写真上は堤防から川の方へ降りる道。写真には写っていないが、この左下にゴミ捨て場と沼があった。
昭和30年代、中鷹部分の堤防を川の方へ降りたところに沼があり、その周囲はゴミ捨て場であった。空き缶などが大量に投げ捨てられ山のようになっていた。その沼にはフナやウグイが棲んでいて、釣りをしたこともあったが、跡形もなく消滅していた。ゴミもきれいになくなっていた。あのゴミの山はどうなったのだろう。昭和40年代には廃棄物処理法などができたので、全部埋めてしまったのだろうか。
写真の左側に「現場」があった。堤防の右側は上鷹にあたる。右奥に浅羽山が見える。
ゴミに周辺を囲まれたその沼の少し上流側にもうひとつ小さな沼があった。そこは当時「現場」と呼んでいた。砂金掘りの跡だったのかと思っているが、はっきりしない。しかしそれ以外には見当はつかない。雨竜川と昔つながっていたのか、その「現場」では比較的大きなフナやウグイが釣れた。また、それほど深くなかったので、その沼に素足で入り込み、足の感触でカラス貝を採って河原で焼いて食べたりした。 深いところでも1メートルもなかったと思う。まだ残っているか気にはなったが、草が丈高く生い茂っていたので確認しには行かなかった。
この「現場」とは違うが、鷹沼橋より上流部分、ちょうど第二水泳場付近にあった「現場」には魚はおらず、子供達にとっては水遊びに最適の場所であった。
個人的には、犬かき泳ぎではあるが、泳ぎを覚えた場所として「現場」を懐かしく思い出す。