鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

泊の桜 後日談 最終章

2010年10月25日 | Weblog

学校の裏山の桜も咲いていた。1週間前には未開花だったが、きれいに咲いていた。折よく、ウグイスがさえずっていた。「桜に幕」、「梅にウグイス」という組み合わせが有名で、「桜にウグイス」は、ちょっと違うと思ったが、歓迎してくれているようでうれしいことであった。


写真は裏山の桜の開花前と開花後

鷹泊神社にも桜が咲いていた。鷹泊小中学校応援歌二番の「 神社の森の山桜♪ 咲いて匂うてうららかに♪」の歌詞を思い出し、なんとなく感慨深いものがこみあげてきた。

写真は鷹泊神社の桜

写真は校庭跡の千本桜を神社方向から水田ごしに見たもの
地球温暖化で、この50年で、全国的に4.2日開花日が早まっていると報告されている。鷹泊でも、この温暖化の流れはあるのかもしれないが、周辺の地域より開花が遅いようだ。今年の開花は、ほぼ同緯度の旭川の開花日よりは1週間ほど遅かった。
このブログを見てくださった方で、来年にでも鷹泊の桜を見たいと思った方は、日時をしっかり定めて行かれのがよろしいと思います。まあ、自分のような酔狂な人間でなければ、わざわざ行ったりしないかもしれませんが。

おしまい
このブログは第一部の平成19年11月22日から平成20年4月9日に引き続き、第二部として、平成22年5月18日から始めました。本日10月25日、ブログの第二部を終了させていただきます。次回は、鷹泊にいつ行けるかわかりませんし、当分その予定はありません。
季節はもう10月です。やむなく昔を思い出しつつ長々とブログを書いてきましたが、見ていただいた方にはお礼申し上げます。
コメント (2)
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鷹泊の桜 後日談

2010年10月22日 | Weblog
5月16日、桜を見ることが出来ずに鷹泊から帰ったものの、どうも納得できなかった。よーし、こうなったら意地でも学校付近の桜、鷹泊の桜を見ると心に決めた。思い立ったら吉日、1週間後の5月23日、今回は桜以外は目もくれないという決意のもと、鷹泊へ向かった。鷹泊弾丸トラベラーズといった感じ。
まずは鷹泊小学校跡のリフレッシュプラザ鷹泊に到着。この日、いまだリフレッシュプラザ鷹泊の建物の周りにはまだ雪が残っていた。


写真はリフレッシュプラザ鷹泊と残雪
よかった。桜は咲いていた。元の校庭に植えられた千本桜は、結構咲いていた。平成10年に苗木を植えたようで、まだ樹が低いし枝振りで小さいが、もう10年も経つともっときれいに咲きそうに思えた。それぞれの木に、○○氏寄贈と札が付いている。同郷ゆえ、お馴染みの名前が多い。 しかし桜の木の半分くらいは、枯れてだめになっている。こういうものにも運不運がある。寄贈者も自分の寄贈した木が、枯れてしまったことを知る由もなく、植え替える術もない。



写真は、リフレッシュプラザ鷹泊の千本桜
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追記

2010年10月20日 | Weblog
さて、今回の鷹泊来訪は桜を見ることが目的の旅だったが、5月16日には、まだ開花しておらず、その点残念であった。
その代わりに、鷹泊のあちこちを散策することができ、結果としていろいろと思い出を書き綴ることができた。このブログを見てくださった方が、ふるさと鷹泊を思い起こして下さることのちょっとした引き金となれば幸せです。
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鷹泊駅時刻表を見て、当時を回顧

2010年10月20日 | Weblog
ネットから、昭和42年時の鷹泊駅時刻表の記載を見つけた。
上り(深川方面)は、 6:38 7:36 9:26 10:57 14:32 16:20 17:33 20:22 とあった。
昭和30年代は、14時台でなくて、13時台だったと思うが、それ以外は当時と同じような時刻表だと思う。こういった昔の国鉄時刻表は、当時をなつかしく思い出させる。時計を持っていなかった子供の頃は列車の運行が時計代わりだった。上りは6時発と13時発が蒸気機関車で、他はディーゼル車だったと思う。深川への通学生ですし詰めの車両等は、今では信じられない、なつかしい思い出だ。

写真は旧深名線資料館のパンフレットから転載したディーゼル車の勇姿
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深名線が華やかだった頃の思い出

2010年10月18日 | Weblog
昭和30年頃だったか、大相撲の一行が名寄での巡業へ行くのに深名線を利用したことがあった。おすもうさんが乗った列車が、鷹泊を通るという噂を聞きつけて駅へ見に行った。停車した客車の中にいた沢山のお相撲さんの姿に感激した。栃若(栃錦若乃花)の時代だった。今考えると、どうして宗谷本線を使わずに深名線を使ったのかはわからない。旭川から宗谷本線を経由して名寄に行くのと深名線経由して行くのとあまり違わなかったとは思うが。
あの頃の鷹泊駅は活気があった。サイロのような給水塔から給水をうけた蒸気機関車が汽笛を鳴らし、勢いよく煙りを吐きながら駅構内を行き来する姿を今も思い出す。SLファンならずとも、あの勇姿は感動的だった。


写真は「wikipedia鷹泊駅」に掲載されている鷹泊駅周辺の航空写真(国土交通省の航空写真 昭和52年)を引用。写真の上が北。南鷹・下鷹付近の家が散在しているのが見える。
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深名線が華やかだった頃と鷹泊駅舎の今

2010年10月15日 | Weblog
鉄道が今ブームだ。SLだけでなく、電車を追いかけて写真を撮るひと、鉄道を全国旅する人など鉄道ファン、鉄男、鉄子だとかいう鉄道マニアが増えているようだ。
保存されている鷹泊駅舎を見て、50年前の鷹泊駅を思い出してみた。改札口に深川方面、朱鞠内方面の改札札が架かっている。発車時間が近づくと駅員が改札札がひっくりかえして、改札が始まる。上りの深川方面は、(跨線橋がないので)向かい側ホームに歩いてレールを渡る。信号機が下がっている幌加内方向から、ディーゼル車あるいは蒸気機関車が見えてくる。ホームに停車。駅員さんがタブレット(通行証の役目の直径50cm位の輪)を運転士に渡す。発車。この日常的な風景はいまでもなつかしく思い出す。


写真はホーム側から見た保存されている鷹泊駅
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鉄道官舎のあったあたりの風景

2010年10月13日 | Weblog
豪雪の冬の深名線の列車運行を維持する国鉄保線員の苦労は大変だったと思う。昔は、駅広場の南側の小さな坂を下ったところに鉄道官舎があった。その跡は痕跡すらなく、平地になっていた。今は真っ平らに整地されており、昔の面影はない。畑地に利用されているわけでもなさそう。鉄道官舎の長屋は3棟あったので、国鉄職員家族は南鷹の一大勢力だった。
当時、鉄道官舎はカンシャ「官舎」と呼ばれており、これに対してコータク「公宅」と呼ばれていた、鷹泊ダム関連の道職員の住宅が竜水地区にあった。農山村の鷹泊では異質の職業だったかも。学校で親の職業を発表するときにコウムイン「公務員」というのは、かっこよく感じた。

写真は鉄道官舎があった付近の平地
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鷹泊駅跡に向かって

2010年10月12日 | Weblog

写真上は国道から下鷹、中鷹をのぞんで(右折すれば鷹泊駅方向)

車社会でなかった時代(鉄道の全盛期)、鷹泊の入り口だった鷹泊駅跡に、今回も立ち寄ってみた。駅への分岐点を曲がってみると、南鷹部分は○岡産業の建物だけしか目に入らない。駅に向かうこの道は、当時数え切れないくらい行き来した道だ。駅前の通りに面していた○村さんの家の周りにはグミとかグスベリ(グースベリー)が沢山植わったいたのを思い出した。お家がなくなったから、当然なくなったのだろうが、あのグミやグースベリーはどうなったのかなと当時のことをなつかしく思い出す。未舗装だった駅への道は、上り坂があったのだが今は舗装され、坂がなくなり真っ平らになっている。

写真下は今も保存されている鷹泊駅

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下鷹にある鷹泊バス停留所

2010年10月08日 | Weblog
JR深名線バスの鷹泊バス停留所が下鷹の位置にあった。(鷹泊にあるもう一カ所は、上鷹のリフレッシュプラザ鷹泊の前にある、鷹泊自然公園前バス停)
バス停の標識だけでなく、屋根のある待合所があり、そのの中には時刻表が貼ってあった。運行本数は予想通りに少ない。一日7本、2時間に1本平均か。
最近は冬の除雪体制もしっかりしているようなので、バスの遅れもそんなにないだろうし、なんといってもバス停に屋根があるのは便利だ。バス停の中にはトイレもあり、バス利用者への配慮はしっかりとされているようだ。
でも過疎化のこの地域で、バス利用者はどれほどいるのだろうか。
写真はJR深名線バス鷹泊停留所標識と待合所の中にある運行時刻表
  
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○○商店の思い出は、くじ引きの思い出 

2010年10月06日 | Weblog
昔は鷹泊駅から学校までの間に何軒かの商店があった。そのうち、くじがひけるお店もあった。くじは、お祭りなどの出店でもあったが、市街地の○原商店にはいつもくじがおいてあった。(そのうち引っ越して、○田商店に変わったが。)そのお店で5円、10円でくじを引いた。なめるとアタリ、スカと白い字が、浮かび上がるくじだ。スカという言葉は、その後使う機会がない。ハズレという表現でもいいのに、なぜかスカという表現だった。手元の辞書で「すか」の意味を調べると、あてはずれ・見当違いの2つの意味が書いてあった。なるほど、さすが辞書と思わせた。
くじ以外には、子供にとって商店での買い物は、遠足の前日の買い出しの思い出だ。遠足に際してのお小遣いは20円とか50円とかの制限付きだった。でも普段買わない(買えない)ガム、キャラメルなど買うのが楽しみだった。

写真は寂しくなった下鷹の通り、正面が南側
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