今回ご紹介するのは、『フランスという幻想~共和国の名の下に』です。著者は、河村雅隆氏。NHKでプロデューサーとして活躍された氏が、1991~93年にロンドンに駐在。その間、頻繁にパリにもいらっしゃったようで、しかもその前後も含め、テレビ・メディアに身をおく方の視点でフランスをしっかり見つめてこられたようです。そのフランス像を文章にまとめたのがこの著作で、1996年に出版されています。10年以上も前に書かれていますので、変化してしまった部分もあるかもしれませんが、本質を見抜いた慧眼に接することの出来る部分が多く残っています。フランスに関する部分を中心に抜粋してご紹介しましょう。
(Le Mondeの週末号に挟み込まれる翌週のテレビ・ラジオ欄です。)
・フランスにおいては、政治家も一般の人たちも、自分たちの国のことを、よく「レピュブリック」と呼ぶ。もちろんその意味は「共和国」ということなのだが、その言葉には、「フランスの政治体制は君主制でなく、あくまで共和制なのだ」という、はっきりした意思が込められているように思えてならない。
・世界の数ある国の中で、国民一人ひとりの愛国心の強さという点にかけて、フランスは文句なしにトップクラスにランクされるだろう。しかしその国民に「ではフランスとは、一体どういう国家なのか」という質問をしてみたら、返ってくる答えはそれこそ百人百様のものではないか。
・人間には確かに、「衣食足りて礼節を知る」というところがある。経済が順調で、今日よりも明日、明日よりもあさってのほうが生活が向上していくという確実な見通しが持てる時、人間は他人に対して、ゆとりを持って接することが出来る。しかし、逆に社会が停滞してくると、人々は自分たちの既得権益をしっかり守る方向へ走り始めるだろう。そしてその時、人々の警戒感や敵意は、そのコミュニティにあとからやってきた少数者たちに対してまず向けられがちなのである。
・歴史的に見て、国民国家の祖国フランスとは、一方で極端なまでの「自国第一主義」を貫いてきた国でもある。そうした姿勢は、戦後の核開発をめぐる動きを見るだけでも明らかだろう。そこでは、核の実験場となったアフリカや太平洋の国々に対する配慮など微塵も感じられなかった。あるのはただ、それらの地域と世界の中で、フランスの「プレザンス」を主張し続けたい、という強烈な国家意思だけだったのである。
・フランス人の多くは長い間、「フランスのように豊かな国が、何を好きこのんでヨーロッパの他の国々と一緒にならなければならないのか。自分たちが『犠牲』になる必要などどこにあるのか」と素朴に信じ込んできた。そもそも彼等にとって、統合されたヨーロッパのイメージとは、フランスをヨーロッパ全体に広げたものだ、というくらいのものでしかなかったのである。しかし進行しつつある現実は、フランス人たちにそんな幻想を抱き続けることを許さなくなってきている。「フランスの栄光」と「ヨーロッパの統合」とは両立し得ないのではないか――フランス人たちは今頃になって、そんな思いを噛みしめているようなのである。
・そして、次々に起きてくる新しい動きは、フランス人たちに対して、「フランスとは、EUを構成する重要な要素ではあるが、そのひとつの地域にすぎない」という認識を強いつつある。そのような自画像を認めることは、自分の国を第一と考え、大国意識を持ち続けてきた人たちにとって、苦痛でないはずがない。統合に向けてのうねりの中で、フランスは今、国民国家から脱皮して新たな国家像を構築できるかの、産みの苦しみの中にいるのである。
・多くの国では、企業の内部というのは、管理職(幹部)は管理職、労働者は労働者というように、はっきりしたかたちで「二分化」されているということだった。(略)日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが当たり前のことだが、東南アジアなどでは、彼らが工場の現場に足を運ぶことは滅多にないし、また日本流の制服を着用することには強い抵抗があるのだという。こうした傾向は、むしろヨーロッパの企業においても本質的には違っていないと言ってよい。いや、歴史的に見れば、むしろ東南アジアの企業のほうがヨーロッパの企業のやり方の影響を受けて、そのような手法を採り入れたのである。(略)日本の組織は現場から遊離したエリートの存在を許さないのだが、世界の中で見れば、そういった原理で成り立っている社会というのは例外でしかない。
・フランスは名だたる中央集権国家である。官庁のエリートは(その大半は先述のグランゼコールの卒業生であるが)、日本の旧国鉄の「学士組」のように、超特急で昇進を重ねていくのである。
・エリートの存在を認め、それを特別扱いする社会というのは、優れた個人に存分に力を発揮させるためには、極めてよく出来ている。しかし一方そこでは、そのアイディアを商品化したり、社会全体のものにしていくことは、困難となってくる。フランス人の考え出す計画や製品については、「アイディアは素晴らしいが、それを実行に移していく段になると問題が多発する」という評価が常についてまわる。大きな計画を実施に移したり、高度なアイディアを商品化していくためには、ひとりでも多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは、ひと握りのエリートが世の中をリードしていく社会においては、期待しがたいのである。
しかし、こうした欠点にかかわらず、フランスの社会において、「エリート主義」が姿を消すことは今後もあり得ないだろう。時として反撥を示すことはあっても、フランス人たちは本音のところでは、中央集権体制やエリートの存在というものを、間違いなく是認しているからである。そして、社会のそうした雰囲気を受けて、フランスのエリートたちは、自らがエリートであることを意識し、エリートであることの処遇を当然のものとして要求し続けていくのである。
・フランスの政治の動きを見ていてわかりにくいのは、冷戦構造が崩壊した今になってもなお、左翼(gauche)対右翼(droite)という図式で国内の政治的な対立や葛藤が説明されることが多い、ということである。この図式は「左」の本家、ソ連が崩壊してしまった後も、フランス国内においては有効とみなされ、現実の政治はこの対立軸を中心に動いているものとされるのである。(略)このように左翼の勢力が強力であり続けている大きな理由は、一般にフランス人には観念的思考やイデオロギーを好む傾向がある、ということなのだろう。人間の観念や思考を限りなく純化させていけば、その過程において、マルクス主義のような思想が「勝ち残って」くるのは当然のことと言ってよい。何せその哲学は形而上学的と呼ぶに値する、強固でスッキリした体系を備えたものだったからである。
さらに、こうした思想の影響を最も強く受けたのが知識人と呼ばれる人たちだったことも、フランスの左翼運動の大きな特徴だった。もちろん、ついこの間までは、どこの国でも知識人のかなりの部分が「左翼」のシンパだったことは否定出来ないのだが、フランスの社会において、知識人といわれる人間は、いわば特別扱いを受けてきた存在だけにその影響力は大きかったのである。
・それにしても左翼勢力がフランスの政治の中で置かれている立場というのは微妙なものである。フランス人たちの思考パターンは、「心は左に、財布は右に・・・」であるとよく言われる。確かに、彼らが「左側」に置いているのはあくまで観念にすぎないのであって、現実の生活や金のからんだ問題になってくれば、話は別である。そして社会党など左翼勢力は、フランス人のそうした性向を承知した上で政治的な「選択」を行なっているようなのである。
・フランス人たちの愛国心の強さ、中でも自国の言葉に対する愛着と誇りの強さは、改めて言うまでもないが、彼らは国内だけでなく植民地に出てもフランス語を教育することに極めて熱心だった。そして、旧植民地の人たちも、そうした期待によく応えてきたのである。
しかし、旧植民地の人々がなぜフランス語を熱心に学んできたかと言えば、それは、その言葉を習得することによって、大きな現実的なメリットが期待できたからである。公務員として職を得るにしても、貿易に従事するにしても、フランス語が出来るということは極めて有利は条件たり得たのである。
そのように、フランス語はアフリカにおいて、これまでずっと重視されてきたのだが、フランスがもしアフリカとの関係をドライに見直すようになってきたら、アフリカ諸国におけるフランス語学習への意欲が一気に衰えていくことは目に見えている。現実的なプラスが期待できなくなったとき、誰があれだけ難しい言語を苦労してまで習得しようと考えるだろうか? そしてそうした兆しは、既にセネガルなどでは現実のものとなっている。そこでは、伝統的なフランス語に替わって、英語を勉強し始める人の数がどんどんふえてきているのである。
・「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにか素晴らしい国だろう!」フランス人と一緒に仕事をしたりする中で、その尊大さや自己中心的な態度に閉口し、思わずこんな文句を憶い出したことのある人は少なくないと思う。最近はやや変わってきているとは言うものの、彼等の「中華思想」に驚かされるケースは、今も決して珍しくはないのである。それにしても、客観的に見ればフランスの国際的地位が低下しつつある中で、彼等がかくまで誇りと自尊心を持ち続けていられる源泉とは、一体何なのだろう。私には、彼等の中に、「自分たちは先の戦争の戦勝国だったのだ」という意識が強烈に存在しており、それが事あるごとに表面にでてくるように思えてならない。
長い引用でしたが、いかがでしたか。今話題の大統領選挙を理解する上でも参考になるような、フランス政治の要諦も分かりやすく書かれていますね。政治以外でも、首肯すべき点が多々あります。自分と同じような視点でフランスを見ている人もいるのだと、うれしくなった方もいるのではないでしょうか。
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・フランスにおいては、政治家も一般の人たちも、自分たちの国のことを、よく「レピュブリック」と呼ぶ。もちろんその意味は「共和国」ということなのだが、その言葉には、「フランスの政治体制は君主制でなく、あくまで共和制なのだ」という、はっきりした意思が込められているように思えてならない。
・世界の数ある国の中で、国民一人ひとりの愛国心の強さという点にかけて、フランスは文句なしにトップクラスにランクされるだろう。しかしその国民に「ではフランスとは、一体どういう国家なのか」という質問をしてみたら、返ってくる答えはそれこそ百人百様のものではないか。
・人間には確かに、「衣食足りて礼節を知る」というところがある。経済が順調で、今日よりも明日、明日よりもあさってのほうが生活が向上していくという確実な見通しが持てる時、人間は他人に対して、ゆとりを持って接することが出来る。しかし、逆に社会が停滞してくると、人々は自分たちの既得権益をしっかり守る方向へ走り始めるだろう。そしてその時、人々の警戒感や敵意は、そのコミュニティにあとからやってきた少数者たちに対してまず向けられがちなのである。
・歴史的に見て、国民国家の祖国フランスとは、一方で極端なまでの「自国第一主義」を貫いてきた国でもある。そうした姿勢は、戦後の核開発をめぐる動きを見るだけでも明らかだろう。そこでは、核の実験場となったアフリカや太平洋の国々に対する配慮など微塵も感じられなかった。あるのはただ、それらの地域と世界の中で、フランスの「プレザンス」を主張し続けたい、という強烈な国家意思だけだったのである。
・フランス人の多くは長い間、「フランスのように豊かな国が、何を好きこのんでヨーロッパの他の国々と一緒にならなければならないのか。自分たちが『犠牲』になる必要などどこにあるのか」と素朴に信じ込んできた。そもそも彼等にとって、統合されたヨーロッパのイメージとは、フランスをヨーロッパ全体に広げたものだ、というくらいのものでしかなかったのである。しかし進行しつつある現実は、フランス人たちにそんな幻想を抱き続けることを許さなくなってきている。「フランスの栄光」と「ヨーロッパの統合」とは両立し得ないのではないか――フランス人たちは今頃になって、そんな思いを噛みしめているようなのである。
・そして、次々に起きてくる新しい動きは、フランス人たちに対して、「フランスとは、EUを構成する重要な要素ではあるが、そのひとつの地域にすぎない」という認識を強いつつある。そのような自画像を認めることは、自分の国を第一と考え、大国意識を持ち続けてきた人たちにとって、苦痛でないはずがない。統合に向けてのうねりの中で、フランスは今、国民国家から脱皮して新たな国家像を構築できるかの、産みの苦しみの中にいるのである。
・多くの国では、企業の内部というのは、管理職(幹部)は管理職、労働者は労働者というように、はっきりしたかたちで「二分化」されているということだった。(略)日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが当たり前のことだが、東南アジアなどでは、彼らが工場の現場に足を運ぶことは滅多にないし、また日本流の制服を着用することには強い抵抗があるのだという。こうした傾向は、むしろヨーロッパの企業においても本質的には違っていないと言ってよい。いや、歴史的に見れば、むしろ東南アジアの企業のほうがヨーロッパの企業のやり方の影響を受けて、そのような手法を採り入れたのである。(略)日本の組織は現場から遊離したエリートの存在を許さないのだが、世界の中で見れば、そういった原理で成り立っている社会というのは例外でしかない。
・フランスは名だたる中央集権国家である。官庁のエリートは(その大半は先述のグランゼコールの卒業生であるが)、日本の旧国鉄の「学士組」のように、超特急で昇進を重ねていくのである。
・エリートの存在を認め、それを特別扱いする社会というのは、優れた個人に存分に力を発揮させるためには、極めてよく出来ている。しかし一方そこでは、そのアイディアを商品化したり、社会全体のものにしていくことは、困難となってくる。フランス人の考え出す計画や製品については、「アイディアは素晴らしいが、それを実行に移していく段になると問題が多発する」という評価が常についてまわる。大きな計画を実施に移したり、高度なアイディアを商品化していくためには、ひとりでも多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは、ひと握りのエリートが世の中をリードしていく社会においては、期待しがたいのである。
しかし、こうした欠点にかかわらず、フランスの社会において、「エリート主義」が姿を消すことは今後もあり得ないだろう。時として反撥を示すことはあっても、フランス人たちは本音のところでは、中央集権体制やエリートの存在というものを、間違いなく是認しているからである。そして、社会のそうした雰囲気を受けて、フランスのエリートたちは、自らがエリートであることを意識し、エリートであることの処遇を当然のものとして要求し続けていくのである。
・フランスの政治の動きを見ていてわかりにくいのは、冷戦構造が崩壊した今になってもなお、左翼(gauche)対右翼(droite)という図式で国内の政治的な対立や葛藤が説明されることが多い、ということである。この図式は「左」の本家、ソ連が崩壊してしまった後も、フランス国内においては有効とみなされ、現実の政治はこの対立軸を中心に動いているものとされるのである。(略)このように左翼の勢力が強力であり続けている大きな理由は、一般にフランス人には観念的思考やイデオロギーを好む傾向がある、ということなのだろう。人間の観念や思考を限りなく純化させていけば、その過程において、マルクス主義のような思想が「勝ち残って」くるのは当然のことと言ってよい。何せその哲学は形而上学的と呼ぶに値する、強固でスッキリした体系を備えたものだったからである。
さらに、こうした思想の影響を最も強く受けたのが知識人と呼ばれる人たちだったことも、フランスの左翼運動の大きな特徴だった。もちろん、ついこの間までは、どこの国でも知識人のかなりの部分が「左翼」のシンパだったことは否定出来ないのだが、フランスの社会において、知識人といわれる人間は、いわば特別扱いを受けてきた存在だけにその影響力は大きかったのである。
・それにしても左翼勢力がフランスの政治の中で置かれている立場というのは微妙なものである。フランス人たちの思考パターンは、「心は左に、財布は右に・・・」であるとよく言われる。確かに、彼らが「左側」に置いているのはあくまで観念にすぎないのであって、現実の生活や金のからんだ問題になってくれば、話は別である。そして社会党など左翼勢力は、フランス人のそうした性向を承知した上で政治的な「選択」を行なっているようなのである。
・フランス人たちの愛国心の強さ、中でも自国の言葉に対する愛着と誇りの強さは、改めて言うまでもないが、彼らは国内だけでなく植民地に出てもフランス語を教育することに極めて熱心だった。そして、旧植民地の人たちも、そうした期待によく応えてきたのである。
しかし、旧植民地の人々がなぜフランス語を熱心に学んできたかと言えば、それは、その言葉を習得することによって、大きな現実的なメリットが期待できたからである。公務員として職を得るにしても、貿易に従事するにしても、フランス語が出来るということは極めて有利は条件たり得たのである。
そのように、フランス語はアフリカにおいて、これまでずっと重視されてきたのだが、フランスがもしアフリカとの関係をドライに見直すようになってきたら、アフリカ諸国におけるフランス語学習への意欲が一気に衰えていくことは目に見えている。現実的なプラスが期待できなくなったとき、誰があれだけ難しい言語を苦労してまで習得しようと考えるだろうか? そしてそうした兆しは、既にセネガルなどでは現実のものとなっている。そこでは、伝統的なフランス語に替わって、英語を勉強し始める人の数がどんどんふえてきているのである。
・「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにか素晴らしい国だろう!」フランス人と一緒に仕事をしたりする中で、その尊大さや自己中心的な態度に閉口し、思わずこんな文句を憶い出したことのある人は少なくないと思う。最近はやや変わってきているとは言うものの、彼等の「中華思想」に驚かされるケースは、今も決して珍しくはないのである。それにしても、客観的に見ればフランスの国際的地位が低下しつつある中で、彼等がかくまで誇りと自尊心を持ち続けていられる源泉とは、一体何なのだろう。私には、彼等の中に、「自分たちは先の戦争の戦勝国だったのだ」という意識が強烈に存在しており、それが事あるごとに表面にでてくるように思えてならない。
長い引用でしたが、いかがでしたか。今話題の大統領選挙を理解する上でも参考になるような、フランス政治の要諦も分かりやすく書かれていますね。政治以外でも、首肯すべき点が多々あります。自分と同じような視点でフランスを見ている人もいるのだと、うれしくなった方もいるのではないでしょうか。
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