山梨県早川のシカの食性 – 過疎化した山村での事例
高槻成紀・大西信正
要 約:過疎化が著しく、シカが高密度になって植生が乏しい状態にある山梨県早川のシカの食性を糞分析により明らかにした。いずれの季節でも繊維・稈などの支持組織が多く、緑葉は少なかった。春には繊維が45.0%、稈・鞘が17.7%と多く、緑葉は10.2%に過ぎなかった。夏も繊維(54.6%)と稈・鞘(14.2%)が多かったが、双子葉植物が13.5%に増えた。秋は変化があり、緑葉が35.5%と年間で最も多くなった。これはシカが新しい落葉を食べたものと推定した。冬の食性は最も劣悪で、繊維が82.5%と大半を占め、緑葉は微量しか検出されなかった。早川のシカの食性は他の場所と比較しても劣悪であった。シカの食性とシカの管理、特に過疎化との関連に言及した。
キーワード:過疎、過密度、シカ管理、貧栄養、糞分析、
はじめに
過去40年ほどで日本各地でシカが増加し、初期は農林業被害として問題視されたが、1990年頃からは自然植生への影響も問題となってきた(Takatsuki 2009)。植生へのシカの影響はシカ侵入の初期には目立たないが、シカが好む常緑樹やササなどに冬に食痕が目立つようになり、採食圧が強くなるとシカに食べられた植物が盆栽状に変形し、一部の植物が減少し、不嗜好植物が目立つようになるといった変化が見られる(大橋ほか 2007; Takatsuki 2009, 大津ほか 2011)。
シカ増加に伴う農林業や自然植生への影響の問題は日本の農山村の過疎化・高齢化と不可分な関係にある。過去半世紀に急速に起きた農山村で進んだ過疎化・高齢化は野生動物に対する抑止力を弱め、その増加・拡大が進んだ(中島 2007)。その結果、植生への影響が強くなり、全国的な調査により、太平洋側では土砂崩れを伴うほどの強い影響がある場所も少なくないことがわかった(植生学会企画委員会 2011)。
植生がシカによって強い影響を受けた例として、神奈川県丹沢の場合はシカの影響が1970年代から報告されてきたが、2000年以降は影響が非常に強くなった(田村 2007, 2013)。落葉樹林の林床が貧弱になり、シカの食物は夏でも緑葉をあまり含まないことがわかった(高槻・梶谷 2019)。
一方、農山村の過疎化とも関連するが、シカとは独立の森林の変化が重要な意味を持つ場合もある。鳥取県東部の場合は、スギ人工林が卓越するためにシカの食物が乏しい。そのためシカが侵入した場合、植物への影響が強くなり、林床が非常に貧弱になっている(川嶋・永松 2016)。ここでも夏であるにも関わらず、シカの食性に占める緑葉が少なかった(Takatsuki and Nagamatsu, unpubl.)。
このように、シカが生息する場所で起きている現象は植生変化を把握すると同時に、シカの食性を把握することでより正確に把握できる。しかし、これまでのところ、島でシカが高密度である場所を除けば、シカの影響の強い場所での食性分析例はこの2つしか知られていない。しかし、シカの影響により植生が貧弱になった場所は拡大しており(植生学会企画委員会 2011)、そのような場所での分析事例がさらに必要となっている。
南アルプス一帯は過去20年ほどでシカが増加し、その生息域は高山帯に達して植生への影響も強くなっている(中部森林管理局 2006, 2008, 渡邉ほか 2012)。当然山地帯でのシカの影響も強く、山梨県南西部もその範囲にある(長池ほか 2016)。早川町はその南西部にあり、農山村の過疎化という点では代表的な町である。1960年代には1万人を超えた人口はその後減少し、1980年代には3000人、現在は1000人と最大時の10分の1になった(早川町ホームページ)。そして2000年以降シカが増加し、2010年からは森林植生の貧弱化が著しい。そこで本調査では早川町でシカの食性を糞分析によって分析することを目的とした。
調 査 地 と 方 法
シカの糞を採集したのは山梨県南西部の早川町南部にある「シッコ山」(35°28’, 138°22’、標高700-800m)である。早川町は北部・西部を南アルプス(赤石山脈)、東部を櫛形山系、南部を身延山地に囲まれた山間地域で、全体に地形が急峻で町の面積の約96%は山林である。
図1 早川のシカ糞採集地シッコ山の地図
筆者らはシッコ山を含む早川町の森林において2010年前後から急速にシカの影響を受けて貧弱になるのを観察した。本調査でシカの糞を採集したシッコ山の林でははっきりした「ディア・ライン」がみられ、シカの影響が強いことを示している(図2)。
図2 糞採集地の景観。林床にはほとんど植物がなく、ディア・ラインがはっきりわかる。2019年8月
2)糞分析
シカの糞の採取に際しては1回分の排泄と判断される糞塊から10粒を採集して1サンプルとし、10サンプルを集めた。糞は2019年の5月、8月、11月、2020年2月に採集した。糞は0.5mm間隔のフルイ上で水洗し、残った植物片を光学顕微鏡でポイント枠法(Chamrad and Box 1964, Stewart 1967)で分析した。格子間隔が1mmのスライドグラスに植物片を広げ、ポイント数は200以上とし、百分率組成を求めた。
糞中の成分は次の14群とした。
ササの葉、イネ科の葉、スゲの葉、単子葉植物の葉、双子葉植物の葉、常緑広葉樹の葉、枯葉、その他の葉、果実・種子、その他、繊維、稈、不明
枯葉は黒褐色の不透明な葉脈となった落葉樹の葉であり、緑葉は葉肉部もあり、葉脈は半透明であるから区別ができた。中間的なものもあったが、違いが不明瞭なものは緑葉にした。占有率が1回でも5%以上になった食物群を「主要食物」とし、隣り合う季節間の占有率を比較した。考察において本調査地の糞組成を比較した。既往論文のデータから、緑葉(グラミノイド、双子葉植物、シダ)の合計値を算出して比較した。
結 果
春(5月)
糞の組成では木質繊維が45.0%とほぼ半量を占めていた(図3)。また稈(イネ科の茎)が17.7%と多かった。これに対して緑葉はイネ科、単子葉植物、双子葉植物がいずれも3%あまりと微量であり、ササは全く検出されなかった。
図3 早川のシカ糞組成
夏(8月)
夏になっても糞中の繊維が春よりもさらに増えて55.4%と過半量となったが、有意差はなかった。葉はさほど増えなかったが、双子葉植物は14.1%と大きく増加した。
秋(11月)
秋になると糞組成がかなり変化した。春と夏に半量ほどを占めていた繊維が15.8%に減少した。その代わりに稈が夏には10%台であったが、33.6%にほぼ倍増した。つまり支持器官が減少した。そして増えたのは双子葉(夏の13.5%から18.8%、ただし有意差なし)で、イネ科や、常緑広葉樹のはもやや増えたが、主要食物には該当しなかった。
冬(2月)
冬になると大きな変化があった。最大の違いは繊維が秋の15.2%から実に82.7%と大きく増加したことである。その分減ったのは葉で、秋には双子葉、単子葉などを合わせて36.0%あったが、冬にはいずれも減少し、合計しても2.5%と、ほとんど葉がない状況であった。稈も36.6%から3.1%に減少した。
考 察
図4a シカ生息地5カ所でのシカの糞に占める緑葉の割合の季節変化
図3b シカ生息地5カ所でのシカの糞に占める繊維の割合の季節変化
引用文献 こちら
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