真夜中のカーボーイ
(第2回 午前10時の映画祭 何度見てもすごい50本より)
* * * * * * * *
アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品群の一つですね。
先日見た「マイ・バック・ページ」の中で、
ある女の子が「この映画のダスティン・ホフマンが泣くシーンが好き」といっていた・・・。
それでにわかに興味を持って見てみたわけです。
なるほど、確かに「マイ・バック・ページ」舞台でもある1969年作品。
ベトナム戦争のさなかのアメリカでは、
厭世観にとらわれて、こういう作品が多く作られていたということなのか。
その頃の私には、やはりよくわかっていませんでしたね。
物語は、テキサスの若者がニューヨークへ夢を持ってやってくるところから始まります。
その夢というのが、
自らの肉体の魅力で都会の女たちからお金を取り、富と名声を得ようという・・・、
まあ、あまり健全ではありませんわね。
でも、精一杯パリッとしたカウボーイスタイルで、
ニューヨーク行きのバスに乗り込むジョー(ジョン・ボイト)の高揚感、
なかなかステキです。
こんなとき彼は、幼い頃たっぷり祖母に愛された幸せな思い出をたどっています。
今ならなんだってできる。
何をやってもうまくいきそうな気がする。
さて、しかし。
もちろんニューヨークはそんなに甘いところではありません。
ジョーはたちまち一文無しとなって、
ある男の元に転がり込みます。
それは一度ジョーを騙してお金を巻き上げた男、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)。
彼は足が悪く、おまけに肺を病んでいて、食うや食わずの生活。
取り壊し寸前の廃墟ビルに勝手に住み着いていて、
罪滅ぼしと思ったのか、そこにジョーを招き入れます。
ここで二人のおかしな共同生活が始まるのですが、
まともな仕事に付く気のない彼らは、
常におけらで、暖房もない部屋で震えている。
次第にラッツォは体が衰えていくのですが、
かつてからの夢であるフロリダへ行きたいといい出します。
ジョーはそんな夢は正に夢でしかなく、
フロリダへ行ったとしても食えないことには変わらない、と解っていたでしょうね。
だって、彼こそは夢に浮かされてこのニューヨークへ来たのだけれど、
厳しい現実があるだけだった。
孤独な二人が寄り添うようにして、やっと生きているニューヨーク。
こんなときにジョーが思い出すのは、子供の頃の辛い思い出です。
ニューヨークへ来るときは楽しい思い出ばかりわき出ていたのですが、
実際は両親の不和や祖母の孤独死・・・そういう現実が重く横たわっていた。
結局彼の人生は、その延長線上を歩いているだけというのが解ってきます。
そして、問題の、ラッツォが泣くのは、ラスト寸前。
ジョー同様不幸ばかりの人生で、
そうしたあげくが自分の体さえままならないというこの現実。
泣くしかない。
正に、泣くしかないのだろうな。
だけれど、その涙の意味をわかってくれる友がいるというのは幸いだと思うのです。
これが本当に一人ぽっちなら、こんな風には泣けなかったのではないかな。
ジョーのカウボーイスタイルは、彼の夢の象徴なのだろうと思います。
ニューヨークで厳しい現実にさらされながらも、彼はこのスタイルをやめなかった。
けれど、やがてそれを脱ぎ捨てる時が来る・・・。
アメリカン・ドリームは、所詮やはり夢でしかないのか・・・。
当時の時代色が色濃く、閉塞感たっぷり。
これぞアメリカン・ニューシネマなのでした。
「真夜中のカーボーイ」
1969年/アメリカ/113分
監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:ウォルド・ソルト
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト、ブレンダ・バッカロ
(第2回 午前10時の映画祭 何度見てもすごい50本より)
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アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品群の一つですね。
先日見た「マイ・バック・ページ」の中で、
ある女の子が「この映画のダスティン・ホフマンが泣くシーンが好き」といっていた・・・。
それでにわかに興味を持って見てみたわけです。
なるほど、確かに「マイ・バック・ページ」舞台でもある1969年作品。
ベトナム戦争のさなかのアメリカでは、
厭世観にとらわれて、こういう作品が多く作られていたということなのか。
その頃の私には、やはりよくわかっていませんでしたね。
物語は、テキサスの若者がニューヨークへ夢を持ってやってくるところから始まります。
その夢というのが、
自らの肉体の魅力で都会の女たちからお金を取り、富と名声を得ようという・・・、
まあ、あまり健全ではありませんわね。
でも、精一杯パリッとしたカウボーイスタイルで、
ニューヨーク行きのバスに乗り込むジョー(ジョン・ボイト)の高揚感、
なかなかステキです。
こんなとき彼は、幼い頃たっぷり祖母に愛された幸せな思い出をたどっています。
今ならなんだってできる。
何をやってもうまくいきそうな気がする。
さて、しかし。
もちろんニューヨークはそんなに甘いところではありません。
ジョーはたちまち一文無しとなって、
ある男の元に転がり込みます。
それは一度ジョーを騙してお金を巻き上げた男、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)。
彼は足が悪く、おまけに肺を病んでいて、食うや食わずの生活。
取り壊し寸前の廃墟ビルに勝手に住み着いていて、
罪滅ぼしと思ったのか、そこにジョーを招き入れます。
ここで二人のおかしな共同生活が始まるのですが、
まともな仕事に付く気のない彼らは、
常におけらで、暖房もない部屋で震えている。
次第にラッツォは体が衰えていくのですが、
かつてからの夢であるフロリダへ行きたいといい出します。
ジョーはそんな夢は正に夢でしかなく、
フロリダへ行ったとしても食えないことには変わらない、と解っていたでしょうね。
だって、彼こそは夢に浮かされてこのニューヨークへ来たのだけれど、
厳しい現実があるだけだった。
孤独な二人が寄り添うようにして、やっと生きているニューヨーク。
こんなときにジョーが思い出すのは、子供の頃の辛い思い出です。
ニューヨークへ来るときは楽しい思い出ばかりわき出ていたのですが、
実際は両親の不和や祖母の孤独死・・・そういう現実が重く横たわっていた。
結局彼の人生は、その延長線上を歩いているだけというのが解ってきます。
そして、問題の、ラッツォが泣くのは、ラスト寸前。
ジョー同様不幸ばかりの人生で、
そうしたあげくが自分の体さえままならないというこの現実。
泣くしかない。
正に、泣くしかないのだろうな。
だけれど、その涙の意味をわかってくれる友がいるというのは幸いだと思うのです。
これが本当に一人ぽっちなら、こんな風には泣けなかったのではないかな。
ジョーのカウボーイスタイルは、彼の夢の象徴なのだろうと思います。
ニューヨークで厳しい現実にさらされながらも、彼はこのスタイルをやめなかった。
けれど、やがてそれを脱ぎ捨てる時が来る・・・。
アメリカン・ドリームは、所詮やはり夢でしかないのか・・・。
当時の時代色が色濃く、閉塞感たっぷり。
これぞアメリカン・ニューシネマなのでした。
「真夜中のカーボーイ」
真夜中のカーボーイ [DVD] | |
ウォルド・ソルト | |
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン |
1969年/アメリカ/113分
監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:ウォルド・ソルト
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト、ブレンダ・バッカロ