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映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「悼む人 上・下」 天童荒太

2011年06月29日 | 本(その他)
一人一人の「生」を胸に刻むこと

悼む人〈上〉 (文春文庫)
天童 荒太
文藝春秋


悼む人〈下〉 (文春文庫)
天童 荒太
文藝春秋


               * * * * * * * *

この本は単行本を読みたいと思いながらも、読み損ねていたので、
文庫化は大変ありがたいと思いました。

悼(いた)む。
・・・読むのが難しいですね。
最近ではほとんど弔電の文中くらいでしか見たことがないような・・・。
辞書で調べると、単純に「人の死を悲しみ嘆く」とあります。


この本の坂築静人(さかつきしづと)は、
不慮の死を遂げた人々を"悼む"ために、全国を放浪しています。
物語はこの静人と、彼を取り巻く様々な立場の人々を描いています。
でも、序盤は、この静人の行動にちょっぴり戸惑ってしまいます。
一体どういう物語なのだろう。
悼むとは?
宗教? スピリチュアル?

・・・それでも、読み進む内にどんどんこの静人の行動に引き込まれていきます。
つまり、読者である私たちと同様に、彼の行動をいぶかしむ登場人物や
彼を信じて影ながら彼を支えていこうとする彼の家族を描くことで
少しずつ静人の行動の核心に近づいていくのですね。
たとえば、
自らが殺した夫の亡霊に取り憑かれた女・倖世(ゆきよ)。
静人のことを調べ始める雑誌記者の薪野(まきの)。
そして末期がんに冒された静人の母・巡子。
それぞれの生き方も、それだけで小説になりそうなくらい尋常ではありません。
それぞれの中で次第に静人の存在が大きくなっていく。


静人の"悼む"という行為は、
死を悲しむとか、冥福を祈る、
というようなこととは少し違うのです。

「亡くなった人が誰を愛し、誰に愛されたのか。どんなことで感謝されたのか。」

つまりその人の「生」を記憶する行為を、
彼は「悼む」と呼んでいるのです。
先日見た映画「パーマネント野ばら」の中にもありました。
人の「二度目の死」は、人から忘れ去られることだと。
とすれば、彼の行為は、
いつまでもその人を自分の中にだけでも生かし続ける、
そういう意味があるのですね。
人の死に方ではなくて、生き方、というところがとても大事。


静人と倖世は、やがて旅を共にするようになるのですが、
そんな中で倖世の死んだ夫が誰を愛したのか、真相が明らかにされていきます。
この存在は、いわば『悼まれる』側の代表なのでしょう。
物語の中で、静人の「悼む」行為は、果たして死者にとってはどういう意味があるのか。
それを語ることができるのは本当に死者だけなのですが、
ここに、こういう「存在」を描くことで、
答えを出しているのでしょう。
この亡霊の正体は、本当に「霊」なのかもしれないし、
実は倖世が勝手に思い込んでいるだけの存在なのかもしれない。
でも、それはどちらでもいいことなのだ、という部分はとても納得がいきます。
どちらであっても、生の意味、死の意味を
はっきりと納得することにより救われるのは同じ。


たとえばこの度の大震災で、
死者数千人とか数万人とか、聞くと確かに大変なことに思えるのですが、
どうにも実感がもてず、「悲しい」という感情もわいてきません。
でも、TVなどのインタビューで
被災者から直接「夫を亡くした」とか、「子供を亡くした」とか聞くと
思わず涙があふれます。
それだけでもう、亡くなった方が誰を愛し、誰に愛されたか、解りますものね。
私たちはその人の「生」の物語を察して、心動かされるのです。
このように考えると、この「悼む」という行為はとても崇高なことに思えてきます。
それにしても、もし静人さんが実在したら、
一生東北にいなくてはならないかも。
あまりにも悼む対象が多すぎます。
それでも、私たちは、ただ大勢の死者ということではなく
ひとりひとり、生きていた人、
ということを胸に刻んで、
忘れないでいたいですね。

「悼む人 上・下」 天童荒太 文春文庫
満足度★★★★☆