鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

永井山の今昔

2020年11月14日 | Weblog

永井山は、昭和30年代にはスキー場としてたくさんの子供達が利用した場所だ。鷹泊小学校が廃校になり、 スキー場の役割はその頃に終わったのではないだろうか。スキー場への入り口だった場所には樹々が生い茂り、ゲレンデだった部分は、山麓部から見た限りでは元の山林に戻ってしまっている。

山麓に来て、なにかが足りないと感じていたが、ここにあった永◯さん宅がきれいに片付けられていたことが、雰囲気変化の理由と気づいた。親戚筋なので、この付近はよく知っている場所である。戦後早々にこの地に建てられていたはずなので70年以上は経っている。2年前にはその家は確かにあったのを覚えている。時の流れの中で、変化は当たり前ではあるが、一つの時代が終わったという気持ちがいやますのを感じた。

昭和30年代は、最初は「ながやま」と呼んでいたと思うが、そのうち永井山と呼ぶようになった。ながやまの下の山と上の山という言い方をしていた。小学4年になると大手を振って上の山で滑れるようになるルールのようなものがあった。冬の雪が積もった状態で山を見たらまた違うのだろうが、今は樹木の高さが高くなったせいで上の山への道がなくなり、下の山は畑地に改良されてスキーができる傾斜地はない。

写真左は家が片付けられていた永◯さん跡。写真の右奥方向の畑地跡が、ながやまの下の山だったところにつながる。

4年前の写真(家の裏側のソバ畑越しに撮影)も載せた。


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