山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

世阿弥の屈辱と孤高の生涯を怜悧に

2020-04-12 20:33:05 | 読書

 世阿弥の度重なる悲劇的な生涯が気になっていたので、杉本苑子『華の碑文/世阿弥元清』(中央公論新社、1977.8)を読む。能や世阿弥に傾倒してきた杉本苑子の渾身の力作である。彼女の作品は辞書や漢和辞典がないと前に進めない。ふだん使わないかつての能用語・調度・衣装・用具の呼称がふんだんに出てくる。そこに時代に生きる登場人物への並々ならぬ冷徹で情熱的な作者の思い入れがある。

 本書にたびたび出てくる稚児・美少年に対する高僧・武士の男色場面は、少年時代に味わう屈辱の歪みが刻印され、それがおとなになっても人間不信や対人関係に現れていくところの着眼点が秀逸だった。

       

 さらに、家族や権力者らとの愛憎・反目の環境に翻弄されながらも、娯楽の猿楽から芸術の能へと永遠の美を探究する世阿弥の孤高の精神世界を、弟・音阿弥の視点から描いていく。世阿弥の研ぎ澄まされた熾烈な欲求は、「不易(フエキ)の愛はない。しかし不易の美はある。私は愛の不変は信じないが、美の永遠性は信じたい」と語らせる。

  

 だからこそ、能は時空を越え600年近くも生きていられる。その証明を杉本苑子は歴史的な背景、つまり芸術に造詣にある将軍義満や凶暴な義教らの政治、南朝方にルーツを持つ世阿弥への遠流など、時の権力に翻弄されながらもいのちがけに突き抜けていく世阿弥の生きざまを丹念に描いている。 

   

 「親子恩愛の悲嘆などは、はじめからかならずそうなると覚悟してかかっていれば処理しやすいものだ。…不幸は人を聡明にする。望むとまでは言わないが、あえて不幸を、私は忌避しようとも思わないよ」と世阿弥は語った。家族・人間関係を超えた芸術(碑文)を永遠に遺そうとした世阿弥の孤絶の世界に惚れ込んだのが杉本苑子だった。  

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