今、昔で言う上鷹ブロックには鷹泊神社、リフレッシュプラザ鷹泊さらにはJR深名線バス停(鷹泊自然公園前)があるが、人家は激減している。
鷹泊神社は、お祭りのこども相撲と冬のスキーが思い出である。神社の坂を滑り降りて、そのまま自宅玄関まで到達できる子をうらやましく思ったものだ。
半世紀前、製材所は鷹泊に2軒あった。そのうちの○中製材所は、鷹泊神社の向かい付近にあった。製材所へ、馬車に丸太を乗せていき、製材にしてもらったりしていた。当時の記憶として、製材所では鋸を回転させる石油発動機の始動に、紐を勢いよく引っ張るという方法を用いていた。発動機に繋がったベルトで、鋸を回転させていた。木を鋸でひくときのキーンと響く音には、活気があった。また、お祭りの子供相撲の土俵には砂や土ではなく、製材に伴って出来る、おがくずを撒いていた。おがくず土俵は、転んでも痛くなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d3/817eed9b75ff4163a4f041139f382584.jpg)
写真は鷹泊神社の上から見た周囲の風景
鷹泊神社は、お祭りのこども相撲と冬のスキーが思い出である。神社の坂を滑り降りて、そのまま自宅玄関まで到達できる子をうらやましく思ったものだ。
半世紀前、製材所は鷹泊に2軒あった。そのうちの○中製材所は、鷹泊神社の向かい付近にあった。製材所へ、馬車に丸太を乗せていき、製材にしてもらったりしていた。当時の記憶として、製材所では鋸を回転させる石油発動機の始動に、紐を勢いよく引っ張るという方法を用いていた。発動機に繋がったベルトで、鋸を回転させていた。木を鋸でひくときのキーンと響く音には、活気があった。また、お祭りの子供相撲の土俵には砂や土ではなく、製材に伴って出来る、おがくずを撒いていた。おがくず土俵は、転んでも痛くなかった。
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写真は鷹泊神社の上から見た周囲の風景