TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

舞岳へ

2013年04月28日 | 山(県内)

(舞岳山頂付近の尾根に咲くシャクナゲ 遠景は五家原岳)



4月27日に多良山系の舞岳(867m)に登った。舞岳へのルートは地図(国土地理院)には載っていない。黒木から舞岳への尾根を登ることになるが、その間標識は一切ない。初めて登ったときには、登り口を見つけるのに苦労した。(登る前から遭難?)だが、一度尾根に入れば踏み跡があるので迷うことはない。途中にある岩場にロープが渡してあるだけで、目印のテープなどは一切ない。
山頂には、それであることを示すを示す小さなプレートがあるのみだ。


(舞岳山頂)

この舞岳コースは、数ある多良山系の中で、私が最も好きなコースだ。特にこの時期はシャクナゲとミツバツツジが目を楽しませてくれる。標識がないだけに多良山系の穴場とも言える。ただ、登りは結構急である。約80分で山頂だが、1時間ほど登ったところに展望がきく岩場がある。
この周辺にもシャクナゲが咲いているので絶好の休憩ポイントになる。


(休憩ポイントからの眺め 黒木方面)

帰りは、中山峠、西岳、西野越を経て黒木へと下りた。
途中、オオキツネノカミソリの群生が夏の開花に向け葉を生い茂らせていた。



実に久しぶりに、リハビリも兼ねて本格的な山道を歩いてみた。けがした右の足首は大丈夫だったが、それをかばっていたのだろうか、左の膝が痛くなり下山するのに苦労をした。連休の後半には、シャクナゲとヤマシャクヤクを見に五家原岳の方からアプローチしたいと考えている。
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一つの源流として~不知火寮々歌巻頭言 

2013年04月27日 | 南に遠く(不知火尞)
在りし日の不知火尞


【寮訓】
仰げば星斗欄として永久の心理を囁き、頭を廻らせば不知火炎々として若人の熱を語る。自然の恵豊かなる此の筑紫野の一角天地の精気凝りて立てるもの実に吾が佐高不知火寮なり。抑抑(そもそも)吾が不知火寮の使命たるや吾人が学道練磨の一大道場となると共に又まさに吾が校風淵源たるに在り。されば此の寮に学ばんものは深く吾が寮生活の意義を省み各自誘掖切磋以て学道の純熱を力め毅然卓立混濁の世俗に超越して質実剛健の精神を把握して以て若き日の完成を此處に期せざるべからず。
   昭和戍春日
                紀堂 (生駒萬治:佐賀高校初代校長の雅号)

不知火尞々訓



不知火寮の寮歌やその巻頭言について調べて分かったことがある。
いくつかのパターンがあるものの、巻頭言は結構似かよっている。
ところが、いくつかある源流の一つに旧制佐高の不知火寮寮歌の巻頭言があるようだ。

例えば次の熊本大学の「武夫原頭に」の巻頭言は、地名等の固有名詞こそ違え文章としてはほぼ同じである。
旧制五校ではなく、新制熊本大学で下記の巻頭言が定着したとのこと。
(このあたりの経緯については「『北辰斜めに』の巻頭言について」http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/~dosokai/dosokai/shichaku/2006/hokushinnaname/kantougen.htm等を参考にした)

 仰げば星斗爛煥として
 永遠の真理を囁く 
 頭を巡らせば蘇山遠々として
 我等若人の情熱をそそる
 天地の恵み豊かなる肥後の一角
 立山の麓白川が畔(ほとり)
 これぞ我等五高健児の地なり
 いざや舞わんかな狂わんかな歌わんかな
 我等が剛毅木訥の調べを
 武夫原頭に草萌えて

他にも似ているもの見つけることができるが、制作された年代ではいずれも不知火寮のそれが先である。
このことは旧制佐高寮歌の巻頭言、ひいては初代校長生駒萬治氏の「寮訓」があまりにも名文であったということの証に他ならないであろう。

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巻頭言は寮訓だった

2013年04月23日 | 南に遠く(不知火尞)


「仰げば星斗欄干として…」で始まる旧制佐高の不知火寮寮歌「南に遠く」の巻頭言は、同校初代校長生駒萬治氏が作成した寮訓の抜粋だった。


(不知火寮)


-寮訓-
仰げば星斗欄干として永久の心理を囁き、頭を廻らせば不知火炎々として若人の熱を語る。自然の恵豊かなる此の筑紫野の一角天地の精気凝りて立てるもの実に吾が佐高不知火寮なり。抑抑(そもそも)吾が不知火寮の使命たるや吾人が学道練磨の一大道場となると共に又まさに吾が校風淵源たるに在り。されば此の寮に学ばんものは深く吾が寮生活の意義を省み各自誘掖切磋以て学道の純熱を力め毅然卓立混濁の世俗に超越して質実剛健の精神を把握して以て若き日の完成を此處に期せざるべからず。
   昭和戍春日
                紀堂 (生駒萬治:佐賀高校初代校長の雅号)




ファイヤーストーム


寮でのウォーターストーム

寮歌「南に遠く」の巻頭言は佐賀大学に受け継がれた。

おりゃ おりゃ おりゃ~
仰げば星斗欄干として
永久の心理を囁く
頭を廻らせば不知火炎々として
若人の熱を語る
自然の恵豊かなる此の筑紫野の一角
天地の精気凝りて立てるもの
実に吾が佐大不知火寮なる
いざや歌わんかな我らが木訥の歌
「南に遠く」
いざや踊り狂わんかな我らが熱血の舞
「南に遠く」


なお、この生駒萬治氏作成の寮訓から生まれた巻頭言は、他校の寮歌の巻頭言にも地名などを変えて使われている。


生駒氏の寮訓は、「不知火熾る 佐賀高校史」というに記載されていた。
この本は、滝口康彦氏の作品を求めて佐賀の古本屋を廻っていて偶然見つけたものだ。旧制佐高30年の歩みをまとめた貴重な資料だが、その推薦の辞がまたよかった。(推薦文は菊葉同窓会理事長 田中誠一氏によるもの)

「本書は、菊葉のもとに集い寄った過ぎし日の青春賦であり、その熱烈たる操守に支えられ、歴史のなかに永遠の記念塔を残した熱情と感激の対抗戦など、豊富な題材に富み、真に佐高精神の本流に棹さす書であり、加うるに、教育文献としても格好の書であると信じ、広く同窓諸賢の瞥見をお薦めする次第である。」 

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「春ゆかんとす」

2013年04月21日 | エッセイ

 
「いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春ゆかんとす」
あまりにも有名な子規の歌です。
イチハツも桜と同じように、例年より1週間ほど早く花を咲かせました。
春が駆け足で過ぎようとしている中、私もそろそろトレーニングを開始しなければならない。
昨年12月に足をけがして以来、全く運動をしていません。動けなかった分、本はたくさん読むことができましたが、からだが大変なことになっています。足の筋肉が落ち、すっかり細く、お腹はタプンタプンと豊かにぜい肉をたくわえています。何とかせねばと思いながら4月に突入して、早20日、ここで行動に移さねば春も終わり、手遅れになってしまいます。
「じゃ、いつやるんですか?」
「今でしょう!」
ということで、今からトレーニングを再開します。
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愛しの天山

2013年04月12日 | 山にまつわる話
3月末に佐賀に行き、天山の写真を撮りまくりました。
愛しい人でも撮るかのごとく、行く先々で車を止め、天山を撮りました。
現在、私のパソコンの壁紙はこの写真です。個人用も、職場のも。
今回の画像は、オリジナルサイズです。
佐賀を離れ、遠方で仕事をされているSUWVのOBの皆様、
よかったらパソコンの背景に壁紙として使ってください。
相知のNIさん、今度佐賀に行ったときには寄らせてもらいます。

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苟日新、日日新、又日新

2013年04月07日 | SUWV


 苟日新、日日新、又日新

 「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして、又日に新たなり」

Tの壮行会に、後輩の俊成が寄せてくれたメッセージです。

意味は、「今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくなるように心がけなければならない」ということだそうです。
殷の湯王は、これを洗面の器に彫り付けて、毎日自分を戒めたそうです。

仕事は勿論ですが、仕事以外でも、何か目標がないと無為に時を過ごしてしまいます。
先日の会で、ハーフマラソンをタイムを設定して取り組んでいらっしゃるO氏の話は大いに刺激になりました。
自分の場合、昨年はとにかく大崩山に登りたくて、そのためのトレーニングや準備でプライベートの時間が充実していました。
結果として、仕事の方も計画的にバリバリとさばけていました。
ところが、今はこれという目標が見つかりません。足の怪我も治り、近場の山に登り始めましたが、何となく惰性で登っている感じで燃えるものがありません。私もハーフに挑戦してみようかな…。

殷の湯王のように、「日に新たに…」を洗面台に貼っておくか。
昨日とはちがう自分を日々目指して何かを始めなければと思っています。
このままでは心もからだも鈍ってしまう…。
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辞本涯

2013年04月06日 | エッセイ


長崎県福江島の三井楽というところに、
「辞本涯」(じほんがい)とかかれた碑が建っている。
三井楽は、遣唐使船が最後に立ち寄った日本西端の地。
「辞本涯」は、遣唐使の一員となった空海の言葉で、
「本涯」を「辞」するで、日本を離れるという意味だそうだ。
(涯は崖(がけ)。さんずいが付いているので岸、みぎわの意)



三井楽の海。東シナ海をのぞむ何もない吹きさらしの大海原。
そこに「辞本涯」の碑は建っていた。
10年ほど前、この地を訪れたときの衝撃を綴っていた。

  大海をのぞむ吹きさらしの荒野 漠として
  先人の念を刻む石碑の他 何もない
  辞本涯 凜と建ち
  その深遠な大志 今に伝える
            (H15.11.16)

あの当時は、海を渡ることは命がけ。
それでも成し遂げたいという志は、
あの大海原を前にしてひるむことはなかったのだろうか。
弱気になりそうな自分の心に向けて発した決意の言葉なのだろうか、
「辞本涯」

こんな碑も建っていた。

 (万葉集の一首)

 「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群」

  -旅に出たわが子が、霜の降りる野で困るようなことがあったら、
   どうか天の鶴たちよ、私の子どもをその温かい羽で守ってやっておくれ-
             (「遣唐使ふるさと館」のジオラマ解説より引用)

大願をはたして無事に帰って来てくれと、祈るしかできない母親の切なる思いを
詠んでいる。
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多久からの天山

2013年04月04日 | 山にまつわる話

 滝口康彦氏の記念碑


 その拡大部分



「北の空の一角を領して、ゆったりとそびえる天山が、人馬の行進につれて、少しずつ山の容(すがた)を変えていった。」
  -滝口康彦氏の「与四郎涙雨」より-





多久より見た「秀峰天山」



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