鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鉄道跡を見るとありし日を思い出す

2024年01月29日 | Weblog

上の写真が深川方面の線路跡、逆光で見づらい。

上の写真が幌加内方向の線路跡。今は学校跡にリフレッシュプラザ鷹泊が建っている。その右サイドから幌加内(朱鞠内)方向からの汽車が姿を現した。

今シーズンは例年にも増して、北海道各地でドカ雪被害の報道が多く、車の通行あるいはJRの運行にも支障をきたしている。

降雪時期の汽車が運休するか、定時に来れないかは特に高校への通学生にとっては大きな問題だった。降雪のあった日に朝の始発列車(蒸気機関車あるいはディーゼル車)が、幌加内方向から学校の横に姿を見せた時はホッとしたものだった。

豪雪地域を走る深名線であったが、今のJRと比較するとはるかに頑張って運行してくれたと思う。線路上の降雪はラッセル車や、ロータリー車の力が必要だが、駅構内の除排雪は保線に携わる職員の人海戦術だったと思う。

そういうこともあってか昔の国鉄時代は、鉄道官舎の長屋が鷹泊にも確か3棟あったと思う。

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鉄道深名線時代には発車時刻に深川方面、朱鞠内方面と書かれた発車標が掲げられた。

2024年01月25日 | Weblog

昨年、朱鞠内で釣り人がクマに襲われた事件が全国区ニュースになった。

朱鞠内といえば、鷹泊駅の発車標には上り深川方面と下り朱鞠内方面の両方があり、駅を利用する人達には朱鞠内の文字は目に焼き付いていた。

上り下りの汽車の入線間近になると、改札口に上り深川方面あるいは下り朱鞠内方面の発車標がかけられて、乗客がホームに出ていった。

鉄道深名線は深川と名寄をつなぐ路線であるが、実質的には深川と朱鞠内間を行き来していた。

 朱鞠内へは鉄道で、一度もいったことはなかったが、鷹泊駅を利用するたびに朱鞠内方面の発車標は無意識に見ていたことになる。

鉄道深名線が平成7年(1995年)にバス転換されてからは、朱鞠内までは行かなくなり、JRバス深名線は深川-幌加内間の運行になっている。

写真は鷹泊駅舎の前側と後ろ側

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 形をとどめている鷹泊駅舎を見てホッとした。

2024年01月22日 | Weblog

つきあたりに元の鷹泊駅舎

今回、鷹泊へ行って何を見たいかと自問してみたが、高齢になるほど思い出す、ふるさと鷹泊のそれほど変わらない自然、大きく変わった街の様子を感じ取りたいということかな。とりわけ、自分が住んでいた住居跡、鷹泊駅、学校、ダムは外せない場所だ。

鷹泊駅は、廃駅になって久しいが、なんとか形をとどめている駅舎を見るとホッとする。往時が思い起こされる。

深名線が廃止になって 年が経過している。風雪に耐えてよくぞ残ってくれている。多度志駅などは、駅舎の痕跡すらない状態と較べて驚くしかない。

駅の中には肥料の袋が置かれてあった。まだ倉庫代わりに利用されているようだ。

なんとか駅舎のたたずまいを残している姿。

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家がまばらな鷹泊市街地

2024年01月18日 | Weblog

市街地を貫く国道は、昭和の後半にアスファルト舗装がされていたが、平成になっての道路工事で、より直線的になり、歩道には並木が植えられていて当時とは段違いの市街地道路である。これで商店、民家がたくさん並んでいると立派なものだが、残念ながら家が超少ない。家はあっても人が住んでいるのかわからない住宅もある。我が家があった場所の前を通ったが、空き地になっており、月日の経ったのを思わずにはいられなかった。

昭和30年代は、未舗装で車道・歩道の区別がなかった。子供たちは多くても、車がほとんど走っていなかったので交通事故の危険など感じなかった。

写真は昔、下鷹と区分されていた場所。花卉栽培のビニールハウスが建っている。歩道の樹木は季節柄、葉がないので目立たない。

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雨竜川で泳いだ昭和30年代を思い起こして。

2024年01月15日 | Weblog

昭和30年代にできた堤防であるが、平成・令和になって、堤防の上までアスファルト舗装されて、当時とは雰囲気が変わってしまった。

この写真で写っている雨竜川の上手には、(鷹泊駅前通りの突き当りにあたるあたりであるが、)学校公認の第4水泳場があり、夏休みにはよく利用した。当時、学校公認の水泳場が4か所あった。子供でも腰までしか水がこない浅い場所とはいえ、学校プールがある今の時代では許可されるはずもない危険といえる場所で、よく水難事故を生じなかったと思い出す。

別角度で堤防を写して。堤防が道路のように見える。

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「鷹泊」市街地を前にして、目立たない道路標識。

2024年01月12日 | Weblog

こんな小さな道路標識しかないのだろうか。なんとか鷹泊と読めるが、車で通過する場合は、気が付かないというか、走行中の車からは小さい字なので読めないかも。北海道企業局鷹泊発電管理事務所(ダム)まで7kmと書いてある北海道企業局の看板と同じ場所にある。(以前、このブログで本当に7kmもあるのかと疑問をぶつけたことあり。昔の小学校の遠足では小学1年でも学校からダムまで歩いていったので、もう少し短いのではと思うが看板に表示するからには正しいと納得するよりない。)

 鉄道深名線があった時は、鷹泊駅の駅舎の看板と行き先表示板を見て「鷹泊」に着いたことを確認できて、住民にも鷹泊訪問客にもわかりやすかった。

周辺を見渡すと、堤防は舗装され、サイクリングロードを思わせた。人がもう少し多ければ、住みやすいいい場所なのにと思わずにいられなかった。

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 鷹泊の入り口から

2024年01月09日 | Weblog

見えた。鷹泊の市街だ。雨竜川が流れ、山々に周囲を囲まれた山村。人口は激減しているが、遠くから見ると、一見あの昭和30年代の鷹泊市街地と変わらなく見える。懐かしさが込み上げる。

私の実家は平成6年に鷹泊を去っていることもあり、それ以降は鷹泊には来ていなかったが、ブロブを始めてから何回か来ていて鷹泊の変容に驚いたものだ。

前回訪れた時は、これが鷹泊を見る最後だと思ったが、また来てしまった。

前回は8月に訪れたので、緑濃い周囲の木々だったが、今回訪れたのは晩秋11月で感じが違っている。

豪雪の鷹泊も思い出深く、雪の中の風景も見てみたいが、真冬には来づらいのでこの時期で我慢しよう。

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鷹泊を間近に。鷹泊岩も安穏として見入るわけにはいかない。

2024年01月04日 | Weblog

中央奥に見える鷹泊岩

子供の頃は鷹泊岩ではなく、鷹岩と呼んでいたと思う。雨竜川の向こう岸にあるので、簡単に行ける場所ではない。見て感激するようなものではないと思うが、応援歌の「巌にとまる白鷹の」が鷹泊岩のことだと刷り込まれていたので子供の頃から愛着のある場所である。岩に鷹の巣でもあるのかと思っていたが、そうではないようだ。何年か前にここから数百メートル鷹泊の市街地寄りの場所にクマが出たとの報道があって、まだ捕獲されたという情報はない。このあたりに居るかもしれないと思うとゆっくり見入ることもできなく、早々とここを離れた。

このあたりの道路も昭和30年代には未舗装のガタガタ道だった。

道路左に鷹泊岩の表示版。正面奥に浅羽山。

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