鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊への道すがら多度志を散策

2023年11月27日 | Weblog

国道281号線で鷹泊へ向かう途中、多度志の街を回ってみた。素通りはできない。

昭和30年の時点で、ふるさと鷹泊の住所は、北海道雨竜郡多度志村字鷹泊であった。多度志には村役場もあった。それなりの人口(鷹泊ふるさと会のデータで昭和29年は280戸、1460人)もあった鷹泊からの村会議員(後に多度志町になったので、町会議員)

は富岡勝司、松田米蔵、上主初氏を記憶している。皆さん鷹泊小学校PTA会長をされた方々だ。

昭和の時代に多度志小学校があったあたりは普通の住宅地になっており、学校があった痕跡はない。

道路を挟んで多度志神社があった。鷹泊の神社や幌成の神社みたいに高い階段の上にあるわけでもなく、高齢化社会には適した平地にある。

写真は多度志神社


令和5年鷹泊への旅の開始

2023年11月21日 | Weblog

右が鷹泊方向、左の道路が留萌方向。

国道281号線を通って鷹泊を目指した。まずは多度志方向と国道233号線留萌方向との分岐点。

留萌の思い出。昭和30年代の鷹泊では海へ行くことはほとんどなかった。

昭和34年だったか、鷹泊発の海水浴列車で留萌の黄金海岸海水浴場へ行った記憶が残っている。国鉄職員の福利厚生のためだったのかな。ウチは国鉄とは関係なかったけれど便乗して初めての海水浴を楽しんだ。

深川駅で方向転換して、留萌まで行った。蒸気機関車だったのかディーゼルカーだったのかは覚えていない。その留萌本線も廃止が決まった。今年3月31日に石狩沼田-留萌間深が廃止になり、2026年4月1日に深川-石狩沼田間が廃止とのこと。深名線廃止を体験したものとして、寂しいことではあるが、結局は車社会で乗客減でやむを得ない決断だと思う。


令和5年初雪のたより

2023年11月13日 | Weblog

11月11日から12日にかけて北海道のあちこちで初雪の便りが聞かれました。

幌加内35cm、深川8cm、朱鞠内58cmとありました。気象庁の気象データ発表地域ではないので鷹泊のデータはありませんが、幌加内に近い量かと推測します。

1週間前に鷹泊を訪れたので、際どく雪を回避したことになります。

9月30日の-『鷹泊ふるさと会』50年の歩みを顧みる集い- 参加最高齢者は吉田耕治先生88歳でしたが、お元気でした。20歳になったばかりの時に鷹泊小学校に赴任し、子どもたちと一緒になってさっそうと山でスキーを滑っていたすがたが思い出されます。

鷹泊出身者が集まる、もうこのような会合はないと思うと感慨深いものがありました。

最後の挨拶で、シンプルではあるものの、これからも元気で頑張ろうという言葉が的を得て印象的でした。


令和5年のふるさと鷹泊

2023年11月09日 | Weblog

去る9月30日、『鷹泊ふるさと会』50年の歩みを顧みる集い がニューオータニ イン札幌で開催されました。

『鷹泊ふるさと会』は令和元年長い歴史の幕をおろしていますが、前 鷹泊ふるさと会会長の馬場泰年さんが音頭を取って、鷹泊を愛する面々が今一度一堂に会する機会を設けてくださったものでした。

その会に参加して、皆さんの鷹泊の思い出話をいろいろ聞いてみると、鷹泊の今をもう一度見たくなりました。

3年前にこのブログの最後を書いたつもりでしたが、11月に鷹泊へでかけ、『気まぐれブログ』を1週間に一度程度で書いてみることにしました。

まずは、11月4日の鷹泊岩付近から見た雨竜川と浅場山の写真から。