鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

時代は変わって昔のグラウンドはパークゴルフ場に

2013年01月30日 | Weblog

写真はリフレッシュプラザ鷹泊の前に出来ていたパークゴルフ場

学校のグラウンドは1周約200メートルだったと思う。
その狭いグラウンドを野球に使用した場合、ライト側が短いため、よく田んぼにボールが入った。校長先生宅が右中間方向にあったので、あの当時強打者がいたら、ガラスを割ることも当然想定されたが、幸いそこへ打ち込んだ光景には出会わなかった。
ソフトボールはそれほど場所をとらないので昼休みにはグラウンドの各場所を使い、同時に小学校高学年から中学生までの5~6学年が同時使用していたことを思い出す。周囲の家の配置もよくわかる。
冬には、全校での雪像造りが行われたこともあった。降雪量では道内の他地区に負けない鷹泊であったが、雪像は寒すぎて、うまく出来なかった。ある程度気温が上昇しないと、雪が固まらないせいではなかっただろうか。

写真は記念誌から転載した冬の旧鷹泊小中学校、窓のかなりの高さまで雪が積もっている
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航空写真から昔の鷹泊小中学校を懐古

2013年01月28日 | Weblog

桜の木々の中にできていたパークゴルフ場は、プレーしたくなるようなコースであった。しかし、桜の木をぬってのコースゆえ、今はいいものの、もう数十年して植樹した桜が大きくなったらどうなるのだろうという多少の危惧を抱いた。パークゴルフをするには、ボールとクラブが必要だが、リフレッシュプラザがお休みでは道具が借りられない。ということでプレーは、またの機会とした。
さて昭和30年代の鷹泊小中学校の話題に戻って。 正面玄関とは違う、中学校玄関(正確には、職員室隣の小学生の1教室だけは、位置的関係から中学玄関を使用していたが)があった。中学校に入ると学生帽に白線が付くことと、右側の斜め道を通って玄関に入ることで、少しえらくなった気分を味わった。

写真は記念誌から転載した昔の鷹泊小中学校
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鷹泊小中学校グラウンドの人文字

2013年01月25日 | Weblog

パークゴルフ場

2日前掲載した写真を再掲載。当時のグラウンドの状況がよくわかる。グラウンドに全生徒が並んで人文字を造っている。
当時、鷹泊の生徒は、他校に較べて少ないと感じていたが、300人近くの生徒が並んでいるはずだ。小学生、中学生だけで約300人!!  
当時は子供達が多かった。
ちなみに昭和30年代の小学校卒業生の人数を鷹泊小学校記念誌から転載すると、
48回生 昭和30年 32人
(29年4月に6年生になり30年3月小学校卒業したクラス)
49回生 昭和31年 46人
50回生 昭和32年  33人
51回生 昭和33年 29人
52回生 昭和34年 42人
53回生 昭和35年 38人
54回生 昭和36年 44人
55回生 昭和37年 26人
56回生 昭和38年 34人
57回生 昭和39年 21人
この10年間の平均卒業生数 34.5人
いやー、今思うに沢山いたなー。当時は生徒数が多度志などと較べてずいぶん生徒が少ない小さな学校だと思っていたが、今思えば仲間が多くて楽しかった。
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1964年鷹泊小学校グラウンド。航空写真から当時を懐かしむ。

2013年01月23日 | Weblog
 
元の校庭に平成10年に植えられた千本桜は健在であったが、そこに新たに併設されたパークゴルフ場には少々びっくりした。
ここで昔の校庭の写真を掲示して、9年間走り回った学校のグラウンドの半世紀前を懐古してみる。

これは、昭和39年(1964年)の鷹泊小中学校の航空写真である。東京オリンピック記念と書いてある。東京オリンピックは昭和39年10月10日に開催された。それを記念しての写真である。東京オリンピックが10月開催だったし、周囲の田の刈り入れも終わり、稲架掛け(はさかけ)の風景からも写真撮影は10月だと思われる。
今は、その時から48年経っている。半世紀を長いというか短いというかは人それぞれ感じ方がある。学校がなくなっている鷹泊であるが、30年代の鷹泊を思い起こすのにはいい写真である。
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リフレッシュプラザ鷹泊にパークゴルフ場が併設されていた

2013年01月21日 | Weblog



校庭跡地には、桜の記念植樹がある。2年前に見た時は、枯れかかっている樹もあり心配したが、多くは持ちこたえているように見えた。新たに植えられた樹もあった。花壇も整備されていてきれいな花が咲いていた。特筆すべきはパークゴルフ場が新たに併設されていたことだ。いい発想だと思ったが、人口が余りに少ない鷹泊で、どの程度利用されているのだろう。
写真は校庭跡地の記念植樹とと花壇
周囲を散策中、二宮金次郎像が何かおかしいのに気付いた。本を持っている左手が足もとに落ちていた。手が落ちているなんて、怖い~~~。今まで気付かなかった。余計なことかもしれないが、接着剤で補修はできないのだろうか。像はどこが管理しているのだろうか。

写真は二宮金次郎像
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いよいよ鷹泊小学校跡地に残るリフレッシュプラザ鷹泊への道

2013年01月18日 | Weblog

国道からリフレッシュプラザ鷹泊へ向かう道である。昔は、曲がり角に○部商店があり、更に道沿いに数戸の家があり、校門の近く左手に校長先生宅が構えていた。
小中学校時代の、通い慣れたる学校への道である。
写真の正面にプラザの正面にある東屋が見えている。
あたりを見渡しながらゆっくりとプラザに向かうと、周りの家の飼い犬に吠えられた。来訪者が少ないので、犬がヒトに慣れていないのだろうか。
プラザに2年前に訪れた時は、玄関が閉鎖されていたので、今回はどうかなと思いつつ玄関のドアを開けようとしたが、やはり閉まったままであった。人がいない鷹泊で、常時管理人を置くのは無理なのであろうと勝手に納得。周辺を散策することにした。

写真は鷹泊小中学校への道 旧鷹泊小学校の門柱が残っている
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昔の思い出は学校の思い出。鷹泊小中学校跡へ

2013年01月16日 | Weblog

その昔9年間通った鷹泊小中学校。その学校跡にできたリフレッシュプラザ鷹泊(旧深名線資料室併設)。子供時代の思い出といえば、学校の思い出といっていいぐらい、脳裏に記憶として残っているので、鷹泊へ来るたびに何となく立ち寄らずにはすまない場所だ。ということで今回も、リフレッシュプラザ鷹泊で少々時間をさいてみた。


写真は鷹泊橋付近から見たリフレッシュプラザ鷹泊(大きな倉庫様建物の奥に見える)と南方向から見た同施設(奥に神社の赤い屋根が見える)
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ヌップというよりは竜水と云われていた地域の今

2013年01月15日 | Weblog

写真は昔竜水会館があった三叉路付近
さて、ダム方面から昔の鷹沼橋付近へ戻ってきて、今度は西の山方向へ曲がってみた。少し行くと、半世紀前に竜水会館があったT字路だ。会館が建っていた所には一般住宅が建っていた。あたりを見渡すと農作業中のトラクターが目に入った。稲ではないのでソバの刈り入れと思われた。

写真は竜水の田畑風景
以前、来た時に廃屋になっていた所(西側の山裾に建っていた家)がどうなったか興味があったので、車がやっと通れる程度の細い道を通って、行ってみた。昔、開拓の○○さんと呼ばれていた所だ。2年前とは、若干変わって、人の手が入って少し片付けられたように見えた。でも自然に崩壊したのかもしれない。

写真は廃屋
この日、曇り空ではあったが、そこから浅羽山はきれいに見えた。

写真は遠くに浅羽山を望んで
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協栄橋を渡ってペンケへ来て思うこと

2013年01月11日 | Weblog

さて、雨竜川に架かる協栄橋を渡ってペンケに行ってみた。実った稲が黄金色に輝いており、昔の記憶イメージそのままであったが、戸数は激減している。

ほどなく堤防が目に入り、堤防の存在に気付いた。協栄橋の下を雨竜川が流れているので、堤防の存在は当たり前であるが、雨竜川がこんなに住居の近くを流れているのに対してなぜか今、驚いた。(鷹泊市街地の方は、川と堤防までに距離がある)
協栄橋は、17年12月完成と記載されている。この橋が出来てから、ペンケへは、幌加内方向へ向かう275号線から分かれてペンケに向かう昔の道は通らなくなったようだ。
ここで鷹泊にある橋について再整理してみる。
雨竜川に架かる橋は、ここにある協栄橋と一番大きい鷹泊橋。
あとは国道275号線にある、鷹泊橋、新鷹泊橋、奥鷹泊橋ということになる。もちろん小さな名無しの橋がこれ以外に存在している可能性はあるが。
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ヌップと竜水地区  ヌップホロマップとは

2013年01月09日 | Weblog

鷹泊橋からダム方向の田畑を写した写真

昔の5万分の1地図鷹泊にヌップホロマップと記載されているが、これはどこのことを指しているのだろうか。縦書きのヌップホロマップという文字は、小ヌップ川と大ヌップ川を含んだ位置に記載されている。ヌップと竜水を併せてヌップホロマップなのだろうか。

写真は5万分の1地図鷹泊に記載されているヌップホロマップという文字

写真は平成4年の航空写真
平成4年の航空写真で、この地域を見ると、川向かいのペンケを含めて、田園風景が拡がっている。田畑面積は昔と同じと思われるので、人口は減っているゆえ、1戸あたりの耕地面積は格段に広くなっている。

写真はヌップ地区の刈り入れが済んだソバ畑と思われる畑と、まだ刈り入れ前の水田のコントラスト
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