50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

先人たちの知恵②

2006-04-17 00:30:26 | 先人の知恵
先日の金子光晴氏に続いて、今回は、フランス文学者・海老坂武氏の著書です。

・パリ ボナパルト街

1972年春から73年夏にかけて、2度目の滞在としてパリに暮らした際の、思索の遍歴をつづった本です。大学教師としての幅広い知識・教養と、現実を直視しようという強い意思が、なるほどと思わせる多くの文章を紡ぎだしています。ただ、一般的な日本人にはパリは理解できない、パリを理解できるのは自分のような人間だけだ、といった高揚した気持ちがところどころに顔を出しており、ごく普通の一般人である私のひがみ根性を刺激してくれました。

「しかし、フランスの親たちが息子や娘に金を出し惜しむ理由は、日本の親たちが想像するように教育的配慮によるのでは必ずしもない。それも幾分はあるかもしれぬ。しかしどうもそれだけではない。私の観察によればこうである。
一定の年齢まで子供たちを立派に(comme il faut)養うこと、これは親の義務である。しかし、大学に入り、子供たちが親の手元を離れた時点から、子供に金をくれるのは親の〈損〉になる。言いかえれば、成人となった子供とは親にとって〈他人〉なのであり、〈他人〉であるかぎりにおいて子供たちにたいしても〈利害〉の関係が生ずるのである。」

「フランスの知識人と話しをしていると、彼らの口からときに、フランスにたいする、フランス文化にたいする自嘲的な響きがもれてくることがある。(略)日ごろ彼らの自足しきった〈ナショナリズム〉にうんざりしているこちらにしてみれば、おやという気になり、とっくり耳を傾けたくなる。ところがしばらくしてわかってくることは、彼〈彼女〉はフランスへのこの悪口嘲罵におおいに楽しみを覚えているということ。そこにあるのは深刻な自己否定などというものではなく、自己への距離を言葉にして遊ぶというきわめてフランス的なゲームなのである。」

「そこ(私註:モンパルナス墓地にある墓のひとつ)には間違いなくこう書かれてあった。『コート・ディヴォワールをフランスに寄贈せしL-G・B将軍に捧ぐ』言うまでもなく、コート・ディヴォワールとは今日まぎれもなき独立国である。しかしこの将軍にとってはコート・ディヴォワールとは武力によって勝ち取った私有財産以外のものではなかったのであろう。しかも彼は寛大にもこれをフランス国家に寄贈した!
ところでよくよく見れば下のところに、この記念碑の贈主の名が明かされていた。そこにはパンテオンの正面に記されているのと同じ文字が刻み込まれていた。『祖国は感謝する』」

「パリの学生と地方の学生の間にはある決定的な断層があって、地方出身の学生は常にそのことを意識させられているようだ。」


(海老坂氏が住んでいたボナパルト街の今日。サン・ジェルマン・デ・プレ方面から見たところです。この通り、サン・シュルピスには、かのパティスリ界の巨匠、ピエール・エルメの店があるおしゃれな通りです。)

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2 コメント

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なかなか難しい・・ (アネゴ)
2006-04-17 14:46:56
親子関係については今の日本の若者には少し親との関係をフランス人に学んでしっかりしてもらいたい気もします。とはいえ今の日本の政治国家は若者に対して自立支援の環境を整えていないのが現状、そうなると親としても他人になる事はきっと日本人には出来ないでしょうね・・

もっとも国に依存しすぎても「あまえの構造」になってしまうから良くないわけで・・・

しかしフランスへ渡った日本人の著者は言いたい放題ですなあ

パリの町並みは整然として気持ちがいいですね
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Unknown (take_uu2004)
2006-04-17 15:03:42
土居健郎氏の著作に『甘えの構造』というのがありましたね。ずいぶん昔の本です。30年ほど前になりますか?同年代でないと知らない本かもしれません。

甘え合う、自立しない、出る杭は打つ、皆で足を引っ張り合う・・・均一を旨とする日本社会の特徴の一端ですね。ぬるま湯が気持ちいいのは事実ですが、今の時代、これだけではまずいのではないかと思います。
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