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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

舞台はヴェネツィア、時は18世紀。

2008-03-18 03:08:22 | 映画・演劇・文学
パリにコメディ・イタリエンヌ(La Comédie Italienne)というイタリア演劇を専門に上演している小屋があります。場所は、モンパルナス駅の近く。ゲテ通り(rue de la Gaîté)。この通りには、このコメディ・イタリエンヌだけでなく、他に3つもの芝居小屋があります。


テアトル・リヴ・ゴーシュ(Théâtre Rive Gauche)、

テアトル・モンパルナス(Théâtre Montparnasse)、

テアトル・ドゥ・ラ・ゲテ・モンパルナス(Théâtre de la Gaîté Montparnasse)、そして今日の話題・・・

コメディ・イタリエンヌ(La Comédie Italienne)。500メートルもない距離に4つの劇場。芝居小屋通りですね。しかも、通りの雰囲気は決して上品とは言えません。オペラ座やコメディ・フランセーズのような国からの資金援助を十分に受けている組織とは違って、いかに運営していくかにも頭を悩ませなくてはいけない劇団。家賃の高い場所にはいられません。周囲のお仲間は、どう見ても日本人がやっているとは思えない日本料理店が4~5軒、それにアダルト・ビデオ・ショップ(もちろん今はDVDですが)が軒を並べています。でも、という言葉を出すまでもなく、芝居にはどこか胡散臭さが付きまとってきたのも事実。モリエールの時代しかり、映画『天井桟敷の人々』しかり、アングラ劇団、オフ・オフ・ブロードウェー・・・時代を、権力を笑い飛ばすには、少々胡散臭いくらいのほうが、強い力、エネルギーが出るのかもしれませんね。


(上演演目のポスターが貼られた入り口)

今、コメディ・イタリエンヌでやっている“Les Pointilleuses”(口うるさい人々)の作者、ゴルドーニの時代も芝居はやはり社会の周辺に生きているものだったようです。

カルロ・ゴルドーニ(Carlo Goldoni:1707-1793)。ヴェネツィアに生まれ、早くから芝居に夢中になっていました。ただ、世間体のいい職業ではないので、比較的裕福な家庭に育ったゴルドーニは、一応法学部を難産の末に卒業し弁護士に。ただ後になって述懐したように、数多くの裁判に立ち会った経験が、作劇の際に大いに役立ったそうです。裁判沙汰には、とんでもない策略や、人間の業の深さ、欲深さが渦巻いている。芝居のプロットにはもってこいの状況がいくつもあったのでしょうね。

弁護士を続けながらも芝居への情熱は一向に冷めず、1734年には最初の戯曲(悲喜劇)を書き上げています。当時のイタリア演劇の中心は、コメディア・デッラルテ(la commedeia dell’arte)と呼ばれる伝統的な喜劇。仮面をかぶった類型的な役柄がその時々の話題を盛り込んで即興的に演じるもので、しかも、相手をぶったり、ジャグリングやアクロバットも取り入れた見世物的要素の強いものでした。こうした当時の伝統的な芝居を改革しようとしたのがゴルドーニだったそうです。


(カルナヴァレ博物館にもこのような作品が展示されています)

1738年以降、本格的に芝居を書き始めると、人物のパーソナリティを規定してしまっているマスクを取り去り、それぞれの登場人物に奥行きのある性格を持たせたりしたそうですが、改革をしようとすると、守旧派とぶつかるのはどこの分野でも同じ。さまざまな攻撃を受けたようです。それでも、数多くの作品を書き続けました。1753年には1年で12作。1月に1作です・・・旺盛な創作意欲ですね!


(劇場、入ってすぐのホールですが、いかにもヴェネツィア風です)

しかし、1763年、保守派との長年の戦いと病気に疲れ、ついにヴェネツィアを脱出。向かった先は、パリ! パリのイタリア劇場(le Théâtre Italien)に参加しました。座付き作家だったのでしょうね。しかし、パリも改革、新しい演劇を受け入れてはくれなかった。失意のゴルドーニは、しばらく芝居から離れる。何をやったかというと・・・何と、ルイ15世の娘たちのイタリア語教師に。5年間、ヴェルサイユに住んでイタリア語を教えていたそうです。パリに戻ると潤沢な年金が支給され、さらにルイ16世の姉妹たちのイタリア語教師に。人生、何が幸いするか、分かりませんね。しかし・・・人生、糾える縄の如し。豊かな年金生活は20年ほどで終焉へ。フランス革命の勃発。革命政府は、ゴルドーニの年金を打ち切ってしまいました。宵越しの金は持たない、という主義だったのか、突然、貧困生活に。赤貧の内に、1793年、86歳の誕生日を目前にパリでなくなっています。

パリに死んだゴルドーニ。その作品をパリで上演するのは当然といえば、当然ですね。このコメディ・イタリエンヌ、アッティリオ・マッジウッリ(Attilio Maggiulli)というイタリア人演出家が創設したものです。ミラノのピッコロ・テアトロ(Piccolo Teatro)で修行をし、パリのコメディ・フランセーズや太陽劇団(Théâtre du Soleil)で働いた後、1974年にテアトリーノ・イタリアーノ(Teatrino Italiano)をモンパルナスのメーヌ通りに創設。1980年に劇場を今の場所に移し、“le Théâtre de la Comédie Italienne”として今日に至っているそうです。観客はもちろんフランス人が中心ですから、イタリア演劇(古典から現代の作品まで)とはいえ、フランス語での上演になっています。

(フランス語での上演と、入り口上に書かれています)

16日に観た“Les Pointilleuses”も演出はマッジウリ氏です。この演目、すごい人気でスケジュールを延長して舞台に乗せています。100人弱収容の小さな劇場ですが、それでも9割ほどの客の入り。子供連れの家族や高齢者など、年齢もさまざま。幅広い人気を物語っているようです。作品自体は、ゴルドーニが良く描いた、見栄の張り合いや背伸びした生活の滑稽さを2時間で、見事に笑い飛ばしてくれます。商売で財を成した再婚カップル、次に欲しいのは、人の常として名誉。ヴェネツィアへ新婚旅行でやってきて、何とか貴族社会の仲間入りをと駆け回る。やっとディナーに招待されたりするものの、貴族の実態たるや・・・ご想像の通りで、名前は貴族でも、お金には不自由。それでいて気位は高い。屈辱を味わった二人は、最後に復讐をして、ヴェネツィアを後にする。


(入り口に貼られた舞台写真)

間口の狭い舞台で、3幕とも同じつくり。テーブルや鏡を役者たちが動かすだけで、次の幕へ。しかし、役者たちの芸達者振りと、思わず笑ってしまう台詞の面白さで、幕間もない2時間があっという間。人生は舞台。過ぎてしまったことを嘆き悲しむこともなく、行く末を思い煩うこともなく、今を、この舞台を楽しめ! そんなゴルドーニの声が聞こえてきそうな舞台です。「今」を楽しむ・・・確かに、ラテン系の人によく見られる生き方ですね。楽しく、陽気に・・・ただそれでハッピー・エンドなら、真似したいと思うのですが、ゴルドーニの最期を知ってしまうと・・・でも、人間万事塞翁が馬。少なくとも、「今」を大切に、明るく行きましょう。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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演劇 (pinky)
2008-03-18 21:22:58
こういった場所を紹介して頂くと、パリの人々の生活の中にごく普通に演劇という文化が根付いているのを感じます。

上品とは言い難い雰囲気の通りの劇場に子供連れの人、そして満席!・・・そんな中の一人として登場するTakeさん。羨ましいです。
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まずは演劇から (take)
2008-03-19 01:06:53
pinkyさん

パリの情報誌は、まず演劇のページから始まります。それだけ、演劇が文化・エンターテインメントの中で大きなウェートを占めているということなのでしょうね。実にさまざまな芝居が舞台で演じられています。せっかくパリにいるのだからとは思うのですが、あまりに多く、しかも美術展やらコンサートやら・・・言い訳ですね。がんばってもっと観るようにしましょう。
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