鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

新鷹泊橋の奥に、無名の沢川に架かる奥鷹泊橋が存在

2012年11月30日 | Weblog

さらに走っていくと幌加内トンネル入り口が見えたが、その手前にまた橋があった。橋の名前は何だろうと注目して停車すると奥鷹泊橋と書いてあった。観光地にありそうな、なかなかの名前である。おまけに、橋の下を流れる沢の名前がふるっていた。無名の沢川と書いたプレートが填めこんであった。無名とはこれいかに。茶目っ気を出して名付けたような感じ。無名と名付けるくらいなら、きちんとした名前をつけてあげればいいのにと余計な感想。




写真は奥鷹泊橋と無名の沢川と書いたプレート

幌加内トンネルへ向かう途中に新鷹泊橋あり

2012年11月28日 | Weblog

写真は直線的で快適走行が出来た国道275号線
幌加内トンネルを目指して国道275号線を進んでいった。2年前に通った時のこの国道はカーブも多く、それでも交通量が少ないためか、スピードを出す車があって、危険な道路との印象を持っていた。
幌加内トンネルが新設された関連で新たに造られた道路は、より直線的になりカーブも少なくなったようで非常に走行しやすかった。
そのためか、橋を通り過ぎたことに気付いた。欄干が目立たなくて、気付かなかった。橋の名前を見ると新鷹泊橋との表示があり、英語表記に注目すると、Shintakadomari Br.と書いてあった。これが普通の表記だろうと意を強くした。(すなわち二号沢に架かっている知呂布橋のChirofubashi Bridgeという英語表記は橋の表現がダブっているので、やはり誤り?)


写真は新鷹泊橋を幌加内側から撮影

行ってみたかった、ペンケへと続いていた昔の分岐道

2012年11月26日 | Weblog

国道275号線を更に進んでいくと、ペンケへの分岐点を発見。2年前は工事中のこともあって、この分岐点を見逃していたようだ。
昔は自転車を必死にこいで、この道を通りペンケ神社のお祭りに毎年のように行った。なんと言っても祭りの出店が楽しみだった。
半世紀ぶりにこの分岐点を見たことになる。この道を辿ってペンケまで行ってみたかったが現在この道が、そこまで通じているかは疑問だ。2年前、ペンケ神社に行こうと、この道の突き当たりにあたるペンケ側から車で通ろうとしたが、周囲の木が倒れかかり通行不能であったので、道はあっても、おそらく車の走行はできなくなっているだろうと思い断念。
結局、現在ペンケに行くには、川向かいのヌップから橋を渡って行くしかないと思われた。

写真は、行けそうで行けないペンケへ続く分岐道路

二号沢の思い出と知呂布橋

2012年11月24日 | Weblog

幌加内に向かって郊外に出てまもなく、二号沢に架かる知呂布橋に到着。二号沢は子供の頃、よく行った場所だ。秋に山ブドウを採りに沢沿いの脇道を通り周囲にブドウがないか探索した。また昭和30年代、石がブームになったことがあった。噂で、誰々が二号沢で見つけた石は1万円で売れたとかを真に受けて、友人と一緒に、石を探しに来たこともあった。浅い水の中を奥地まで、ズボンの裾をまくって捜しに行ったこともあった。もちろん、子供にはどのような石が価値ある石なのかわからないので、結果は骨折り損ということだった。しかし、二号沢の清流を遡った体験は、子供時代の記憶の財産として残っている。
写真は二号沢に架かる知呂布橋である。昔は、この橋に名前が付いているのを知らなかった。橋の名前を見ていて、英語表記がおかしいことに気がついた。Chirofubashi Bridgeと表記してあり、橋の言葉がダブっている。Bridgeが余分ではないだろうか。まあ目くじらを立てる程の事でもない。どちらもありかなとスルーする。

鷹泊市街地を通過 幌加内トンネルを目指して

2012年11月21日 | Weblog

鷹泊の市街地を通過して、まずは今回の旅の目的のひとつ、幌加内トンネルに向かうことにした。幌加内峠は、昔は深名線の鉄道輸送の難所だった。豪雪地帯を走る深名線の中でも、特にこの峠は、大雪の時は蒸気機関車なら動けてもディーゼル車は動けなかったりで、よく不通になった。そのために、鷹泊から北の深名線沿いの街から深川に通う高校生は、冬場には深川に下宿するケースが多かった。
幌加内峠を超えるには鉄道の他に当然道路もあった。そもそも長く鷹泊で暮らしている中で、幌加内峠方面には1回しか行ったことがなかった。その1回は、学校行事の遠足である。車もほとんど通らない曲がりくねった未舗装道路を皆でエッチラオッチラ歩き、目的地の沼牛堰堤に着いたことを思い出す。
思い起こすと、小中学校9年間、春秋それぞれ2回遠足があったわけだが、鷹泊ダムがほとんどで、後はペンケ神社に数回、御料沢、そして沼牛堰堤が各1回であった。
写真は鷹泊神社を右手に、幌加内方向へ向かう国道275号線。

バス停 鷹泊待合所脇に野菜直売所があった。

2012年11月19日 | Weblog

興味を持って行ってみると、JR北海道バス深名線の鷹泊待合所の隣に、その野菜直売所はあった。なかをのぞくと、カボチャ、ネギ、ワラビ等が並んでおり、料金箱もあった。無人であるので、買うひとの良心に頼っていることになる。
前回2年前にここを通った時は存在に気付かなかった。その時は、5月だったので、さすがに農作物はまだ販売できなかったのかもしれない。
地元の人は買わないだろうが、国道が鷹泊市街地を貫き、通過する車があると、このような地元以外の客を対象にした販売もありということだと思う。昔は、どこの家でも野菜類は栽培し、余った分は隣近所にお裾分けしていた。

写真は野菜直売所を告げる看板と鷹泊待合所脇にある無人野菜直売所

鷹泊の標識の近くには、並木道と歩道が整備されていた

2012年11月16日 | Weblog

鷹泊の南からの入り口付近(昔の南广から下广にかけて)には、国道沿いに並木道があった。まだ木は小さく、なんの木かはわからないが、そのうちに立派な並木道が出来るはずだ。また国道の西側には、家並みはないものの歩道が整備されていた。国道沿いにこのような歩道が完備されていると、子供達の徒歩あるいは自転車通学には、安心できるのだが、子供がいないのが残念である。
鷹泊の標識のあった近くに、200m先に野菜直売所があるとの看板が立っていた。
行ってみることにした。

写真上は歩道が整備されている国道と並木道(南方向から、下广方向を望んで)
写真下は野菜直売所を示す看板

ダムのある街 鷹泊の標識がお迎え

2012年11月14日 | Weblog
さて、元のブログ記事に戻って。

写真は、南广にある、鷹泊の道路標識

写真は、ダムまで7kmの掲示板
国道を進むと、昔でいう南广(敢えて鷹でなく广を使用)のはずれに鷹泊を示すシンプルな標識があった。その標識の隣には、立派な北海道企業局鷹泊発電管理事務所と長い名前が書かれている標識が設置されていた。鷹泊ダム管理事務所と言った方がわかりやすいと思うが、ともかく北海道企業局鷹泊発電管理事務所まで7kmとの表示であった。
昔は単純に学校からダムまで1里(約3.927km)と理解していたので、ここから昔の学校まで約1kmと考えると、合計で約5kmという計算になり2km程距離が長いように思えた。でも昔の距離計算が不正確で、恐らくはこの表示が正しいのだろう。
昔は小学校の遠足で、学校からダムまで1里(約4km)だから頑張って歩こうといわれていたが、実は6kmだったということか。別に損したわけではないが、2kmの差は大きい。



第43回「鷹泊ふるさと会」について

2012年11月12日 | Weblog

写真は雨竜川の流れ
今回は号外です。
2日前、平成24年11月10日に札幌全日空ホテルで、年一度の郷里の集いである第43回「鷹泊ふるさと会」が開催されました。馬場泰年会長のもと、今年は60人ほどが参加しました。懐かしい方々にお会いでき、昔話に花を咲かせた楽しいひとときを過ごしてきました。松○先生、吉○先生も出席されていました。
会では、鷹泊ダム建設(昭和25年8月から3年半の工期で完成)の白黒映画の上映もありました。(各テーブルでの話が盛り上がりすぎて、映画に集中できなかったのは残念でしたが)
鷹泊に在住されている方からの現況報告で、現在鷹泊には37戸、77人の方が住んでいるとのことでした。また小学生は1人、中学生は2人のみということでした。(これほどまで減少しているとは、思わず絶句)
また、毎年7月に鷹泊自然公園で行われている「鷹泊湖水祭り」は諸般の事情で来年をもって中止されるので、平成25年7月には皆さんこぞって参加しましょうということでした。


ふるさと会記念写真

山の向こうの、あさひ団体のこと

2012年11月09日 | Weblog
イノシシ山を背景にした雨竜川は鷹泊らしい好きな風景である。一方、逆サイドの山側すなわち鷹泊の南南東の山の向こうに、半世紀前に2軒、畑作を営んでいる家があった。以前のブログにも書いたが、昔はあさひ団体と言っていた。開拓地に入植した人たちの出身地の名前だと思うが、よくわからない。
冬に、スキーを履いて、山の向こうのあさひ団体地区にある家へ遊びに行ったことがある。家が深い雪に覆われて、穴倉のようになった入り口から玄関の中に入った。中は薪が焚かれて暖かく、今思い出すと童話の中の世界だったような気がする。冬の暮らしは大変であったろうと思うし、深い積雪の中どの道を通って鷹泊の市街地へ出てきたのだろうとも今考える。ともかく、豪雪地区の鷹泊の山奥の地区でも、当時は人の暮らしがあったことを思い出す。
夏には、その場所で苺栽培が行われており、苺狩りに行った。今、巷で流通している苺に較べると、小振りではあったが、甘い美味しい味覚を思い出す。
あの地域は現在どうなっているのだろうか。


写真上はイノシシ山を背景にした雨竜川
写真下は鷹泊の南南東に見えるあさひ団体方向のこんもりと木々が生い茂った山