映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

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2011年06月06日 | 映画(ま行)
懐かしく苦い「あの頃」を思う



            * * * * * * * *

この作品は、もと朝日新聞記者 川本三郎氏によるノンフィクションを映画化したものです。
現在、文学・映画・演劇などの評論家として活躍中の方。
あれ、何か見覚えのある名前だと思ったら、
旅先でビール」という氏のエッセイを、私も以前に読んでいました。
とても風情のあるすてきなエッセイでした。
この方が、こんな激動の人生の持ち主であったわけなんですね・・・。


作品は1969年から72年にかけてを舞台としています。
学生運動が華々しかった頃。
というよりも、冒頭東大の安田講堂占拠の敗北シーンから始まりますので、
学生運動が挫折し迷走していく、そんな時代です。
私はその頃中学~高校にかけてという時期でした。
ベトナム戦争のこと。
安保のこと。
当時のいわゆる大人たちと学生のお兄さんたちの言い分では、
学生たちに分があるようには思えたのですが、
むろん、本当に理解していたというにはほど遠い。
(今も多分そうだと思います・・・。)
そうして、彼らの挫折を目の当たりにしてしまい、
当惑、そして思考停止というのがその頃の私だったような気がします。
いえ、その頃大学生だったとしても、
私はきっと遠巻きにして見ているだけだったでしょうね・・・多分。


さて、自分のことはどうでもいいのでした。
理想に燃えるジャーナリスト沢田(妻夫木聡)は、
革命を目指す学生活動家梅山(松山ケンイチ)と知り合います。
沢田は梅山にシンパシーを感じ、取材として梅山らの活動を支援。
そして彼らのある危険な計画を知りながらも、
スクープをとるため、警察への通報もしなかったのですが、
実際、この計画実施がひどい裏目となる。



社会の変革という彼らの思想に同調しながらも、
傍観者でしかない自分を後ろめたく思う沢田。
また、スクープという野心を持ちながら、人を傷つけることに臆病でもある自分。
そんな中で揺れ動く沢田は、妻夫木聡にははまり役。
一方、「赤邦軍」リーダーの梅山は・・・実に危うい人物です。
彼は変革を夢見ているのではない。
自分がいっぱしの学生活動家であること自体に、ヒロイズムを感じている。
彼の言葉はインチキなのですが、
自分ではその自覚がないのです。
松山ケンイチは、「ノルウェイの森」ではあんなに寡黙で多感な好青年を演じておきながら、
こんな風なアブナイ男も演じるんですね。
さすがです・・・。



作品中、ある少女が「映画のなかで男性が泣くシーンがよかった」といいます。
一緒にその映画を見た沢田は、
「男が泣くなんてかっこわるいだろ」というのですが・・・。
ラストシーンでは、この沢田が男泣きに泣くんですよ。
さて、『沢田はどうしてここで泣くのでしょう。400字以内で答えよ』と、
国語の試験の問題になりそう。
そうですね、この答えを考えれば、
この作品のテーマを説明することになるでしょうね。
今、それをここに書けば
すべてストーリーのネタばらしになってしまいそうなのでやめておきますが、
非常に複雑な、もろもろの感情がないまぜになっているように思います。
400字では無理かな。
でもまあ、少しだけ思うのは・・・
学生とか、ジャーナリストは、観念が先に立つのだと思うのです。
特に、梅山はそうですね。
観念ばかりがあって、それは行動に結びつかないし、
自分の生活にも結びつかないんですね。
無理矢理行動に結びつけようとしたら、
行き詰まってついに自分の首を絞める結果にしかならない。
けれど、彼らがいつも見下している、
日銭を稼ぐ社会の底辺にいるような人たち。
「思想」なんて言葉からは遠いと思われる人たち。
こんな人たちこそ、実にきちんとたくましく「生活」して、
結婚して子供ができたりして、
豊かな心を持って生きているのです。

頭でっかちではダメなんですね・・・。

学生運動の挫折の理由の一端が覗けるような気がしました。

2011年/日本/141分
監督:山下敦弘
原作:川本三郎
脚本:向井康介
出演:妻夫木聡、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈