TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

思い出の九重登山

2013年05月31日 | SUWV
先日のブログに、suwvさんからコメントをもらいました。

 「あの頃みんな若かった。写真を見てそう思った。あれから30数年経つんですね。
  『坊がつる』は私たちの心の故郷です。」

学生時代は、新歓登山や冬合宿で九重に行っていました。
社会人になっても、久しぶりにみんなで登ろうとなったときは九重でした。
登りやすさに加えて、宿泊する場合も法華院温泉山荘やそこのバンガロー、
坊ヶツルキャンプ場とたいへん利便性にすぐれているのも理由の一つでした。

今回は、社会人1年目、2年目の頃の思い出の九重登山の写真をアップしてみました。

【夏 30数年前 8/14~15】

(スガモリ越「愛の鐘」前にて SUWV・OBのみなさん)

このときは、食糧各自持ち寄りで、法華院温泉山荘のバンガローに泊まりました。
私は島原の手延べそうめんを持参しました、リュックには大きな金のザルをぶら下げて。
薬味には、生の生姜(おろし金も持参)。
夏でしたが、山の冷たい水で冷やしたそうめんはみなさんにたいへん好評でした。 


三俣山をバックに  ホントみんな若いね… 


【冬 1983年(昭和58年)1/15~16 雪を期待しての冬山だったが…】

冬でしたので、法華院温泉山荘に1泊。偶然(?)現役部員3名と一緒になりました。

おまけの1枚。

それぞれのポーズが何だったのか覚えていません。
天気も良すぎ、1月というのにシャツ1枚…
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PM2.5?

2013年05月26日 | 山にまつわる話
先週は月曜日からずっと晴れが続いた。
ところがだ、連日モヤがかかったようで遠くの山(多良岳や雲仙)がハッキリ見えない。
以前、北京市内の光化学スモッグでモヤのかかった映像をTVニュースで見たとき、
「ひどいな」と思っていたが、ここ数日の長崎はその状況になってはいないか。
次の写真を見てほしい。


これは昨日(5/25)、雲仙に向かう途中、愛野まちで写したものだ。
愛野は島原半島の入り口で、この後方には雲仙の山々が見えなければいけないのだが、
ご覧のように真っ白で何も見えない。天気は晴れで太陽は出ているというのに。

次は、妙見岳に登る途中に雲仙の温泉街を写したものである。
今年の冬に写したものと比べると瞭然としている。


温度や湿度等の違いがあるので単純に比較はできないにしてもひどいものである。
しかし、ニュース等ではあまり話題にされていないような気がする。
アベノミクスや橋下氏の暴言やらが連日取りだたされ、環境問題がおろそかにされている気がしてならない。
そういえば、壮行会の時だったかな、同期のSが次のようなことを言っていた。
「北京オリンピックの開催中は、(佐賀?福岡?)の空がきれいだった」
どうしてと聞いたら、
「オリンピックの開催中は工場の排煙など出さないように規制されていたから」と言うことだった。
難しい問題である。他国の経済成長に関わる問題だから。
過去の経済成長期の日本もそうであったし、近いところでは、天災や事故とはいえ、
放射能で汚染された物質を流出させ、世界の海や空気を汚してしまった。

さて、雲仙の山々は、季節が来ればけなげにも美しい花を咲かせていた。






最後に、昨年秋に多良山系から写した雲仙の写真を1枚。

(海の中に見える1本の道は「堤防道路」)

世界の空気がきれいになりますように。
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やっぱりピンク!

2013年05月25日 | 山にまつわる話
前回のブログで、「断じてピンクである」と言い切ったものの、
ちょっぴり不安になって昔のアルバムを探してみた。
あった!
ミヤマキリシマの時季に九重に行ったのは、30数年前、社会人2年目の5月1回きりである。

【 昔の九重登山の写真3点 (ニッカズボンが懐かしいね)】






写真のピンクに染まっている山は平治岳だったかな…、30数年前なので自信がない。
テントを張っているのは勿論、坊ヶツル。
3枚目の写真、間違って前回のブログの国見岳を貼っていたので今日(5/26)貼り替えました。
これこそ「段原彷徨う山男 花の情けも知るものぞ」

坊ヶツル讃歌といえば、私をワンゲルの道に勧誘してくださったS先輩の部屋には、坊ヶツル讃歌が四番まで書かれた日本手ぬぐいが飾ってあった。S先輩だけではない、当時のワンゲルの先輩の部屋には例外なく、坊ヶツル讃歌の手ぬぐいと西九州合ワンの記念手ぬぐいが飾ってあった。今、あの坊ヶツル讃歌の手ぬぐいが欲しいと思うのだが,今も売ってあるのだろうか。そういえば久しく九重に行ってないな…
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「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに…」

2013年05月25日 | 山にまつわる話


(ミヤマキリシマ咲き誇る 山はピンクに国見岳)


ミヤマキリシマと言えば
三十数年前、私たちの「坊ヶツル讃歌」は、次のように歌っていた。

  「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに大船の
   段原彷徨う山男 花の情けも知るものぞ」

今日、雲仙の山に登ってきたが、ミヤマキリシマはやっぱりピンクだった。
「坊ヶツル讃歌」に歌われている九重のミヤマキリシマもピンクのはずだが、
芹洋子さんが歌う「坊がつる讃歌」は、

  「ミヤマキリシマ咲き誇り 山紅に大船の
   峰を仰ぎて山男 花の情けを知るものぞ」

似ているけれども違う。

ミヤマキリシマは断じてピンクである。(紅色のミヤマキリシマもあるのかも知れないが…)
当時、埋もれていた名曲を世に出すにあたって
「ピンク」よりも「紅」の方が詩としては格調高いのかわからないが…
私が大学1年の時(昭和53年)、芹洋子さんが歌う「坊がつる讃歌」はレコード大賞にノミネートされ、大賞は取らなかったが何某かの賞を受賞した。

もう一つこだわるなら、「花の情けも」の「も」である。
たかが助詞の一つだが「も」と「を」では大きな違いに思える。

 「花の情けを知るものぞ」と「花の情けも知るものぞ」

五感研ぎ澄まされた感性豊かな「山男」としては、やはり「花の情けも」であって欲しい。

今回のブログは雲仙のミヤマキリシマ鑑賞登山を紹介する予定であったが、「坊ヶツル讃歌」に変更してもう少だけ。

さらに言うならば、一番の歌詞である。

  「人皆花に酔うときも 残雪恋し」

私たちもそう歌っていたのだから異存はないのだが、わがSUWVの部誌「木霊」の第8号(昭和55年度版)には、当時の顧問であった國次太郎先生が「坊ヶツル讃歌」の元歌である広島高師の「山男の歌」を投稿してくださっていた。 → 「國次太郎先生と坊ヶツル讃歌

  「人皆花に酔うときも 残雪恋ひて(超えて)」

ネットに、元歌である広島高師の「山男の歌」の紹介は多数あるが、このように表現してある歌詞は、私が調べた範囲ではこれだけである。

「恋ひて」を「超えて」と掛けているところは深いなと感じ入る。
同じように「花の情けも」の方が深い。
深い浅いは別にしても、ミヤマキリシマはどう見ても「ピンク」であろうと思うのだが。


大賑わいだった、ピンクのミヤマキリシマに囲まれた普賢岳山頂
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多良岳を詠んだ歌  歌集「天彦」より

2013年05月12日 | 吉井勇
 「むくむくと湧く夏雲もいさぎよき大多良嶽の山びらきかも」

現在では、入道雲のわく前、5月1日が多良岳・轟峡の山開きである。
今年も山や渓谷での安全を祈願して、多良岳の中腹にある轟峡でいろいろな催しがあった。


(轟の滝)

その轟峡に吉井勇の歌が紹介してある。


 「多良嶽の九十九瀑の水けむりあつまるところ雲もこそ湧け」

この看板がきっかけで、吉井勇の歌集「天彦(あまびこ)」に興味をもった。
天彦の「羇旅三昧」の章に、多良岳やその周辺を詠んだ歌が収められている。
中でも、次の歌は多良岳登山や麓で暮らす人達の安全を願ったものである。

 「瀧を見む岩を見むとてゆくひとに荒くな吹きそ多良の山風」
 「天つ日よ夏は来るとも筑紫なる高来の民に障りあらすな」

他に、長崎や島原、雲仙を詠んだ歌もあり親しみをおぼえる。 
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多良岳を詠んだ歌人・吉井勇

2013年05月11日 | 吉井勇


 石楠花の大群落(だいぐんらく)のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ

本ブログ3回目の紹介、歌人・吉井勇が多良岳のツクシシャクナゲの美しさを詠んだ歌だ。
ツクシシャクナゲは私が住んでいる諫早市の市の花なので、
この短歌も広まればいいなと個人的に思っている。

多良岳を詠んだ吉井勇の短歌はいくつかあるが、次の歌はよく目にする。

 多良嶽の摩尼(まに)の山路のゆきかへり狙仙(そせん)の猿に会ふよしもがな

「狙仙(そせん)」は森狙仙のこと。
江戸時代の画家で精細な写実画風で猿・鹿などの動物画を得意としたと広辞苑にある。
「摩尼(まに)」とは、仏教用語で、濁水を清らかにする不思議な働きがある宝石とある。

この歌は、心洗われるようなすがすがしい多良岳登山の行き帰りで、狙仙の絵にあるような猿に会えたらいいのになあと、山登りの心地よさを詠んだものである。

(「狙仙」に「そやま」とルビが振ってあるのも目にしますが、それは間違いです。)
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多良岳のツクシシャクナゲ

2013年05月11日 | 山(県内)
5月5日 満開のツクシシャクナゲを見ようと、再び五家原岳から中岳に出かけた。
ところが、まだ半数はつぼみだった。


(五家原岳から見た中岳 珍しく今年の連休は晴天が続いた)


(つぼみのうちは濃い赤色をしているが…)


(1つのつぼみから複数の花が顔を出す。この頃は上品なピンク色に…)


(満開の頃はさらに白に近いピンク色になる)


(この写真は、一昨年、舞岳で撮影したもの)

以前のブログでも紹介したが、

 石楠花の大群落のなかに来ぬうつし世のこといかで思はむ  (吉井 勇)

吉井氏が見たシャクナゲも、シーボルトが見たシャクナゲも、今のシャクナゲも変わりはない。
時間を超えてそれを見る人の心を浄化してくれる。

明日、5月12日こそ吉井氏が心をうばわれた満開のシャクナゲの大群落に会えるかも。

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今年も逢えました -その2-

2013年05月05日 | エッセイ
こどもの日。
今年も兜を飾ることができた。雛飾りと兜飾りはわが家の年中行事。
「今年も逢えましたね…」と、飾りながら子どもたちの健やかな成長を喜ぶ。
(もっとも、まめに飾ってくれるのは私の家内だが…)



子どもといっても、それぞれに社会人となり家を離れている。
壱岐と鹿児島にいるが、それぞれに焼酎を届けてくれたので兜と一緒に飾っている。
その地域でしか手に入らないものだとか。
こどもの日というより一足早い父の日のようだ。
あまり家庭的な父ではなかったのにと胸が痛いが、うれしい…。



以前も紹介したイチハツ。
本来は菖蒲なのだろうが、わが家の花壇に彩りを添えてくれている。
今、春爛漫。

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今年も逢えましたね…

2013年05月01日 | 山(県内)
5月の連休にと思っていたが、4月29日の午後に時間ができたので、逢いに行くことにした。
天気は曇り、少し風もあったが逢いたい一心で愛車のアトレーで一気に五家原岳へ。
午後3時半を回っていたが、中岳を目指して出発する。


手前のピークが中岳(1000m) その奥のこんもりとしたのが経ケ岳(1076m)

この縦走路は北西の風をもろに受けるためか、シャクナゲは多くがつぼみだった。
場所によっては椿の赤い花が残っていた。





そして中岳のピークを過ぎて目指す秘密の花園へ。
本来ここには道はないのだが、何人もの人が通ったのだろう。
「おのづからなる細道」がくっきりとできていた。
彼女たちに逢いたかったのは私だけではなかった。


(「おのづからなる細道」)


(おっ、この風景は私のブログの背景に似ているな…)

急斜面を慎重に下っていくと、ありました。





「今年もまた逢えましたね…」(おひな様のCM?)と、
やさしい気持ちにひたりながら、しばし、かわいいヤマシャクヤクの群生を眺めていた。

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