TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

万灯川まつり

2015年07月25日 | 諫早
7月25日午後8時、本明川河原一帯で「万灯川まつり」がありました。それを知らせる広告です。


チラシの右上に書いてあるように、前半は水害で犠牲になられた人たちを慰霊する式典がありました。後半は「夜空を彩る大輪の花火」が打ち上げられ、さながら花火大会の様相を呈していました。もちろん、焼香台で静かに手を合わせる人の姿も見受けられたのですが、何となく違和感を感じました。そんな「万灯かわまつり」の様子を紹介します。

















2000発の花火が夜空に舞う様は勇壮でしたが、花火の音が悲鳴にも聞こえました。多くの犠牲者を出した7.25の慰霊祭と市民が楽しみにしている花火大会は別にした方がすっきりするような気がしました。

「私はね、七月二五日の川まつりには行けないの。姉もよ」 これは、諫早大水害で両親と幼い弟をなくした女性の言葉です。(「『暴れ川』本明川 諫早の母なる川の物語 」より引用)

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7月25日 「あの日を忘れない」

2015年07月25日 | 諫早
「あの日を忘れない」は、平成19年7月に発行された「諫早大水害50周年記念誌」の表紙のタイトルです。



今年は大水害から58回目の夏になります。あのときの大水害の記憶を風化させないために、また、防災意識を高めるために市内ではいろいろな企画がなされていました。


1 諫早市美術・歴史館 企画展「諫早大水害の記憶」

災害被害や復興の様子を記録したビデオ上映


当時の被害を報道した新聞の展示


写真・資料展




当時の眼鏡橋の様子(展示してあった写真)



2 諫早図書館 「本明川防災パネル展」 




これらのパネルは、国土交通省長崎河川国道事務所が作成したものですが、本明川がどうして危険なのかがわかりやすく説明されてありました。










③は、諫早は東シナ海からの湿った空気が多良岳にぶつかって雨雲が発生しやすく集中豪雨が起きやすいことを図で説明しています。①、②は、本ブログでも前回ふれましたが、本明川は急勾配で河口までの距離が短いので一気に増水し大きな被害を出しやすいということをわかりやすく説明しています。

人間の心理として、ついつい自分は大丈夫と思いがちですが、これらの資料展示からは「あの日を忘れない」ようにしましょうという思いが伝わってきました。

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雨後のキノコ

2015年07月23日 | 上山の四季
「19日、関東甲信地方が梅雨明けしたとみられる」と気象庁が発表しましたが、「えっ?」という感じです。九州を飛び越えて本州が梅雨明けするの?
ネットで調べましたが九州北部の梅雨明け宣言はまだです。いまだに連日のように雨が降っています。昨日から今日7月23日にかけては時折激しく雨が降り、屋根をたたく雨音のけたたましさに夜中に目が覚めました。(年のせい?それもあるかも…)
33年前の昭和57年7月23日には長崎大水害が起きました。また諫早大水害が起きたのも7月25日で梅雨明け前のこの時期の大雨には注意が必要です。


さて、雨の合間をぬって、あるいは傘をさして上山歩荷は続けています。雨後の筍ならぬ雨後のキノコがにょきにょきと顔を出していました。







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「うー」は「大」だった。

2015年07月22日 | 島原
お四面さん(現諫早神社)前の「うーかわ(大川)」にかかる飛び石


本明川について調べていて、昔は「大川」と書いて「うーかわ」と言っていたという記述を見つけたとき、頭の中で、錆び付いていた昔の回路がピカッとつながりました。昔の人は「大」を「うー」と発音していたことを知り、思わずうれしくなりました。
幼少の頃の食卓で、祖父が「うーざら」と言っていたのは「大皿」のことだったのかと、今やっと理解できたわけです。
あの頃、島原で大きな皿の種類として「うーざら」と「さかんばち」がありました。「さかんばち」は、直径こそ大きかったものの深さが浅い皿でかまぼこや刺身など汁の出ないものを盛っていました。宴会にはなくてはならない食器でした。一方「うーざら」は小皿に対してやや大きめで、確かに深さのある「大皿」だったのです。

今、島原で「うーざら」という人はまずいません。私自身、若い頃「うーざら」に限らず、方言を恥ずかしいことだと思い、方言を使うことを潔しとしませんでしたが、それでよかったのかと今さらながら自らに問うています。方言は先人の知恵であり、継承すべき文化だったと今になって思うからです。

「うーざら」はともかく、今島原で、昔から連綿と受け継がれてきた地名の呼び方が変わるという事態も出ています。「中原」は「なかばる」だったのですが、現在では「なかばら」に変わってしまいました。同じく「原口」は「はるぐち」だったのが「はらぐち」に、「大手原」は「おてばる」だったのが「おおてばら」にと。似ているようですが違います。昔からの地名ですので変えてはならないのです。「北浦」は現在も昔ながらの「きとら」と呼んでいますが、これもそのうち「きたうら」と変わるとしたらそら恐ろしいことです。


私は昔ながらの方言を知っている最後の世代だと自負していますので、遅まきながらもふだんの生活の中で、できるだけ方言を使っていこうと思っているところです。「うーごつ」になる前に。おっと、正しい方言は「うーごちなる前に」でした。
(「うーごち」は「うーごと」の音便で、「大事(おおごと)」のことです。
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本明川(大川)

2015年07月20日 | 諫早




諫早の町をとうとうと流れる本明川。近世以前は「大川」(うーかわ)と呼ばれていました。現在、一級河川として国の管轄で管理・整備されていますが、川の総延長は28㎞で、一級河川としては日本一短い川です。短いがゆえに、一度大雨になると多良岳に降った雨が一気に激流となって川をかけ下ります。そのためこれまでに何度も氾濫し大きな被害を出していました。江戸時代、記録に残っている大川(本明川)の氾濫は13回で、中でも元禄12年(1699年)の氾濫の折には溺死者487人という甚大な被害をもたらしました。本明川のほとりにある慶厳寺には文化7年(1810年)と刻まれた慰霊塔が建っています。



右の石碑に「溺水霊魂塔」、その側面に「文化七年…」と刻まれています。



同じく慶厳寺ですが、門を入ってすぐの所には昭和32年(1957年)の大災害時の「水害殉難者供養塔」があります。






昭和32年7月25日、諫早地方は記録的な豪雨に襲われ本明川の氾濫などで死者・行方不明者630人という未曾有の大災害となりました。この慶厳寺には、その時の洪水の水位跡が残されています。自然災害の脅威を後世に伝えるためでしょう。








本明川の復旧は多くの人の努力で、翌昭和33年に国の管轄で行われることになりました。本明川は総延長が短いので、他の河川とのバランスで国の管轄による「改良復旧」は一度は却下されたのですが、当時の岸信介首相に被害の大きさを直訴し、一級河川に認定され国の予算で大規模な改修工事がなされました。

(当時の、岸首相視察を伝える新聞)


改良復旧で川幅が広げられた現在の本明川。



対岸の高城公園には、本明川に向かって静かに大悲観世音が佇んでおられます。諫早大水害の被害にあわれた方々の冥福を祈り、その御霊を慰めるために建立されたものです。





5日後の7月25日、諫早市は58回目の慰霊の日を迎えます。

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上山の危険2 ~ 倒木

2015年07月18日 | 上山の四季
上山はきれいに整備された公園のようですが、山は山です。油断すると思わぬ危険が待っています。ずいぶん前のことですが、いつものように歩いていたら目の前にズドーンと大きな木の枝が落ちたことがありました。もし当たっていれば大けがです。実はそんな状況は希なことではありません。山自体が生きていますので、朽ちた木が強風で倒れるのは新陳代謝のようなもので、山にとっては日常茶飯事です。



幹の途中に大きな空洞ができています。この木もやがて朽ちるのでしょうか…。



これは落雷による倒木でしょうか…



これは朽ちかけた木を、倒れる前に人の手で処置した跡のようです。



先日の歩荷の時に出くわしました。


登山道をふさぐ形で倒れていましたが、この木の幹は途中から折れていました。



道沿いのコンクリート製の手すりが粉々に壊れていました。


上山が公園として登山道が整備されている分、このようなごくふつうの自然現象が特別なことのように感じられのでしょうか…



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消防署

2015年07月16日 | 諫早


近くに新築移転した消防署です。私たちは「新しくなったな」としか思っていませんでしたが、これを見た東京の消防士さんは、車と車の間隔が十分にあっていいなとうらやましがっていたそうです。ただそれだけの話ですが,通勤の帰りの信号待ちの間にカメラを取り出し、ブログ更新のネタにと写してみました。
最近ブログの更新が滞っていて、私が体調を壊しているのではと心配してくださる方もいらしゃるのものですから、今回の投稿となりました。

ついでに近況を報告しますと、上山歩荷は前回の紹介から4回行いました。最近、職場の階段を上るだけでじわーっと足にくるなど著しい体力・脚力の低下を感じるのですが、例の歩荷を背負うとなぜか元気が湧いてきて毎回上山を2往復します。これは不思議なもので、歩荷を背負うとカラダのどこかのスイッチが入るといった感じで俄然燃える自分に変身するのです。歩荷と言っても、重量は8㎏程度です。10Lの園芸用の土ですが、ふんわかとしているので1袋3.7㎏です。


(園芸用の土を2袋詰めた8㎏の歩荷)

あいにく梅雨が明け切らず、小雨が降る中を傘を差してボッカをしています。学生時代のそれに比べたらあそびのようなものですが、それでもザックが肩に食い込む感じはあの頃を彷彿させてくれます。


  山家育ちのおいらの恋は
  こいはこいでもキス持ってこいだよ
  キスはキスでもおいらのキスは
  肩に食い込むキスリング~♪ (山の歌「山家育ち」)
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上山歩荷!

2015年07月05日 | 上山の四季

「上山歩荷」
これまでも、「したらいいな」とは漠然とは思っていたのですが、ついに始めました。




ホームセンターに行って、園芸用の土を買いました。ワンゲル関係の皆さんはもう気づかれたと思いますが、これがボッカ用の砂の代わりです。10L入りを2袋買ってきました。




ちょうど2袋入りました。それに傘も。


ポケットには水。


そしてカメラを取り付けて、ボッカ兼山歩きザックのできあがりです。



このザックは、本来子どもを背負うためのものなので、自立します。どこにでも立てておけるので使い勝手はいいです。20数年前は、これで子どもを背負って山に登っていました。


今日はとりあえず上山2往復しました。足下の草花が心なしか輝いて見えました。



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