東條英機について、一言。

自決に失敗し、東條はコルトの弾丸が貫通した肺の傷よりも、激痛であったに違いない屈辱を味わった。「死に損ない」の汚名を着せられた東條は、東京裁判で勝者連合軍の怨みと報復を1人で受ける姿勢を見せた。

「我国にとり無効かつ惨害を齎した昭和16年12月8日に発生した戦争は、米国を欧州戦争に導入するための連合軍側の挑発に原因し、我国としては、自衛戦として回避する事ができなかった戦争であると確信する」「......開戦決定の責任も、また内閣閣員及び統帥部の者の責任であって、絶対的に陛下の御責任ではない」 (冨士信夫『私の見た東京裁判』下 講談社、1988年)

死刑を覚悟していた東條は、戦争の全責任を一身に受け、天皇陛下を護(まも)り、少しでも「汚名」を拭いたかったのであろう。

1945年9月11日午後4時15分に「死に損なう」前、東條が書いた遺書には「自衛戦」のことは記してあるが、「陛下の御責任」については何も触れていない。しかし、次の一句がある。


「戦争責任者ヲ追及セント欲セバ我ニ在ラズシテ彼(英米人)ニ在リ」。

名俳優・津川雅彦が東條英機を演じる


1998(平成10)年5月、映画「プライド 運命の瞬間」が東映で製作された。「東京裁判」が主役である。

世界的に有名な週刊誌アメリカの『タイム』(1998年5月25日号)は、1頁全部を使い、厳しい東條批判をし、映画をも扱き下ろした。そのうえ「日本」までが攻撃の対象になった。


「驚くべきことは、日本国内でのこの映画が何等非難を受けていないことである。これは、声の大きい右翼連中が自分たちの考えを日本社会に押しつけている証拠 である。......そして、マスコミも何等批判もしない」


映画1本、それも戦後初めて東京裁判を見直してみようとする試みに対して、これほどの反応を示すアメリカのマスコミは、東條や東京裁判に関するアメリカの観念が戦後50余年間全く変化していないことを克明に表わしている。