山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

久しぶりにキセル貝に出会う

2020-04-20 22:33:40 | 生き物

 久しぶりに雨の散歩を楽しむ。ねらいは、茶畑の石垣に生息するキセル貝に会うためだ。雨が降ったときときどき見に行ったときがあるがいずれも不発だった。しかしきょうは二体に会うことができた。食材は雑食のようで、野菜くず・苔類・石灰岩・枯葉などだが、石垣には苔がいっぱい生えている。

          

 いつも絶滅してしまうのではないかと心配していたが、逢えてよかった。雨の時以外はまったく発見できないので、普段は石垣の隙間に隠れているらしい。オイラが寝小便を心配していた時代、植え込みの土の上で空のキセル貝をときおり発見して、海でないのになんでこんな貝があるのかが不思議だったのを想い出した。

        

 キセル貝のいたすぐ近くの石垣で、「コウガイビル」も発見。じつは、コウガイビルの食事は、ミミズ・ナメクジ・カタツムリなどの肉食なのだ。したがって、キセルガイの天敵はコウガイビル。キセルガイに危機到来を教えてあげたいが日本語は通じない。生きるって死と同居しながら伴走することなんだなー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「千歯こき」ついにデビュー

2020-04-19 21:12:17 | 農作業・野菜

 4月の上旬に「千歯こき」の修理をする。板の割れがひどかったので取り換えることにする。相変わらず捨てずにあった端材を利用することができた。よく見ると、この台は台形であるのがわかった。

         

 同じ厚さの板と幅広い板がぴったりの板を探すのに時間がかかる。これでいよいよ本番を迎えられる。本当は12月早々には終わっていたはずだったが、グータラ病は完治していない。

    

 昨年に収穫しておいたエゴマをしごいてみる。枝が長ければ足踏み脱穀機を使うはずだったが、枝を短く収穫したのが失敗。そこで、千歯扱きの出番となったわけだ。足踏み脱穀機より自分のペースでゆっくりできるのが千歯こきの良さであるのがわかる。足踏み脱穀機は大量な処理にはいいが、手が巻き込まれる危険がある。

        

 4種類くらいの目がある「ふるい」を使ってとりあえず殻を除去する。まだ小さいゴミが混じっているので、これからは「唐箕」の出番だ。今月中には完了といきたいものだ。千歯こきの技術革新は、元禄期の大阪にはじまり50年間の間に全国に広まる。エネルギーはゼロというエコな農具でもある。それまでは、竹でできている割りばしみたいな「こき箸」の隙間で脱穀していたから大変な労力が必要だった。だから、この技術革命は明治・大正期まで活用されていたわけだ。

       

       

 千歯扱きには、稲用と麦用とがあるのを始めて知った。歯の隙間が密なのが稲用(上画像)。丸みがあり隙間がやや広いのが麦用(下画像)。したがって、わが家の千歯こきは麦用らしい。もしくは両用かもしれない。(二つの画像は京都府精華町教育委員会から)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あらたふと青葉若葉の山の里

2020-04-18 21:27:12 | 風景

 日光を訪れた芭蕉は「あらたふと青葉若葉の日の光」と詠んで家康の威光を讃えた。東照宮のきらびやかさと緑なす自然との対照を見事に詠んでいる。たしか、この句は国語の教科書に載っていて珍しくオイラの縮んだ海馬の片隅に残っていた。

 そんなおり、杉ばかりの針葉樹が目立つわが寒村も、春には若葉が燃える風景がそこに確かにあることにあらためてハッとする。

 

 しかしそこには、もう一つの現実があった。数年前全焼にあった家の柱や樹木の片鱗が近くに遺されていた。その一家は今どうしているのだろうか。最近煤だらけだった樹木を伐採したらしく新たな動きがはじまったようだ。遠くの桜がこの風景を癒してくれている、溶かしてくれているという気がしてならない。 芭蕉の見た東照宮とは違って、こちらのほうが人生のはかなさ、人は自然の一部分であることをいざなう風景がある。

 

 その意味で「あらたふと」という「ああ、尊いなぁ」という尊厳の気持ちを読み替えたい。だから、「あらたふと青葉若葉の山の里」なんだ。春はそれぞれの個性を生かしてくれる。それは今のうちに海馬に残しておきたい風景である。

 夏になればこの風景も緑一色に塗りつぶされてしまう。「一強体制」は個性的な多様性を潰し自主性を摘み取ってしまう。現実日本の「一強体制」に風穴を開ける主体の脆弱さにもどかしさとストレスがたまっていく。

 その意味で、気鋭の評論家・西部邁氏の絶望に共感するが、氏もこのような風景を体に取り入れていれば自死することもなかったのではないかと勝手に思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

声もスタイルも地味だけど

2020-04-17 20:50:28 | 生き物

 昨夜のこと、毎日のように飲んでいるコーヒーを突然飲みに来た闖入者がいた。翅をバタバタさせているから昆虫であることは確かだ。近づいても逃げようともしない。しばらくたってやっと落ち着いたので見てみると、バッタであることがわかった。

          

顔の先端は尖がっていて、眼は小さくてかわいい。しかし、顎は強そうだ。口の周りが赤いのが食いついたら首をも残しても離れないという「クビキリギス」。口の周りが黒いのが体色が渋色の「シブイロカヤキリ」。したがってこの闖入者はシブイロカヤキリということになる。

   

 コーヒーカップからなかなか離れないシブイロカヤキリに対し、がまんしていた当局は犯人を強制排除を強行。それでも逃げようともしないで茶碗にしがみついている。ただし犯人は、イネ科の硬い植物をかみくだすほどの顎の持ち主。かまれると出血するそうなので慎重に護送して山に釈放。家のまわりでは「ジャー…」とけっこう大きな周波数で連続的に鳴いていた。どうも鳴いていたのは心配していた仲間らしい。耳鳴りとそっくりの鳴き方なので間違えやすい。

 バッタには、鳴くのが得意な部族と跳躍が得意な部族がいるようだ。鳴く部族は運動能力が苦手、跳躍部族は声を出さないなどの特徴がある。バッタにも得意・不得意があることを知る。自然界の奥行きは深く多様である。

  

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山菜の王様・ヤマウドの刺身

2020-04-16 21:33:43 | 食彩・山菜・きのこ

 畑の一隅で「ヤマウド」の若芽を発見。毎日のようにこの若芽を探していたものの雨があったりこのところうっかりしていたところだった。さっそく、根元近くを掘ってみる。すると赤い茎が見えてきた。

      

 収穫にはやや早いが、ヤマウドの刺身が食いたいと脳髄が命令する。逆らわずにとりあえず3本だけ試掘してみる。太さも申し分ない。今年初めて生で食べるヤマウド刺身だ。

            

 あわてていたので酢水につけるのを忘れていて白身がいまいちだが、太い茎をスライスする。味噌をちょっぴりつけながら食べる。「柔らかい!!」市販のウドより数倍コクがあるのが特徴だ。さすがに「ヤマウド」だ。

 十数年前、この味を求めて山菜ツアーに参加し、崖の斜面を命がけで登ってきたのを懐かしく思う。

       

 ヤマウドは捨てるところがない。皮もスライスしてキンピラのようにして炒めるのが定番だ。きょうは天ぷらにしていただいた。いつもは五月の連休前後に食べたものだが、二週間ほど前倒しで食べたことになる。ヤマウド特有のシナモンのような香りがたまらない。もう少し大きくしたらじっくり食べてみたいと、脳髄に報告する。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出始めた「コゴミ」を収穫

2020-04-15 22:28:39 | 食彩・山菜・きのこ

待ちに待った春の山菜「コゴミ」を裏山の裾で収穫。7~8年前だろうか、数株いただいた苗を日陰で湿った所に植えたら、環境がぴったりだったのだろうか、今では20株近く増えてきている。

         

 「コゴミ」は、くるっとした若芽のようすの前かがみ状態から「こごむ」→「こご実」と呼ばれるようになったようだ。別名は、「クサソテツ」で、大きく四方に開いた葉がソテツの葉に似ていることから命名された。

 

 

  さっと茹でて水切りするだけですぐ食べられるのがいい。他の山菜に比べてアクも少ない。茹で過ぎないのがコツだ。十数年前、師匠らと収穫したときの味がいまだに忘れられない。だから、すぐさま栽培したというわけだ。ふつう、山菜を育てるのはむずかしいなか、このコゴミとヤマウドは今のところ順調に成功している。

       

 調理はシンプルに醤油マヨネーズが気に入っている。味というよりシャキシャキした食感が小気味いい。咀嚼することで粘りができていくのがさらに口中を爽快にする。和宮様からは「これから太目のコゴミができて、もっとおいしくなるのであわてなさるな」と教育的指導を受けた。数日で葉が開いてしまうので毎日様子をみなければならない。そのタイミングが計るのにいつも苦労する。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼンマイ病感染注意報!?

2020-04-14 21:08:45 | できごと・事件

今年もついに和宮様がゼンマイ病に感染してしまった。残念ながら特効薬はない。裏の道草山にお忍びで進入した和宮さまは、藪扱きしながらもゼンマイを収穫していった。それまでは肩が痛いとか足が重いとかおっしゃっていたが、道なき道をずんずん登っていったのだ。

        

 篭いっぱい収穫してきた時は、疲れたとは言いながらも逆に元気になったようだ。このゼンマイ病は感染すると元気になるという特徴がある。

  

 夜はゼンマイのワタや若芽を取り除いていく。ずっと作業をしていくと指が黒くなりなかなかもとにはもどらない。少し、水を指につけてしごいていくのがコツであるのがわかったという。

 

 茎の束がどんどんたまっていく。このくらいで時価10500円かな?。手間の大変さや危険度を考えるとこのくらいはするぞというわけだ。

       

 天気のいい日を選んで干していく。このところ風が強いので駐車場で天日干し。一本一本並べていくのはまるで修行のようである。風が強いといっきに飛ばされてしまうので重しは外せない。

      

 あれだけあったゼンマイも天日干しすると縮んでしまう。これを手で揉んでいき再び天日干しを行う。手間を考えるとゼンマイの国産は極めて少ない理由がよくわかる。乾燥することで永く保存ができるという知恵の宝が乾燥ゼンマイでもある。秋の祭りの時には地元の方に食べてもらうのが数年前から続いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこのけそこのけスミレが通る

2020-04-13 21:06:24 | 意見・所感

 わが畑の脇の道に一株だけいわゆる「スミレ」が咲いていた。いつもの位置より7~8mほど路上のコンクリートに近づいていた。なかなか群落にはならないのでわが家の環境は気に入っていないようなのだ。それなのに、近所の家の坂道にはスミレの二列縦隊が誇らしげに楽隊を形成していた。

  

 そう言えば、知の巨人と言われた故加藤周一氏は、戦後まもなく戦時中の文学青年を批判して「新しき星菫派(セイキンハ)」と呼んで論争になったことがあった。つまり、星やスミレに託して恋愛や感傷を詩歌にしたロマン主義文学者を痛烈に酷評したのだ。言い換えれば、新しき星菫派は、その戦時体制に対しては黙して現実逃避したのに、戦後は平和主義の旗手のような平然とした態度に加藤氏は容赦ない怒りをあらわにしたのだった。

  

  星菫派は与謝野夫妻の雑誌『明星』に結集する若き文学者群だが、加藤氏はその後の戦時体制から戦後にかけて無節操に転向する文学者を、「新しき星菫派」と揶揄したのだった。
 つまり、「相当洗練された感覚と論理を持ちながら、およそ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判をなし得ない青年」たちと烙印を押す。

 加藤氏の投げかけた問いはそのまま現代の平和ボケした世相にも当てはまる気がしてならない。戦前・戦中・戦後の文壇の無力・無責任はいまだ変わってはいない。

          

 それはテレビによく出演する評論家たちの受けねらいや迎合の風潮に、加藤氏の鋭さはいまだに錆びてはいない。スミレを愛好するオイラの立場も星菫派に近いのかもしれない。

 そんなことを考えつつスミレを見ているわけではないが、宝塚ファンの娘からは「時代をえぐる歌劇も上演していることもあるのよ」と釘を刺された。また、加藤氏も晩年は柔軟になったらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世阿弥の屈辱と孤高の生涯を怜悧に

2020-04-12 20:33:05 | 読書

 世阿弥の度重なる悲劇的な生涯が気になっていたので、杉本苑子『華の碑文/世阿弥元清』(中央公論新社、1977.8)を読む。能や世阿弥に傾倒してきた杉本苑子の渾身の力作である。彼女の作品は辞書や漢和辞典がないと前に進めない。ふだん使わないかつての能用語・調度・衣装・用具の呼称がふんだんに出てくる。そこに時代に生きる登場人物への並々ならぬ冷徹で情熱的な作者の思い入れがある。

 本書にたびたび出てくる稚児・美少年に対する高僧・武士の男色場面は、少年時代に味わう屈辱の歪みが刻印され、それがおとなになっても人間不信や対人関係に現れていくところの着眼点が秀逸だった。

       

 さらに、家族や権力者らとの愛憎・反目の環境に翻弄されながらも、娯楽の猿楽から芸術の能へと永遠の美を探究する世阿弥の孤高の精神世界を、弟・音阿弥の視点から描いていく。世阿弥の研ぎ澄まされた熾烈な欲求は、「不易(フエキ)の愛はない。しかし不易の美はある。私は愛の不変は信じないが、美の永遠性は信じたい」と語らせる。

  

 だからこそ、能は時空を越え600年近くも生きていられる。その証明を杉本苑子は歴史的な背景、つまり芸術に造詣にある将軍義満や凶暴な義教らの政治、南朝方にルーツを持つ世阿弥への遠流など、時の権力に翻弄されながらもいのちがけに突き抜けていく世阿弥の生きざまを丹念に描いている。 

   

 「親子恩愛の悲嘆などは、はじめからかならずそうなると覚悟してかかっていれば処理しやすいものだ。…不幸は人を聡明にする。望むとまでは言わないが、あえて不幸を、私は忌避しようとも思わないよ」と世阿弥は語った。家族・人間関係を超えた芸術(碑文)を永遠に遺そうとした世阿弥の孤絶の世界に惚れ込んだのが杉本苑子だった。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こわおもてのタヌキ発見だが

2020-04-11 21:53:45 | 石仏・石造物

 郵便物をポストに投函するのをチャンスに路上観察を楽しむことにしている。もちろん、歩いてこその発見がある。田舎の人の多くは歩くより自動車利用のほうが多い。歩くことで春をつかみ、風のそよぎをキャッチし、路上にあふれる自然やモノの奥行きを探検するのだ。

 そんなとき、こわそうな顔のタヌキの石像を発見。そこにあるのは知ってはいたが、表情がこんなに強面であるとは見過ごしていた。

            

 タヌキの置物は信楽焼が有名だ。昭和26年に信楽に行幸した天皇を小旗をもつ信楽焼のタヌキが歓迎したということで、天皇も歌を詠むほどに感激し、そこからタヌキの信楽焼が全国に広まっていったという。それ以上に、「八相縁起」があるとして商売繁盛の願掛けとして利用もされていった。タヌキは「他を抜く」=「競争に勝つ」=「儲かる」という意味あいを持つという。

 

 

 いかにも日本人的な現世利益が気になるが、この狸の置物の「八相縁起」は、①笠ー災害から守る ②目ー気配り・注意力向上向上 ③顔ー顔の広さと笑顔で人間関係つなぐ ④腹ー沈着・くいっぱぐれない ⑤尻尾ー終わりよし ⑥金〇ー金運 ⑦徳利ー人徳が身に着く ⑧大福帳ー信用確保など、があげられる。

 ただし、この狸の表情には笑顔がないのはなぜだろうか。むしろ、怒りを表現している。自分に都合よい利益しか考えない人間への怒りだろうか。口当たりのいいことには興味を持つがそれ以上のことには「三猿」になってしまうという日本人批判か、とか、勝手に推測してしまう。そんな想像力を膨らませるモノがそばにあったことで、散歩してみてよかったと思うのだった。       

             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする