高木陽介「奔馳不息(ほんちふそく)」

衆議院議員 高木陽介のブログ

よみがえる札幌五輪の記憶

2010-02-23 17:05:16 | 活動徒然
「あなたはいつの五輪から覚えていますか」。
4年に1度の五輪だからこそ、思い出は世代によって異なる。

私は東京五輪からが記憶に残っている。
当時まだ5歳だった。
貧しかったわが家にテレビがやってきたのは、忘れがたい思い出だ。
マラソンで日本の円谷が英国・ヒートリーに抜かれ、3位になった場面は子どもながらに悔しかった。

 一方、冬季五輪の思い出を聞けば、「札幌」派と「長野」派に分かれるのではないか。
私と同年代(ちなみに50歳になってしまった)以上の方は「札幌」派が多い気がする。

「長野」も捨てがたいが、やはり印象深いのは「札幌」だ。

日本で初めての冬季五輪の札幌大会が開かれたのは38年前の1972年。
実は1940年に開催予定だった東京五輪とともに、冬季大会も同じ年に、札幌で開く予定だった。
しかし日中戦争の激化を受け、日本政府は東京、札幌ともに開催を返上した。

「幻の札幌五輪」から32年後、アジア初の冬季五輪となった「札幌」は、何といっても「日の丸飛行隊」のジャンプ陣が圧巻だった。

70メートル級ジャンプ(現在のノーマルヒル)で笠谷、金野、青地の日本勢が金・銀・銅のメダルを独占。
「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ!」「飛んだ!決まったー!!」。
NHKのアナウンサーの叫びは耳に残っている。

この時が日本にとって冬季五輪で初の金メダルだ。
その後、アルベールビル(92年)、リレハンメル(94年)のノルディック複合団体の連覇。
長野(98年)ではジャンプ団体など5個の金メダル。
前回のトリノではフィギュアの荒川静香と、これまでの冬季の金メダルは合計9個。

さて今回のバンクーバー五輪。
日本のメダルはこれまで(23日現在)、銀1個に銅2個。

選手たちは、4年に1度の大会を目指し、厳しい練習を積み重ねて挑戦するが、〝世界一〟という称号はそう簡単ではない。
しかし、金メダルに届かなくても、その過程のドラマに多くの人が感動するのが五輪だ。

「4年に1度」でいえば、私たち衆議院議員の任期も同じだ。
4年に1度の選挙(解散で短くなることも多いが)という舞台も、その間に何をしたのかということが問われてくる。
単なるパフォーマンスだけではメダルは獲得できない。
政治も同じことがいえる。

政界の品格は風前の灯

2010-02-15 16:26:41 | 活動徒然
 朝青龍が引退した。
 引退会見の直後、民主党・小沢幹事長が不起訴になった。
翌日の朝刊。「毎日」「産経」は朝青龍が一面トップ。一方、小沢氏不起訴がトップは「朝日」「読売」だった。
 さて、読者はどちらに興味をもっただろうか。
 初場所中に泥酔、暴行問題を起こし、引退に追い込まれた朝青龍。これまでも巡業をけがで休みながら、モンゴルでサッカーをして2場所の出場停止の処分を受けたのをはじめ、奔放な振る舞いでトラブル・メーカーとして注目された。
 一方で、大鵬、千代の富士に次ぐ25回の優勝に加え、平成16年九州場所から史上1位の7連覇を記録するなど、土俵上の強さは、まさに平成の「大横綱」に値する。
 しかし、引退後の報道は「品格」という字が踊っていた。横綱の品格とは何か。引退勧告した横綱審議委員会の鶴田卓彦委員長は「横綱の地位は(中略)国民に広く敬愛されている栄光である。土俵上で心・技・体で最高位であることはもとより、土俵外にあっても国民の尊敬と期待に背くようなことがあってはならない」との談話を発表している。
 「相撲道とは人が一人の人間を作る作業」。32回優勝した大鵬の納谷幸喜さんの言葉だ。さらに、69連勝の双葉山は昭和14年1月15日、安藝ノ海に敗れ、その連勝がストップした時、「未だ木鶏たり得ず」と電報を打った。木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった自分をいましめて、精進を誓った言葉といわれている。
 翻って政界はどうか。横綱に求められている「品格」は、選良たる国会議員にも求められている。
 「選挙に強い」といわれる剛腕幹事長の小沢氏。元秘書の代議士をはじめ3人が起訴された。小沢氏本人が不起訴になったとはいえ、自らが代表を務める資金管理団体を舞台とした事件だ。
 「秘書がやったことで私は知らない」とする小沢氏だが、不動産購入の原資について、最初は「献金」、次に「融資」、最後は「自己資金」と発言が二転三転。また、4億円もの資金を動かすのに本当に秘書だけでやって知らなかったのか。国民の疑問は「幹事長辞めるべき」との世論調査の結果が端的に表している。
 一方は「引退」というケジメをつけて「品格」を守ったが、政界の「品格」は風前の灯になっている。