戦犯はA級だけではない
B・C級戦犯という人たちもいた。B・C級は、捕虜虐待、民間人の殺害、略奪などの行為をした罪を問われた。終戦と同時に、国内および外地で捕らわれた日本人「戦犯」だ。
1998(平成10)年6月13日に、50年を経て外務省がやっと公開した資料によれば、連合軍7カ国がB・C級戦犯5702人を裁判にかけ、4404名が有罪判決を受け、その内、984名が死刑にされた(『産経新聞』1998年6月14日)。
アメリカは、143名の日本人B・C級戦犯を死刑にした。イギリスは、223名。オーストラリア、153名。オランダ、236名。フィリピン、17名。中国(国民政府)、149名。
外務省はすでに、1950(昭和25)年4月5日現在のB・C級戦犯につき詳しい統計を発表している(『毎日年鑑』1951年、110頁)。1998年に公開された数字とほとんど同じだ。フランスは52人に死刑を宣告し、20人を処刑した。
ソ連と中国(北京政府)で戦犯として裁かれ、死刑になった日本人の数は、未だに不明である。スターリンは、戦犯でなくとも捕虜なら殺しても問題はないと思っていた。毛沢東も自国民数100万人を粛清したと言われている。
彼等にとって、日本人は全員戦犯だったのだ。