山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

路地裏から世界を見る

2024-08-03 20:32:40 | 読書

 下町風情がまだ残る商店街に起業家の平川克美が公民館のような喫茶店を開いている。店内でイベント・コンサート・ギャラリー・講演会などを開催し、彼の経営者・著述家としての集大成ともいうべき企業理念を現実化している。タイトルが気に入った彼の著作『路地裏で考える』(ちくま新書、2019.7)を読んでみた。サブタイトルは、「世界の饒舌さに抵抗する拠点」。

  

 著者は最初に、「足元の現実、日々の暮らしの中から見えるもの、…それを自分の問題として考える言葉を探すこと、それがわたしが自分に対して課したルールであった。…<路地裏目線>というものがあるとすれば、…わたしはその目線の先に見える風景の観察者でありたい」と宣言している。

 本書の構成は、1章「路地裏の思想」、2章「映画の中の路地裏」、3章「旅の途中で」。2章は興味はあったが、やはり現実の路地裏からの発信には距離があった。3章は各地の温泉地めぐりとなっていて「足元の現実」からはほど遠い。

 

 本書の眼目はやはり第1章と言える。日本が経済成長を続けている時代に「あしたのジョー」が登場し、その後の経済の低迷とともに終焉を迎える。その11年後に長期連載となり映画にもなっていく「釣りバカ日誌」だった。加えて、「天才バカボン」も外せない。現在の日本の担い手群団はこれらのマンガに大きな影響を受けていたのは間違いない。オラも場末のラーメン屋で週刊漫画誌を読むのが楽しみだった。安定に見えた80年代の市民社会はヒーローを必要とした時代が終わったということを意味したという著者の鋭い指摘が冴える。(イラストは井上直寿さん)

 

 その意味で、「釣りバカ日誌」のハマちゃんの生き方ががちがちのサラリマン社会を軽快に穿つ清涼剤だった。経営者でもある著者は、「あまりにも長い間、会社というものが社会の中心に座り続け、…会社がひとつのフィクションでしかないことは見過ごされている」と見事な分析をしている。

 

 現在、著者は路地の多い下町風の地域で喫茶店を経営していて、そこが知的なコミュニティ・居場所になっているようだ。ただし、残念なことに本書にはそこの地域の路地裏が出演していない。路地裏は長屋でもある。そこに、落語に登場するような大家さん・個性的な職人・おかみさん・よたろうといった庶民の顔や背景が必要だ。

 

 そこが不満だったが、「過去と未来を架橋するのは、経済原理の外側に自らの足場を築いているものたちである。…しかし、その声はあまりに小さく、忙しい現代の街角では騒音に紛れてしまうだろう。だから、わたしは、せめて負け犬の遠吠えが響く路地裏を、今日も散歩し続けていたい。」と、結んでいる。

 すばらしい結びだ。混迷し饒舌な世界のただなかで、経済原理の外側に足場を持つ人々がここの喫茶店から輩出していると思われるので、それをぜひ次に読んでみたいと思った。いくつかの著書のタイトルがきわめて新鮮だった。それは詩人を憧れる平川さんの感性の襞が豊かなのを感じる。おもわず5冊くらいまとめ買いしてしまった。

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