

昭和29年のこと、子ども達の思いは、戦後急速に姿を消した蛍を憂うとともに、清流だった本明川の再生への願いも込められていたことでしょう。


現在、蛍塚のある諫早公園の一角で蛍を守る取り組みが進められています。








川面に浮いているのはカワニナの餌の白菜 (カワニナは蛍の幼虫の餌)





多くの人の努力で、本明川が昔のように蛍が舞う川に戻りました。






 水きよき本明川の蛍にも小さき命のありていとしも  吉井勇
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春の諫早公園

2020年04月08日 | 上山の四季
眼鏡橋のある諫早公園は、桜は見頃を過ぎていましたがツツジが色づきはじめていました。








小野用水




狛犬(高城神社)






ミニ眼鏡橋


ミニ眼鏡橋②


川向かいに見える慶厳寺


そして蛍塚の周辺



実はこの蛍塚にも吉井勇の歌が刻まれているのです。 (続く)
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「外出禁止令」の友へ 桜だより 

2020年04月05日 | 上山の四季
ベトナムでは新型コロナ対策として、4月1日から15日まで外出禁止令が出されたそうです。
(自粛ではなく「外出禁止令」)

日本を離れベトナムでがんばっている友人Tのブログに書かれていました。
でも、Tはそんなことではめげてはいません。
外出できないのであればと、この機会にインターネットで英会話の勉強を1日10時間しているそうです。

「ネイティブスピーカーのきれいな発音を聞くことができます。 ― 略 ― 会話ができるようになると嬉しくて嬉しくて…」とブログに綴っています。

このマイナスの状況で普段の生活を続ければそれはマイナスでしかありませんが、さすがTで、考え方や生活の仕方を普段と変えることで「嬉しい」状況に変えています。
まさに、数学でいうところの、
(マイナス)×(マイナス)→(プラス)
だと感心します。

そのTは毎年、日本の桜だよりを楽しみにしていました。
ここ諫早の桜は今が満開です。
外出できない分、これを見て少しでも気分転換をしてもらえれば幸いです。







通路の右手にもまだ若い(小さい)桜が並んでいます。
これは最近植樹されたものです。その説明版もありました。





よく見ると1本1本の足元にプレートが付いています。




他にもいろいろな人生の記念として















奥に見える山が「上山」です。













これは今から咲くヨウキヒです。




がんばれT がんばれ世界 
コロナが早く収束しますように。









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