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医大生・たきいです。

医大生的独言。

あれから7年

2018-03-11 14:53:18 | 医大生的生活


東京メトロの乗り換えで、こんな広告を見つけました。「宮城は現在も現実に立ち向かう」。医大生・たきいです。







2011年3月9日。現役の大学受験に失敗したことを知り、浪人することを決めた私。その2日後に、東日本大震災は起きました。

当時、一番感じたことは「無力感」。実家は山の上にあるので津波の心配は全くなかったのですが、家の中はすごいことになって、自分のことだけで精一杯。

「どんなに大変な状況になっても人の力になれる生き方がしたい」

やっぱり医学部!と決意を新たにした私は1年間の浪人生活をがんばりました。

あれから7年。当時まだ高校卒業したてだった私も、医学部を卒業し、国試に受かっていれば4月から研修医です。不安もあるし、病棟でもたくさんの「無力感」を感じてしまうのだろうと思います。それでも、折れずに打ち克つ生き方がしたい。

故郷宮城に帰ります。

ーー「宮城っていいよ」と、声を大にして。ーー

案内します。いつでも遊びにいらしてくださいませ。








(何気ない日常の喜びを、これからも書き留めていきたいと思う人)
医大生的コラム。医大生・たきいです。

東医体運営委員会追いコンでした

2018-03-10 23:59:15 | 医大生的生活


新橋で追いコンしてもらいました。「裏のエスカレーター」にピントが合って辛い(笑)。医大生・たきいです。





2年生から5年生まで仕事をがんばった東医体運営委員会。これまで大々的に「追いコン」をやる慣習はなかったのですが、長崎の星、我らが運営本部長の人望が厚かったためか、盛大に追い出してもらいました。会議直前の代だけは準備で来れなかったようなのですが、集まったのはなんと5代にわたって。全部で14大学も。大学は違えど、後輩のみんなのことは応援しています。

「仙台遊びに行きます!」
ってたくさん声かけてもらいましたが、果たして何人来てくれるかな?笑

これから先つらいことがあったら、東医体乗り越えたんだしと、ちょっと昔を振り返って元気を出そうかなと思っています。

楽しい追いコン、本当にありがとう。







(新橋と品川の位置を勘違いしてあたふたしていたところで、終電に間に合うように慈◯生の後輩に救ってもらえた田舎者な人(笑))
医大生的コラム。医大生・たきいです。

「歩数」でみる医学部6年生の1年間

2018-03-09 19:59:55 | 医大生的生活

春に向けての書類関係を全部書いたら3時間以上かかりました(笑)。大人の事情で他大の人の10倍くらい書類の枚数ある気がするんですが、全部提出できたのでホッと一息。3月19日(!)までは何もしなくてよくなったので、今度は国外逃亡して参ります。医大生・たきいです。





このグラフを見て笑いました。2017年度、医学部6年生という時間を過ごした1年間の歩数でございます。


春先は「6年生だ~!」って言って浮かれていました。ごめんなさい。「1万歩を目指せ!」とよく言われる中、車社会では1日平均8000歩が限界でした。恐らく、「純栃木」の平均歩数はもっと少なくて、東京に遊びに行った日に歩数を稼いでいたんだと思う。


夏休み明けの夏卒試が近づくにつれ、引きこもって勉強ばかりしている様子が如実にグラフに現れています。


国試が近づくにつれ、だんだんと減っていく歩数。残酷だ。


国試が終わってからというもの、呪縛から解かれたように卒業旅行に、引っ越しに、と忙しい毎日を過ごしていたら、余裕で1日平均1万歩超です。週明けから海外行ったらもっと歩く気がします。

医学生という生き物は「試験」に束縛されるものだったんだなと改めて感じた次第です。卒業できて、本当によかった。笑







(3月もあっという間に終わる予感がしてきた人(笑))
医大生的コラム。医大生・たきいです。

今日から仙台市民です

2018-03-08 18:52:20 | 医大生的生活


今日から仙台市民ー! 医大生・たきいです。





新居はこちら。





キレイすぎる。初期研修終わって退去するとき、いくら取られるんだろう…(汚す自信しかないw)




「仙台市民の恥さらし〜」
っていう野次は、仙台一高二高定期戦で頻用されるフレーズですが、「恥さらし」にならないよう、謙虚に仙台市民として生きていきたいと存じます。





(仙台ってちょうどいいなと思う人(笑))
医大生的コラム。医大生・たきいです。

ありがとう栃木県!

2018-03-07 23:59:47 | 医大生的生活


今日の最終新幹線で仙台に帰ります! あー、なんだか寂しくなってきた。医大生・たきいです。




対外的に活躍し、輝いている同級生はたくさんいました。「医大生・たきい」はそこそこ輝いていたような気もするけど、ひとりの医大生としての「リアル」なぼくは結構地味な存在だった気もします。「なんとか」6年間で卒業できたタイプだし、運動部も怪我して1年生のうちに辞めたし。そんなフツーなぼくにも自慢はあって、それは、6年間過ごした第2の故郷・栃木県を好きになったこと。入学する前は北関東3県の位置すら怪しかったのに(笑)、今では北関東同士の醜い争いをネタにした番組をみればいつも栃木贔屓をしてしまうくらいには、栃木のことが好きになりました。

栃木の良さは、なんといっても人の良さ。

陶器のまち、益子。多い時には週に2回も行っていた時期もありました。栃木の中で一番好きな町は益子です。「またいつでも遊びにおいで」と言っていただいて、将来家庭を持つことがあったら、家族みんなで遊びにいきたい場所です。なんだか落ち着くところなんだな、益子。


2年生のときに実習でお世話になった老健施設の職員さん。たくさんよくしていただいて、何度か飲みにも連れて行ってくださいました。「楽しく働くこと」をここでは学ばせていただきました。今日は栃木最後のご挨拶。卒業祝にネクタイをいただいてびっくり。大事にします。辞令をもらいにいくときにこのネクタイつけていこうかな。


ぼくの大学生活をより豊かにしてくれた、うしとらブルワリー。大学裏の醸造所。学園祭出品に漕ぎ着けたときは嬉しかったし、その後も樽買いするくらいのファンになりました。「仙台ではクラフトマンで飲めます」とのこと。華やかなIPAならここが一番です。今後ともよろしくお願いいたします。


大学生活で1番楽しかった学年は、6年生でした。毎日充実していたおかげで、囲碁将棋部の活動には今年1年間1回も顔を出せませんでした(笑)。そんな自分勝手な私もあたたかく追い出してくれたのは、やっぱり囲碁将棋部。


米長先生の扇子という、センスのいい卒業記念品。


居酒屋で堂々と将棋を指し(笑)、


強い後輩とは、2勝2敗の指し分け。これはまた遊びに来なきゃな。最終新幹線の時間が迫ってきたので、これにておいとま。。。







仙台に、帰ってきました。ただいま。



(ゆーてまたすぐ東京行くので栃木はスルーしてしまう人(笑))
医大生的コラム。医大生・たきいです。