鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊橋を渡ると鷹泊ダム方向への分岐点

2012年12月29日 | Weblog

写真は分岐点
橋を渡ってすぐの分岐点に〔北育ち元気村 鷹泊自然公園〕と書かれた標識があった。北育ち元気村とは、北空知広域農業組合連合会の地域のことをさすらしい。(北そらち→北そだち という語呂合わせのように感じたが真偽はどうか。)
標識の下のほうに鷹泊自然公園(=ダム)まで5kmと書いてある。ということは、学校からは5km強あるということである。半世紀前は、ダムまで1里(約4km)と教えられ、信じ切っていたのに……。1kmの違いを大きいというべきか小さいというべきか?昔は小学生から中学生まで各学年とも、同距離を歩いてダムまで向かった。小学校低学年の時でも、途中休憩しながら目的地まで歩ききったことを思い出す。低学年の子供達が、よく片道5kmも歩いたものだ。



写真はヌップ竜水方向から市街側を望んだ鷹泊橋
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鷹泊で橋といえばこの橋 鷹沼橋改め鷹泊橋

2012年12月27日 | Weblog

写真は昭和31年発行の鷹泊5万分の1地図

雨竜川に架かる橋は、自分の中ではいつまでも鷹沼橋(おうしょうばし)だ。
数年前に、鷹泊橋と名前が変わっているのに気づき、やや驚いた。
橋には昭和49年11月完成とのプレートがあったが、昔の橋の少し上流寄りに移設されたこの時に、名前も鷹泊橋に変更されたのだろうと推測する。
昭和31年発行の鷹泊5万分の1地図では、今の橋とは若干位置がずれた所にある。すなわち、市街地からの道路は、橋からまっすぐ永井山方向へ進む走行を示している。


写真は市街側から見た鷹泊橋。


写真は橋の完成日を記載したプレート
275号線にある鷹泊橋とどちらが先に命名されたのだろうか。いずれにしても、鷹泊に2つの鷹泊橋の存在はややこしい。
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ランドマークとしての名跡 鷹泊岩?

2012年12月25日 | Weblog

写真は鷹泊岩の記載が大きくて目立つ昭和31年の地図

昭和31年発行の鷹泊5万分の1地図には大きく鷹泊岩と記載されている。しかし実際の鷹泊岩は目立たぬところにあり、国道からはなかなか見つけづらい。最近の鷹泊5万分の1地図からは削除されているのかもしれない。
子供の頃、「その岩に鷹が泊まったから鷹泊岩の名称になり、かつそれが鷹泊のいわれでもある」などと何となくわかったようでよくわからない説明を真に受けていた感じではある。南广よりさらに遠くにあり、おまけに川の対岸にあって近づくこともできず、一度見れば何回も見たいというものでもなかった。
Wikipediaによると、「鷹泊の地名は、昔この近辺で鷹の姿がよく見られたことに由来する。」とある。この説明だと「鷹」は理解できるが、「泊」の説明が不十分である。
いずれにしても、鷹泊岩というと応援歌の1番の歌詞の「巌(いわお)に泊まる白鷹の」の部分を思い起こされる。
♪浅羽の山の峰かすみ 雨竜の流れ悠々と
巡りて絶えぬあの意気で 巌に泊まる白鷹の
名をこそあげん晴れの場所 ふるえやふるえ我が健児♪
ともかくこの応援歌は運動会の思い出の曲である。


写真は鷹泊岩(平成22年前5月撮影の写真)
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5万分の1鷹泊地図から当時を想う

2012年12月21日 | Weblog


この鷹泊地図を見ていると、昔のいろいろなことが思い浮かび上がってくる。ちょっとマニアックではあるが、学校記号、お寺記号、神社記号、郵便局記号等の地図記号の記載されている箇所を当時の鷹泊を思い出しながら見てみた。地図記号は小学校で習ったが、それ以降は見る機会もなかった。
湿田、荒地、畑記号も付いている。昭和30年当時、荒地と表記されている場所も、手が加えられて水田や畑になっている部分も多い。30年代初めには、稲作のほうが収入になるということで、野原あるいは畑であった土地が田んぼに変わっていった。遊び場だった土地が田んぼに変わったのは、子供にとっては残念だった。
またこの地図には、道路の両側に市街地の家が正確ではないが記載されており、往時の市街地の繁栄を物語っている。
写真は市街部分を拡大した5万分の1地図と現在の中广から上广にかけての田

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50年前に使用した5万分の1地図 鷹泊

2012年12月19日 | Weblog
 写真は5万分の1の鷹泊地図

手元に昭和31年発行の鷹泊5万分の1地図がある。昔、小学校の社会の授業で、クラス全員が購入したものだ。地理調査所(今は国土地理院と改称)発行で、値段金45円と記載されている。
今は国土地理院発行の5万分の1地図は270円なので、物価上昇は6倍にあたる。あの頃創刊された子供向け週刊誌(少年サンデーや少年マガジン)が40円で、半世紀後の今は同様の週刊誌の値段が240円前後で、ちょうど6倍の物価上昇している。当時からの物価上昇のレベルを考えると妥当な値段といえる。
この昔の地図を見ることで当時の鷹泊のことを思い出してみることにした。

写真は鷹泊の東方向の風景
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鷹泊の自然と学校の思い出

2012年12月17日 | Weblog

写真は鷹泊の東方向に見える小さな森

自然があるだけでなく、その自然に育まれる人々の生活があってこそ、その地を離れても思い出の山河として何時までも心に残るものである。今の過疎地の鷹泊は住む人が減り、特に子供は激減してその姿を殆ど見なくなっている。
でもその時代、鷹泊に居を構え過ごした者にとってはかけがえのないふるさとである。
子供の時のあの時あの場所での生活経験、いろいろな冒険その他は、年を重ねるとより鮮明に思い出される。とりわけ多くの時間を過ごした学校での思い出が深く脳裏に焼き付いているのではないだろうか。
校歌
〔三番〕
♪そそり立つ樹は 春秋の 
歴史きざみて 鷹泊 
白銀の おか さゆる星 
のぞむ我等に 理想あり♪


 写真は昔通った鷹泊小中学校(記念誌から転載)
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ふるさと鷹泊の山河

2012年12月15日 | Weblog
鷹泊の山といえば浅羽山だが、記憶に残る山は校歌に歌われた浅羽山だけではない。周囲を山に囲まれた鷹泊。その中で、校歌 ♪雲流れゆく浅羽山♪ や応援歌 ♪♪浅羽の山の嶺かすみ♪♪ の歌詞で名高い浅羽山は仰ぎ見るというか眺める山ではあるが、登るにはさすがに遠すぎるので、見方によってはなじみが薄いともいえる。
逆に、なじみのあるのは、子供の頃スキーをした、お大師山、いのしし山、おにぎり山、焼山、永井山その他の名のない山々がより深く記憶に残っている。
一方、鷹泊の川といえば雨竜川以外には考えられない。訪れた日は水量も豊富なこともあり、あの当時は、よくこんな川で事故もなく泳いでいたものだとあらためて感慨深く思い出す。
校歌 
〔二番〕
♪雨竜の川のせせらぎに 
花ひらく里 豊かなる 
希望は 高く香に におう 
はげむ心に 陽ははゆる♪



写真は橋の南、北を悠々と流れる雨竜川
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校歌から郷里鷹泊の自然を振り返って

2012年12月14日 | Weblog
半世紀前と較べて、人口は大きく減少してしまったが、自然は当時とあまり変わらない。
人それぞれ、当時の思い出に残る郷里鷹泊の自然はあるはずであるが、誰もが皆記憶に残っているのは何だろうかと考えてみるに、郷土の自然を詠み込んでいる校歌を見てみるのは一つの方法である。
ということで、昭和30年代に制定された鷹泊小学校校歌を再度、アップしてみる。
鷹泊小学校校歌 
〔一番〕
♪ 雲流れゆく 浅羽山
  かげろう燃ゆる 黒土や 
  故郷の地に 明けくれを 
  学ぶ 我等に 光 あり♪
やはり、いの一番に来るのは浅羽山か。
この立派な校歌も、鷹泊小学校が閉校になった今は、残念ながら歌われる機会はなくなってしまった。

写真は、橋から堤防北方向を見た風景。遠くに見えるのは浅羽山
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鷹泊は、昔も今も雨竜川を中心とした豊かな田園地帯

2012年12月13日 | Weblog

写真は元の学校前から人家の少なくなった上广から中广方向を望んで。昔は中○鉄工所から学校への曲がり角まで人家が続いていたが、今は空き地で閑散としている。

トラブルで何日か更新できませんでした。
さて、幌加内トンネルへの旅を終えて、鷹泊の元の市街地へ戻ってきた。半世紀前には家々が連なっていた市街地の家が少ないのには驚く。頭の中には、あの当時の人が多かった鷹泊が存在するので、そのギャップに困惑する。
昭和30年代のことをテーマにしているこのブログとして、50年前の鷹泊の市街地の写真がないのは残念であるが、多少なりとも当時に近い20年前の平成4年(1992年)の航空写真を参照しながら、昔の鷹泊を思い起こすことにした。

写真は平成4年の鷹泊の航空写真写真は20年前の平成4年(1992年)の鷹泊の航空写真である。(深川開基100年記念誌から転載)
鷹泊全体を見渡すことが出来るこの写真には竜水の一部を除く鷹泊の大部分が入っている。中央をS字状に流れる雨竜川が、存在感を示している。縦横に走る道路、広範囲に拡がる田畑、森、家並み等々。平成24年の現在とは違って市街地にはまだ家屋が多く、お寺の赤い屋根も見える。上半分はヌップからペンケにかけての田んぼの連なりを示して、豊かな農村鷹泊といった感じである。
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神社の森は、鷹泊のなつかしい思い出の場所

2012年12月05日 | Weblog

鷹泊神社の裏山が見えてきた。幌加内方面から鷹泊に入った場合は、神社の裏山が目印になる。道路の右手には昔、佐○さん、小○さんの家があったことを思い出す。神社の坂のすぐ下が自宅であり、坂でのスキー遊びに絶好の位置にあった(滑り降りたら自宅前)ことが、うらやましかった。
道路標識には鷹泊自然公園への分岐が示されている。
神社の森というフレーズは、運動会の時によく歌った応援歌の2番を思い起こす。

♪神社の森の山桜 咲いて 匂うて うららかに
花吹雪した あの下で 励み鍛えた 我が腕(かいな) 
試すは 今日ぞ この庭ぞ 奮えや奮え 我が友よ♪

昭和30年代途中に鷹泊小学校校歌が出来る前から、歌っていたので、在校中に新しくできた校歌よりも、慣れ親しんでいる。


写真上は北方向から、鷹泊神社裏山を望んで。正面ゆるやかに左折して、市街地。
写真下は鷹泊自然公園方向への分岐を示す道路標識
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