鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊岩と鷹泊の空

2018年08月31日 | Weblog

鷹泊岩の続き。8月の暑い晴れの日の昼間であったが下弦の月が岩の上に懸かっていた。ちょうどその時一羽の鳥が飛んできた。「鷹泊岩と鷹と下弦の月」。これぞ神の御加護か、あまりにもできすぎではあるが、「このタイミングでの出現は鷹に違いない。千載一遇のチャンス」とばかりシャッターを押したが、写真では被写体が遠すぎたのか鳥は写っていなかった。鳥もあっという間に遠ざかり、種類は確認できず残念であった。

下弦の月とは別話であるが、今年は7月から9月まで火星が大接近と報じられている。赤い星が南の空にはっきりと見えるとのこと。

子どもの時の夏休み、特に七夕の時に空を見上げ、天の川や織り姫星や彦星を捜した鷹泊の夜空を思い出す。どこで見ても天体はそう変わるものではないが、照明の少なかった時代の星空ということもあってか、昭和30年代の鷹泊での星空は沢山の星がくっきりと見えたように思う。あの時のように鷹泊の空で、星を見てみたい気分にかられた。

写真は左下に鷹泊岩。右上には、見づらいが下弦の月がかかっている。鳥は見えない。

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多度志を後にして、いざ鷹泊へ

2018年08月29日 | Weblog

多度志を後にして国道275号線を進む。国道の周りは水田とソバ畑である。宇摩、幌成を通過して、ほどなく鷹泊の風景が目に入ってきた。

切替橋の標識あたりの雨竜川対岸に、鷹泊岩がある。以前は鷹泊岩を見つけづらかったが、数年前に鷹泊岩の看板が設置されたので、わかりやすくなっている。

この日は雨竜川の水量が少なめのようで、鷹泊岩付近の川面にはさざ波が立っていた。この日の水深は50cm位でないだろうか。ならば歩いて渡れる深さだろうなとか想像したりして、雨竜川で遊んだ子供時代を懐かしんだ。

写真の中央にある鷹泊岩とその周囲。

 

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元の多度志中学校跡はどうなったのか探索

2018年08月27日 | Weblog

今回も立ち寄った元の多度志中学校跡。閉校後4年であるがグラウンド跡は枯れ草が目立つ荒れ野に化しつつあった。バックネットがまだ残っていることが更にむなしさをつのらせる。数年であっという間に自然に帰るその有様を見せてくれた。

深川市HPには、『地域振興及び新たな雇用につながる活用をいただける場合には土地・建物ともに無償で譲渡を予定しております』とあり、跡地利用の施設活用者を捜しているようだ。学校の跡地利用ではアルテピアッツア美唄 が有名であるが、幌成小学校の跡地での郷土資料館や鷹泊小学校の跡地でのリフレッシュプラザ鷹泊も跡地利用例である。校舎は昭和46年(1971年)竣工とのことで築50年近い建造物ではあるが、跡地利用者が現れることを祈る。

8年前にここを訪れた時は5月で桜がきれいだったことを覚えている。その時も今回と同じような記事を書いているが、その後数年で閉校になるとは想像すらできなかった。

写真は旧多度志中学校校舎(上)とそのグラウンド跡(下)。

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多度志小学校を見るといつも思うこと

2018年08月24日 | Weblog

途中、国道275号線沿いにある多度志小学校は、鷹泊に向かう時に必ず目に入ってしまう。

母校の鷹泊小学校は、児童数の減少で平成9年に閉校になっている。多度志小学校が鷹泊小学校や幌成小学校と一緒になり、平成9年統合開校した時の多度志小学校の在籍児童数は86名だったが、21年経って平成30年度の在籍児童数は6学年合わせて10名とのこと。立派な校舎であるが、あまりに児童数が少ない。現在、鷹泊から通学している子はいるのだろうか。これから先はどうなるのだろうか。

写真は多度志小学校。夏休み期間だったこともあり、人影はなかった。

 

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過疎が進行する多度志地区  3年前の国勢調査での人口統計

2018年08月22日 | Weblog

鷹泊の住所は、その昔は雨竜郡多度志村鷹泊であり、役場は多度志にあった。昭和37年(1962年)に町制施行で多度志町となり、昭和45年深川市に編入されている。

3年前(2015年)の国勢調査によると、多度志地区の総人口は782人で、その5年前(2010年)の国勢調査の時の総人口910人よりも更に14%減っている。

昭和40年(1965年)の国勢調査時は5029人なので、その時の総人口の15.5%にまで落ち込んでいる。

高齢者よりも子供の数の減少が著しいので、小学校、中学校の生徒数は激減している。多度志小学校は残っているが、多度志中学校はもうなくなっている。

写真は多度志小学校の正面から。

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人口減の多度志にもコンビニは存在

2018年08月19日 | Weblog

深川から多度志までは国道281号線、多度志で沼田方面からの国道275号線と交差する。この十時道路交差点からは国道275号線を走り鷹泊へ向かう。ここにコンビニが1軒あった。

セイコーマートは多度志で唯一のコンビニと思われる。スーパーやコンビニが1軒もなく困っている地域も増えている中でのこの店の存在は、この人口規模の多度志にとっては有り難いのではと思う。 今年2月に放送されたNHKのテレビ番組『クローズアップ現代+』 -コンビニ飽和時代!? 激化するサービス競争- で過疎地で勝負するセイコーマートというのが放送されていたが、過疎地の多度志もセイコーマートのそんな理由で恩恵を受けているのかなと思った。

写真は多度志にある十時道路交差点付近のコンビニ

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鷹泊への旅 パート6

2018年08月16日 | Weblog

今年は北海道150年。明治2年に北海道と名付けられてから150年の節目の年にあたる。2年前は鷹泊入植120年にあたる年であった。10年20年はあっという間で、月日の経つのはとても速い。平成30年(2018年)の今であるが、このブログテーマの昭和30年代(1955年-1964年)からは半世紀以上経過したことになり、『昭和30年代の鷹泊』はますます遠のいていくのを痛感する。

都市部への人口流出と農業後継者不足、少子高齢化で限界集落化しつつある鷹泊。

しかしその子供時代を過ごした鷹泊は、思い出すことの多いなつかしいふる里である。今回も深川まで来る機会があったので、足をのばして鷹泊を訪れてみることにした。

 

写真はJR深川駅の正面。深名線が唯一の交通手段だった時代には幾度となく利用した駅舎だ。今はこじんまりした建物であるが、昔の駅舎はもっと大きかった。高齢化社会で跨線橋の階段の上り下りが大変になったこともあり、今年1月にエレベーターが設置されたと聞く。しかし深名線はとうの昔に廃線になっている。昔は4番線、たまに5番線が深名線の発着ホームであった。

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今も気になるふるさと鷹泊

2018年08月14日 | Weblog

今年の夏は異常気象の連続で全国的な豪雨、猛暑を伝えるニュースが連日報道されている。

7月2日から3日にかけての北空知地方の豪雨のニュースもあった。

そのニュースでは、『記録的な大雨。雨竜川で氾濫が発生。』とあり、鷹泊の隣にある幌成橋が写っていた。しかし今回は雨竜川下流が氾濫したようで上流にある鷹泊は被害がなかったようだ。

暑い夏にげんなりしている大人と違い子供達は昔も今も夏の暑さを楽しんでいるように思える。

今はお盆であるが、私にとって、子供時代を過ごした鷹泊の夏は楽しい脳裏に刻まれている。

写真は国土交通省ホームページから

コメント (2)
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