50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ジャンヌ巡礼の旅~ルーアン―①

2007-04-19 02:10:40 | フランス
パリから北西へ約150km、急行で1時間10~30分のところにある街・ルーアン。セーヌ河口に開けた街で、ローマ時代からの歴史があり、かつてはノルマンディ公国の首都として栄えました。

しかし今、この街を有名にしているのは、ジャンヌ・ダルク。彼女の終焉の地です。火刑に処されたのが、1431年5月30日の朝。


彼女が異端として処刑された旧市場跡には、ジャンヌ・ダルク教会が建っています。海をイメージした斬新な外観、と言われていますが、正直な感想は、変なデザイン。すみません。

内部は明るくとても開放的なイメージです。これはこれでいいのですが、宗教的厳かさが感じられないのが、ちょっと残念。

16世紀に作られ、今はなきサン・ヴァンサン教会にあったというステンドグラスが、ここでその美しさを今に伝えています。これはきれいです。

教会の入り口脇には、ジャンヌの像が立っています。百年戦争の間の人生だっただけに、平和を神に祈っているのでしょうか。そして、祖国愛、人類愛を祈願しているのでしょうか。

その像の前には、彼女が処刑された場所が特定されており(奥のパネル)、その当時のものといわれる土地が残されています(手前)。その土に触れることも出来、彼女の人生、フランスへの想いがいっそう身近に感じられます。

19歳で火刑に処された「オルレアンの乙女」の足跡をたどるのであれば、教会のすぐ前にあるジャンヌ・ダルク博物館へ。入り口はお土産屋さんなのですが、入場料を払って地下に降りていくと、当時の資料や、彼女の人生をたどる蝋人形が展示されています。

彼女は読み書きができなかったそうですが、署名だけは出来た。彼女のその直筆が残っています(写真の上部、濃い茶色の部分の右下にあるサインです)。“Jehanne”と当時の書き方でこうサインされています。本来はJehanne Darc、それがいつの間にかJeanne d'Arcと書かれるようになっています。天にかかる「アーチのジャンヌ」のほうが美しく、彼女にふさわしいという思いから変わってしまったのでしょうか。

このような甲冑姿でフランス軍を鼓舞したようです。彼女は、身長162cm、体重40kgだったと言われています。

後のシャルル7世との最初の邂逅、取り巻きに紛れ込んだ将来のフランス王を彼女が見事に見出した逸話は有名ですね。

当時のルーアンの街並みを再現する模型ですが、市場にこしらえられた処刑の場。

このような罪人の服で火刑に処せられたようです。何しろ異端と認定されたわけですから、二度とこの世に戻れないようにと火刑に処せられたうえ、その遺灰はセーヌ河に流されてしまったそうです。

ルーアンの街のメイン道路はもちろんrue Jeanne d'Arc(ジャンヌ・ダルク通り)。国鉄の駅からセーヌへ向けてまっすぐ下っている道ですが、この道がセーヌを跨ぐところにかかっている橋の名もPont Jeanne d'Arc(ジャンヌ・ダルク橋)。

路面電車(トラム)も走る立派な橋ですが、このあたりからジャンヌの遺灰はセーヌに流されたのかもしれないですね。なお、シャルル7世やジャンヌの家族らの尽力で、彼女の処刑裁判は1456年に破棄され、その後ずいぶん時間は経ちましたが1920年には聖人に列せられています。

明日は、ルーアンの教会やその関連施設などをご紹介します。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史 (habara)
2007-04-19 03:07:56
このような施設は、歴史が身近に感じられて本当に素晴らしいですね。
名前の表記に変遷があったなんて!
arcってアーチの事なんですね。

天にかかるアーチ・・・本当にジャンヌにふさわしいと思います。
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arc (take)
2007-04-19 03:29:43
habaraさん
arcには、弓とか、弧、アーチといった意味があり、虹はフランス語でarc-en-ciel(アル・カン・シエル:空のアーチ)です。この名のグループがありましたね。今どうしているのでしょう。
映像関係の仕事、がんばってください。ゲゲゲの鬼太郎、楽しみにしています。
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