場所は前回と同じで、宇都の墓地横にある広場です。
そこに雪山の供養塔があります。
建物にはさまれた真ん中のがそれです。
赤いエプロンが掛けてあり、一番上の文字の雨冠しか見えてなくて、てっきり「霊」の字かと思っていたら、それは雪山の「雪」でした。説明板を見て理解し、エプロンを外して確認しました。
説明板
側面には碑建立の由来が刻んであります。
漢文です。「天祐寺」など読み取ることができ、末尾に「諫早家」とあります。
この碑文も説明板に書いてありました。
その意味も
無実の罪で打ち首にした修行僧のへの仕打ちを詫び、その御霊を供養するために建てた石碑であることが分かります。一介の修行僧だった雪山に「和尚」と敬称をつけたところからも、諫早家の強い悔恨の気持ちが伝わってきます。
雪山は天祐寺で修行する眉目秀麗な青年僧侶でした。そんな雪山に領主の側室が惚れ込み、雪山を誘惑しましたが、雪山は「自分は仏僧、修行の身」と断ります。恋心が憎しみに変わった側室は、自分で衣服を乱し「雪山から辱めを受けた」と嘘をつき、雪山に無実の罪を着せるのでした。
処刑後、雪山の無実を証明したという「雪山逆松」は大正2年(1913年)に枯れ、お祓いをして切り倒されました。その松の後に建てられたのが「雪山和尚供養塔」だそうです。
そこに雪山の供養塔があります。
建物にはさまれた真ん中のがそれです。
赤いエプロンが掛けてあり、一番上の文字の雨冠しか見えてなくて、てっきり「霊」の字かと思っていたら、それは雪山の「雪」でした。説明板を見て理解し、エプロンを外して確認しました。
説明板
側面には碑建立の由来が刻んであります。
漢文です。「天祐寺」など読み取ることができ、末尾に「諫早家」とあります。
この碑文も説明板に書いてありました。
その意味も
無実の罪で打ち首にした修行僧のへの仕打ちを詫び、その御霊を供養するために建てた石碑であることが分かります。一介の修行僧だった雪山に「和尚」と敬称をつけたところからも、諫早家の強い悔恨の気持ちが伝わってきます。
雪山は天祐寺で修行する眉目秀麗な青年僧侶でした。そんな雪山に領主の側室が惚れ込み、雪山を誘惑しましたが、雪山は「自分は仏僧、修行の身」と断ります。恋心が憎しみに変わった側室は、自分で衣服を乱し「雪山から辱めを受けた」と嘘をつき、雪山に無実の罪を着せるのでした。
処刑後、雪山の無実を証明したという「雪山逆松」は大正2年(1913年)に枯れ、お祓いをして切り倒されました。その松の後に建てられたのが「雪山和尚供養塔」だそうです。
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