鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

数奇な歴史を刻んで、栄枯盛衰を繰り返す鷹泊。

2024年05月31日 | Weblog

 

突き当りは国道275号線。正面奥にリフレッシュプラザ鷹泊、左奥は鷹泊神社。

数年前に上面が舗装された堤防。右手の鷹泊神社の前を車が幌加内方向へ向かって走行中。

 

目的地の鷹泊ダムを見終えて、名残惜しいが帰路についた。鷹泊橋まで戻ってきて、堤防から学校跡を眺める。

鷹泊ダムという財産はあるが、人口が往時に比べ激減しこの先どうなるのだろうと危惧されるふるさと鷹泊。

4月5日のこのブログでとりあげた『河野順吉伝』に書かれていた鷹泊に関する記載を再掲してみる。

「鷹泊は数奇な歴史を刻んできた、と言っていい。乱高下するように大きく波打ち栄枯盛衰を繰り返す土地であった。

 ときに大資本・王子製紙の山林を有し、造林・切り出しで栄え、砂金掘りで一世を風びし、雨竜川のイカダ流しの事業でも隆盛した。そして、ダム工事……。栄華に酔い、衰にうつむく――。鷹泊はそんなときを重ねた。」

この記事の記述は、第三者的視点で、鷹泊の歴史を美文調子で見事に表現していると思う。

記憶に残っている昭和30年代には、すでに砂金の時代は終わっていた。あの当時、鷹泊橋の下流で砂金とりをしている方を見かけたことはある。富岡商店へ採れた砂金を売りにきていたた人を見たこともある。林業も終末期(外国から安い木材が輸入)を迎えていた。でも昭和30年代には、営林署の職員住宅は下鷹にあったし、造林のために木の苗を育てる苗圃も存在していた。

ともかく時代の流れで、人が住まなくなったらどうしようもない。

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