鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

ヌップと竜水の境界はどこなのか。

2020年11月06日 | Weblog

ヌップと竜水との区分けはどこなのだろうか。以前も考えたが結論が得られなかった。大ヌップ川あたりが境界でないかと思うと過去のブログに書いたがが、ヌップ川岸1号線あたりが境界かもしれないとも思えてきた。でもその区分だと竜水に該当するはずの永井山のふもとにある墓地はヌップ墓地といわれているし、判断が難しい。

人家が点在するだけの今の現状からは、どこが境界であるかはどうでもいい問題ではあるが、長年にわたる個人的な疑問は続いている。

昭和30年代のことを振り返ってみると、運動会の時の部落対抗リレーでは、竜水チームとヌップチームは別々であったし、夏休みに入る前日に、小学1年から中学3年まで学年に関係なく同じ地域の者ごとに決められた教室に集まる時間(班会議といっていたかな)があり、竜水の児童生徒とヌップの児童生徒は違った教室に集合したはずである。(その場で、夏休み中のその地域での花火大会とかの行事を話し合った。)

あの当時は、何となく竜水とヌップは違うくらいにしか感じていなかった。

昭和36年のデータで竜水は世帯数46戸、人口231人であり、ヌップは世帯数42戸、人口205人とある。

写真は大ヌップ川から見た浅羽山。

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