鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

「三等三角点 奴布」はヌップの目印地点なのかもしれない

2020年11月10日 | Weblog

国土地理院Webサイトを見ていて「三等三角点 奴布」が目に入った。

Google 航空地図では、下図の◯印のあたりだと思う。

一般的に三角点は、山頂とかの測量しやすい目立つ位置に設置される。   ヌップ川岸2号線分岐部から300mほどダム寄りの地点なので、下の写真での坂道を上った送電線の鉄塔があるあたりだと思われる。(三角点を示す標識があるのかもしれないが、坂道を上って確認には行かなかった。)まさにこのあたりがヌップの中心部ということかもしれない。

鷹泊関連では、「三等三角点奴布」の他に「四等三角点鷹泊岩」「四等三角点鷹泊」「四等三角点南鷹泊」「四等三角点旭団地」などがある。

その地方に住んでいない測量技師の方が三角点名をつけるのであるから、その苦労は大変と推し量られる。

しかし浅羽山の頂上に、「三等三角点南浅羽山」があるように、いまひとつしっくりこない三角点名もある。以下は勝手な感想その他。

図は鷹泊地区の三等三角点と四等三角点。地理院地図(電子国土Web)

三等三角点鷹泊:標高653.6mの峰の頂きなので、鷹泊山とかの山の名前が適切と思う。

四等三角点近布乙:アイヌ語の鷹泊を表すチカプオツから来た名前。チカプオツ川は二号沢のよう。

四等三角点深幌:標高444.2mの峰の頂き。深川と幌加内の境界ということかな。

四等三角点南鷹泊:三等三角点鷹泊の南の標高309.0mの峰の頂き。

四等三角点旭団地:旭団体が入植していた地域のはずだが、団地という表現にはやや違和感がある。


ヌップという地名と鷹泊の三等三角点について

2020年11月08日 | Weblog

アイヌ語地名の研究4  山田秀三著作集によると、「鷹泊市街地から北の辺では、雨竜川の西岸に、この辺では目立つ広い大地がある。アイヌ語のヌプNup(野原)の名が伝えられてそのまま残ってしまったのだろうか。」とある。

国土地理院の閲覧サービスを利用して、鷹泊の三角点図を見たところ、ヌップはカタカナではなく「奴布」と表記している。

図は国土地理院の閲覧サービスによる鷹泊の三等三角点。

先月、浅羽山の記述のところでも書いたが、三角点名は地形測定に携わった技師が三角点の名前をつけるとのこと。

ヌップはアイヌ語由来なので、カタカナ表記でいいと思うが、三角点名はカタカナを使わないきまりがあるようだ。という読みの漢字は7個(野,埜,淳,奴,怒,孥,耨 )登録されているので、そのう中から奴を選択したと思われる。

しかし「奴布」という表記は今まで知らなかったし、ヌップのことを漢字で書く人はいないと思われる。

話がそれるが、図の右に三等三角点「鷹泊」が表されている。どうして標高634mの最高点であり、三等三角点「鷹泊山」でないのか疑問に思ったが、ほかにも疑問を持つ方はいるようです。


ヌップと竜水の境界はどこなのか。

2020年11月06日 | Weblog

ヌップと竜水との区分けはどこなのだろうか。以前も考えたが結論が得られなかった。大ヌップ川あたりが境界でないかと思うと過去のブログに書いたがが、ヌップ川岸1号線あたりが境界かもしれないとも思えてきた。でもその区分だと竜水に該当するはずの永井山のふもとにある墓地はヌップ墓地といわれているし、判断が難しい。

人家が点在するだけの今の現状からは、どこが境界であるかはどうでもいい問題ではあるが、長年にわたる個人的な疑問は続いている。

昭和30年代のことを振り返ってみると、運動会の時の部落対抗リレーでは、竜水チームとヌップチームは別々であったし、夏休みに入る前日に、小学1年から中学3年まで学年に関係なく同じ地域の者ごとに決められた教室に集まる時間(班会議といっていたかな)があり、竜水の児童生徒とヌップの児童生徒は違った教室に集合したはずである。(その場で、夏休み中のその地域での花火大会とかの行事を話し合った。)

あの当時は、何となく竜水とヌップは違うくらいにしか感じていなかった。

昭和36年のデータで竜水は世帯数46戸、人口231人であり、ヌップは世帯数42戸、人口205人とある。

写真は大ヌップ川から見た浅羽山。


 ヌップから竜水へと移動。

2020年11月04日 | Weblog

ヌップと竜水の区分はいまだよくわかっていないが、大ヌップ橋、小ヌップ橋を通過して、鷹泊橋まで戻ることにした。

途中、山側にダムへの道と平行する形でヌップ高台線がある。昭和30年頃にヌップ高台線の周辺にあたるあたりの原野を親類が造田していたので何回か通ったことがある道である。

 写真上の中央部に草木が茂っているが、その奥にヌップ高台線の道がある。

米の作つけを増やそうと、鷹泊の各所で原野や畑を水田に改造していた時代であった。Google航空地図で判断すると、今は水田ではなくなってしまったよう。ソバを作つけしているのか、草地なのかは航空地図ではわからない。

ヌップ砂防線の分岐部でストップ。入り口に富岡産業砂利プラントの立て札がある。

 

大ヌップ川に沿っての道であり、砂防ダムがあるあたりまで続いているようだ。

写真はヌップ砂防線入り口。

その道の左手奥は富岡産業が使用中で、砂利が積み上げられている。大ヌップ川の上流を見たい気持ちはあったが、その先は車では行けないように思われたので遠くから見るだけにした。


ヌップ開拓1号線やヌップ山手線は今や誰も通らない道のよう。

2020年11月02日 | Weblog

鷹泊橋からダムへ向かう道(道道鷹泊鷹泊停留場線)から、雨竜川方向へ向かう道は大丈夫だが、山側へ入っていく道はなんとなくクマの恐怖を感じてしまう。

ヌップ開拓1号線やヌップ山手線の先には、昭和30年代、文字どうり開拓に入植した方が住んでいた場所であるが、今は誰も住んでいないよう。鷹泊ダムへの遠足の時に、あの道の奥に◯◯さんの家があるとか、しゃべりながら通過したものであるが、周囲の風景も変わりその分岐道がすぐには見つけられなかった。

ヌップ開拓1号線を入った所には◯◯さんが住んでいたと思う。道らしきものはあったが、確認のため入っていく勇気はなかった。

写真はヌップ開拓1号線への分岐部と思われる場所

ヌップ山手線は、東京の山手線を彷彿させる山手であるが、意味合いとしては高台のことをいうらしい。分岐道を捜したが、笹で蔽われているせいか入り口が発見できなかった。

後でGoogle Mapで調べてみるとヌップ開拓1号線、ヌップ山手線の奥には草地が広がっているように見える。

 

 

 

図はGoogle航空写真