鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

湯内の学校跡に行ってみた。

2014年10月31日 | Weblog
この道(道道98号線旭川多度志線)は今回初めて通る道である。
半世紀前、鷹泊の学校が小中併設だった時代、生徒数の多い多度志だけは小学校と中学校が別々であったが、幌成と湯内は鷹泊と同じく小中併設校だった。昔、一度だけ、湯内小中学校へ行ったことがある。鷹泊中と湯内中の親善野球試合があり、鷹中部員は、上多度志駅に迎えに来てくれた車の荷台に乗せられ、未舗装道路をガタゴト揺られながら、湯内中学校グラウンドへ行って試合をした。勝敗は忘れたが、湯内は鷹泊よりも生徒数は少なかったと思う。
ともかく半世紀前の思い出もあるので、湯内小中学校跡がどこにあるのか、またそこが、どうなっているかを見に行くことにした。
湯内小中学校跡には小さな公民館分館が建っていたが、在りし日のグラウンドの面影はなかった。
家の数は少ないものの、湯内地区は思っていた以上に広々と田園が広がっていた。


写真上は、至誠と書いてある石碑が建っている中央公民館湯内分館、下の写真は湯内地区の田園風景
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上多度志、多度志南、湯内の位置関係が少し見えてきた

2014年10月29日 | Weblog
峠の紅葉はきれいであるが、何となくクマの恐怖で居心地が良くないので、写真撮影だけで、その場を退散。ほどなく多度志トンネルを通過。峠であるゆえ、この近くを走っていた鉄道にも多度志トンネル(俗称円山のトンネル)があり、この道道875号線多度志一已線と平行していたと想像される。
現在の鷹泊がどうであるかはわからないが、半世紀前の鷹泊でクマの恐怖を感じたことはなく、子供達は周囲の山の奥に分け入って遊んでいた。
もちろん、当時でも鷹泊ダムの奥の御料沢にはクマがいると言う話はきいていた。
ともあれ、道道875号線を進むとT字路にぶつかった。右折すると旭川方向で、左折すると多度志方向である。このあたりが上多度志だと思うものの、道路地図では多度志南とある。上多度志というのは、鉄道専用の駅名なのだろうか。多度志方向を目指しているのであるが、寄り道をして、少しだけ旭川方向の湯内地区を見てこようと考え、道道98号線旭川多度志線を東に進んだ。まもなく、右折すると納内方向という交差点に到着。このあたりが湯内なのであろう。


写真は、道道98号線旭川多度志線と916号線湯内内園線との交差するT字路。正面が旭川方向、右折すると納内方向。
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多度志一已線沿いの紅葉はきれいだが、看板はこわかった。

2014年10月27日 | Weblog
出発にあたって、何か鷹泊に関する情報はないかと深川市のホームページを開いてみると、
重要な情報とあったので確認するとクマ目撃情報とあり、多度志一已線あたりに集中していた。なんと、今回通る道そのものではないか。知らない方が良かったかもしれないが、安全のため、知っておいたほうがいいことは間違いない。車から降りなければ大丈夫なのだからと、自分に言い聞かせる。ともかく、体育の日の10月13日、いざ出発。
紅葉がきれいだ。かたくりの群生地として有名な丸山公園の近くを通って、円山へ。「まるやま」が二つあって、紛らわしい。それぞれ、いわれがあるとは思うが、どちらかに統一して欲しいと思った。
紅葉の季節、車の通りも少ない道を多度志に向かった。すると「クマ注意」の看板があった。写真を撮るために車から降りるのも、はばかられるような場所である。季節によっては、キノコやタケノコが沢山とれそうなところに思えるが、クマは怖い。

写真は、紅葉がきれいな多度志一已線沿いのクマ出没の看板。
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普段通らない道を通って、鷹泊へ向かうことに。

2014年10月24日 | Weblog

図はJR北海道車内誌の路線地図
先日、電車内でJR北海道車内誌の後ろの方に記載されている路線地図を見ていると、昔の鉄道深名線の部分が気にかかった。深名線は鉄道が廃止されて久しいが、バス路線としての深名線は残っている。鉄道在りし頃の路線駅は、深川から朱鞠内まで、地図上にびっしり載っていた。この地図に載っている駅は少ないので、空白部分が目立つ。さらに深川多度志間にある、上多度志と円山という駅名が載っているのに気付いた。
鉄道時代は、両駅とも、おなじみであったのに、車で行き来するようになってから、この地名を聞くことはほとんどなくなっていた。
鷹泊までは、車だと、道道281号線 深川多度志線(中山峠経由)で行くのが普通であるが、多少時間が多くかかっても、昔の鉄道深名線の経路に近い多度志一已線 道道875号線を通っていくことにした。

図は今はない鉄道深名線の経路
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クラス会でのちょっとした話から、鷹泊へ行ってみたくなる。

2014年10月22日 | Weblog
クラス会で、当日欠席したS君の実家が鷹泊にまだあるか否かが話題になり、結論が出なかった。我々の世代になると、親は亡くなっていることが多い。兄弟が鷹泊に住んで、実家を次いでいるのでなければ、家が残っている可能性は低いと思う。また、校庭横にあった二宮金次郎の銅像の手がもげていたのは修復されているかどうかという、たわいもない話もあった。とはいうものの、そのあたりが気にはなっていたので、機会があれば、ドライブがてらに鷹泊へ確認に行こうと考えていた。
何事も、ちょっとしたきっかけがないと、行動できないのは確かである。


写真は、リフレッシュプラザ鷹泊と遠くに浅羽山。左手奥に鷹泊神社がかろうじて見える。
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鷹泊小中学校のクラス会は楽しかったです。

2014年10月20日 | Weblog
26年8月下旬、鷹泊小中学校(昭和31年小学校入学)のクラス会を旭川市近郊で、開催しました。9名(男6名、女3名)の仲間が集まり、小学校入学時に担任だった竹田先生にも同席していただき、楽しいひとときを過ごしました。卒業後初めて、半世紀ぶりに再会した仲間もいて、思い出話に花を咲かせ、楽しいひとときでした。
今、思い起こしても、昭和30年代の鷹泊の街は、子供が多く、小学校に入る前から、近所の年の近い子供達で一日中遊びました。その中でも同期生は、学校に入ってからは、小学校と中学校を一緒に学び、時間と空間を共用した仲間です。我々はもう高齢者の仲間入りした年代層ですが、これからも元気で会えることを願っています。


写真は鷹泊ダム。半世紀前と較べて、家並み、地形鷹泊の他の部分は変わっていても、ダムは昔も今も変わっていないように見えます。ダムの姿を眺めると、心が和みます。(10月13日撮影)周囲の紅葉がきれいです。
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平成26年11月8日に「第45回鷹泊ふるさと会」が開催されます。

2014年10月07日 | Weblog
「第45回鷹泊ふるさと会」の案内が送られてきました。
事務局が住所等を把握している方には、手紙が郵送されていると思いますが、そうでない方に御連絡ということで、このブログに掲載させていただきます。
開催日時 平成26年11月8日(土) 午前11時(開会)~午後2時(閉会)
開催会場 「札幌全日空ホテル」札幌市中央区北3条西1丁目
会費 1万円

参加希望の方は、鷹泊ふるさと会会長さん宛に申し込んで下さい。
宛先 003-0834 札幌市白石区北郷4条8丁目2-5  馬場泰年 様宛
出欠を10月20日(月)必着で、住所・氏名記入の上、申し込んで下さい。


写真は浅羽山
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