鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

ペンケへちょっと寄り道。

2018年10月19日 | Weblog

写真は国土交通省 地図・空中写真閲覧サービスによる地図。

少々怖い思いをした鷹泊ダムからの帰路に、ペンケに立ち寄った。昭和30年代にペンケへ行くには、右下に見える幌加内方面の道から分岐した山沿いの道からであった。

その曲がりくねった山道を通って(この地図を見るとそんなに曲がっていないように見えるが)、ペンケ集落のはずれにあるペンケ神社へ遠足や神社のお祭りの際には毎年のように訪れた。

5月の遠足の時には、ペンケ神社境内の満開の桜だきれいだったのを覚えている。あの桜をもう一度見てみたいと思って、10年ほど前に行ってみようと思ったが、ペンケ神社はもう無くなっていて、神社跡に登ることもできなかった。

昭和48年に、ペンケから鷹泊ダムからの道に繋がる協栄橋ができたがこの橋を利用して鷹泊ダムからの道に繋がる道ができ、鷹泊市街部へ簡単に行けるようになった。

同じ年にペンケ神社(別名 雨竜川神社)は鷹泊神社(別名 御嶽神社)と合祀となり、ペンケから神社がなくなっていた。

ペンケ地区は雨竜川の水が利用しやすい位置にあり、昔も今も稲が豊かに稔る地域である。

昭和36年の人口統計ではペンケ地区は19世帯で人口は118人だった。(この時鷹泊全体で239世帯、1144人)今はペンケ地区にどれだけの方がいるのだろうか。(今は鷹泊全体で32世帯、73人)。

写真は協栄橋からペンケ地区を見て。

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4 コメント

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Unknown (かりぶ)
2019-12-31 22:05:41
ペンケ出身です!!

あの頃に戻りたい。鷹泊、ペンケ…
私の全てでした…

あの頃が、1番幸せだったのかな。
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ペンケのなつかしい思い出 (管理者)
2020-01-05 19:18:58
ペンケ出身ではありませんが、ペンケ神社のお祭りの出店と5月の遠足のときに見たペンケ神社の満開の桜は今も瞼に浮かびます。
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Unknown (ペンケ出身その2)
2021-06-19 22:11:25
私の家は、協栄橋を渡って左に曲がり、4軒目でした。ただ、その当時は協栄橋はありませんでしたが。もう、だいぶん昔の話になります。
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ペンケと竜水間の協栄橋のこと (管理人)
2021-06-21 15:53:51
コメントありがとうございます。
同級生2人がペンケから学校へ通っていました。冬は馬そりの先導で、寒い道なき道を通っての通学は大変だったと思っていました。冬道をブルトーザーで除雪して、車が走れるようになったのは昭和40年過ぎだと思います。
協栄橋を造り、竜水側を回って鷹泊市街地へ繋がるという発想は、車道除雪を考えたものでないかと感じています。
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