鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

リフレッシュプラザ鷹泊の千本桜とパークゴルフ場のこと。

2020年11月30日 | Weblog

写真はリフレッシュプラザ鷹泊

リフレッシュプラザ鷹泊の建物前には公園があり、東屋や花壇、そして芝生内には桜が植えられ、パークゴルフ場も造られていた。

夏に訪れると、きれいな花壇に植えられた花が出迎えてくれる。

いったん再開したように見えたパークゴルフ場は残念ながら消滅していた。パークゴルフをする人がいなくなったのが原因と推測される。

写真上は東屋と花壇。花はきれいだったが、花壇は以前よりかなり小さくなっていた。

写真下は元のグラウンドの北側部分に植えられた千本桜。

千本桜として植樹された桜は、トータルで何本植えられたかはわからないが枯れてしまった樹もあり、約60本ほどが残っていた。一度だけ桜の季節にここを訪れたが、さすがにきれいだった。桜の樹には寄贈した人の名を書いた名札がついていたが、約20年の月日の経過で、名札の多くはなくなっていた。 前市長が平成9年に寄贈した桜、現市長が平成22年に寄贈した桜には名札が残っていた。

このあたりが、あの時代走り回ったグラウンドの北側にあたるのだと思うと、当時のことが頭の中に蘇ってきた。

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リフレッシュプラザ鷹泊は学校時代の思い出の場所。

2020年11月28日 | Weblog

広範囲に鷹泊を見て回ったが、最後は鷹泊小学校跡にできたリフレッシュプラザ鷹泊だ。

国道から学校跡までは約100メートルの「市道鷹泊学校線」を通って到着ということになる。プラザ鷹泊線みたいな名前が適切と思うが、いったん名前が付くと変更されないということか。

周りの風景は大きく変わったが、9年間通い続けた思い出の多い道である。

写真上は学校跡への分岐地点。昔はここに宮部商店があり、学用品をよく購入した。今は大きな樹が残っている。

写真下 学校グラウンドがあった場所にリフレッシュプラザ鷹泊の東屋があるのが見える。

リフレッシュプラザ鷹泊の駐車場に車を停めて、周囲を散策予定とした。リフレッシュプラザ鷹泊に常駐職員はいないと思われ、建物内部に入ることはしなかった。人が少ないのでしょうがない。

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市道竜水線の起点終点はどこ?ヒグマはどこに出現したのか。

2020年11月26日 | Weblog

上図は深川市のヒグマ目撃情報位置図

昨年11月12日に市道竜水線の起点から南に約80メートルの地点でヒグマの足跡を複数発見とあった。しかしよく見ると深川市のヒグマ目撃情報位置図で✗マークがついている地点とその場所とは違うようだ。(終点から南に80メートルでないだろうか。)ヒグマが出たのはいったいどこなのか。

竜水線は市道網図によると起点が竜水会館があった付近で、途中若干の右左折のあと終点に至る道である。なぜかはわからないが、途中まで緑色で表示され、後半が青色表示になっている。(図は市道網図の一部を抜粋したもの)

市道の起点、終点の決め方に関しては(1)交通上重要度の高い方の道路の中心点を起点とする。(2)都心部に近い方を起点とするとのことで、◯が起点で矢印が終点を表していると考えられる。

上図の✗印あたりでないだろうかと思うが実際どうなのだろう。いずれにしても竜水地域の山とは少し離れている農耕地にクマが出るとは困ったものである。

近年、札幌市をはじめ全道的にヒグマの市街地への出現報道が多くなっている。ヒグマの生息数そのものは変わらないが、山のドングリの不作が原因だとか、ヒグマが人を恐れなくなった等の理由がいわれている。

ヒグマの駆除については、北海道では、毎年500頭以上のヒグマが駆除されているとのことである。

2019年度については、756頭という報告もあるし、918頭という報告もある。もある。どうして数が違うのか疑問ではあるが。

 

写真左は竜水会館跡付近から竜水線の南方向を撮影。左奥の金毘羅神社跡のさらに奥にイノシシ山。

写真右は逆サイドから撮影。遠くに浅羽山が見える。

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竜水1号線は金比羅神社へ繋がっていた道。

2020年11月24日 | Weblog

竜水1号線は東西方向へ走り、金比羅神社へ繋がっていた道である。竜水1号線はあっても、2号線や3号線はないのが疑問ではある。道沿いに同級生の家があったので、よく遊びに来た。

半世紀前はあたり一面水田だった。その後鷹泊全体の半分ほどの水田がソバ畑に変わっている中で、この竜水1号線周辺には水田が多く残っている。

写真は道沿いにある農家と水田。山方向を撮影。下図はGoogle 航空地図。

竜水1号線の終点には金毘羅神社があった。神社のお祭りの子供相撲でS君が骨折したのを思い出した。ボキッと音がしたのを今でも覚えている。

ヒグマの目撃情報によると、竜水1号線沿いの農作地に令和元年8月25日ヒグマの足跡及びフンを発見、踏み倒しによる水稲の被害が発生とあった。神社跡に潜んでいるかもしれないと不安にかられ、金比羅神社跡には近寄らず退散した。

写真下つきあたりは金毘羅神社跡。

 

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竜水地域を取り囲むようなヌップ開拓支線

2020年11月22日 | Weblog

深川市道路網図によると、ヌップ開拓支線は永井山への道からぐるっと竜水地区の外周を一回りする道である。

図は竜水地区の市道の再掲

支線というからには、本線(ヌップ開拓1号線、2号線、3号線)の付け足しというイメージに思えるが、道路名がつけられた当初はともかく今はこのヌップ開拓支線が竜水地域のメイン道路のように思える。車が通れるしっかりした道であり、道路の長さも他の市道より長い。

ヌップ開拓支線で囲まれた周囲には、過疎とはいえに田畑があり人も住んでいる。稲作とソバが半々くらいのようだ。

Google 航空地図で田畑が推測できる。便利なものだ。

オレンジ色で囲んだ濃緑地域が水田で、白で囲んだ地域がソバ畑で、緑で囲んだ地域が草地と思われる。

昭和30年代には、ヌップ開拓支線の山沿いに畑作と牧畜を営む数件があった。搾りたての新鮮な牛乳を飲ませてもらった思い出がある。

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ヌップ開拓2号線は小ヌップ川と大ヌップ川をつなぐ道?

2020年11月20日 | Weblog

永井山山麓で突き当りを左折すれば、そのままヌップ開拓支線を行くことになるが、右折するとヌップ開拓2号線である。

ヌップ開拓2号線と名付けられているが、鷹泊ダムの近くのヌップ開拓3号線よりは早くにできた道ということだろうか。ヌップ開拓1号線、2号線、3号線の順番が位置的に変に思えたが、開拓に入植した順だろうか。

写真突き当りが永井山方向。小屋を右折すると市道ヌップ開拓2号線。

この道沿いには、天◯さん、細◯さんがあった。付近には小川が流れていたが、小ヌップ川という本格的な名前がついている川の上流にあたるとは数年前までは知らなかった。清流で深さはせいぜい膝までくらいの浅い川であり、透きとおっていて魚が見えていた。

ヌップ開拓2号線はずっと続いていて、この道から大ヌップ川の上流に行けるようなふうに見えるが、実際は途中から道の両脇から草がせまってきており、途中で引き返した。

下図はGoogle地図を編集したもの。

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市道竜水墓地線はヌップ墓地への道

2020年11月18日 | Weblog

深川市墓地条例を検索してみると、鷹泊関係では鷹泊墓地(二号沢の奥にある)とヌップ墓地が載っている。竜水墓地という墓地はない。

市道竜水墓地線は、ヌップ墓地へ行くための道である。こんな短い市道もあるんだと思った。竜水墓地線はヌップ墓地につながっている道?竜水とヌップの区別がますますわからなくなった。 

今は墓石も少なくこぢんまりした墓地。以前は(昭和48年までだったかな)火葬場も併設されていたこともあり、たくさんの卒塔婆、親戚の墓標もあった。今は墓地内を含め、周辺には木が生えていないが、当時は低い樹々が生えていた。そこにあった柏の実をかじって食べた子供時代を思い出す。

写真下は今のヌップ墓地。山側から撮影。

写真下は、以前撮ったほぼ同じ位置からの撮影。周囲に家があった時は、ピンク色花がきれいに咲いていた。

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市道ヌップ開拓支線沿いの道端でキツネと遭遇

2020年11月16日 | Weblog

永井山の麓で、周囲を見渡していると、キタキツネを発見した。近寄っていったが、警戒感がないのか、あまり積極的に逃げないで、土管の中に身を隠した。

見た目はかわいい子供のキタキツネだが、寄生虫病のエキノコックスを持っているかもしれず、触れたりすると危険な動物である。

鷹泊にも、昔からいたのかもしれないが、子供の頃にはキツネを見たことがなかった。

調べてみると、キタキツネは道内全域に分布し、近年になって増加した野生動物の一つで、最近は人慣れして都市部にもよく現れるとのこと。農作物の被害が問題視されている。沢水は危険ではあるが、今時沢水を飲むことはないと思う。

写真は道端の逃げようとしないキタキツネ

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永井山の今昔

2020年11月14日 | Weblog

永井山は、昭和30年代にはスキー場としてたくさんの子供達が利用した場所だ。鷹泊小学校が廃校になり、 スキー場の役割はその頃に終わったのではないだろうか。スキー場への入り口だった場所には樹々が生い茂り、ゲレンデだった部分は、山麓部から見た限りでは元の山林に戻ってしまっている。

山麓に来て、なにかが足りないと感じていたが、ここにあった永◯さん宅がきれいに片付けられていたことが、雰囲気変化の理由と気づいた。親戚筋なので、この付近はよく知っている場所である。戦後早々にこの地に建てられていたはずなので70年以上は経っている。2年前にはその家は確かにあったのを覚えている。時の流れの中で、変化は当たり前ではあるが、一つの時代が終わったという気持ちがいやますのを感じた。

昭和30年代は、最初は「ながやま」と呼んでいたと思うが、そのうち永井山と呼ぶようになった。ながやまの下の山と上の山という言い方をしていた。小学4年になると大手を振って上の山で滑れるようになるルールのようなものがあった。冬の雪が積もった状態で山を見たらまた違うのだろうが、今は樹木の高さが高くなったせいで上の山への道がなくなり、下の山は畑地に改良されてスキーができる傾斜地はない。

写真左は家が片付けられていた永◯さん跡。写真の右奥方向の畑地跡が、ながやまの下の山だったところにつながる。

4年前の写真(家の裏側のソバ畑越しに撮影)も載せた。

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ヌップの次は竜水方面へ行ってみよう。

2020年11月12日 | Weblog

さて鷹泊ダム、ヌップ方面から鷹泊橋まで戻った。

このダム方向への分岐点近くに表札も残っている家があるが、ずっと前から無人になっている。知人の家だったゆえ往時が思い出され、寂しさを感じる。

写真は分岐点で、ダム方向をふりかえって。

下図は竜水の市道

写真上は鷹泊橋から永井山へ向かう道で、ヌップ開拓支線との市道名がある。ヌップ開拓支線はC字形というか、コの字を裏返したような形でぐるっと竜水とヌップ地域を取り囲んでいる。

竜水会館があった場所(今は空き地)を通過して、まっすぐ進む。昭和30年代には永井山へスキーをしに何回も通った道である。

写真撮影をしているこの場所のすぐ右手の畑地に、今年7月27日クマが出たとの情報を入手した。昔は考えられなかったが、困ったものだ。

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