高木陽介「奔馳不息(ほんちふそく)」

衆議院議員 高木陽介のブログ

責任ある行動と篤姫

2008-11-25 22:37:34 | 活動徒然
 「あっ篤姫だ」
 テレビのCMで宮凬あおいさんが出ていると、思わず口走ってしまう。NHKの大河ドラマ「篤姫」にはまっている読者は多いと思う。私もその一人だ。
 「何がいいの?」と問われても、うまい答えは見つからない。これまでの「篤姫」の平均視聴率は24・13%(16日放送分まで)。つまり4人に1人は見ていることになる。
 大河ドラマというと、先日亡くなった緒形拳さんが主演した「太閤記」(65年)を思い出す。まだ小学生になる前だった。親が見ていたので、一緒になって見ていた。中学の頃は、大河ドラマの原作本を読むのが楽しかった。72年「新平家物語」(吉川英治)、73年「国盗り物語」(司馬遼太郎)74年「勝海舟」(子母沢寛)。それがきっかけとなって、歴史小説が好きになった。
 不思議なことに子どもの時の記憶は、40代後半になった今も鮮明に覚えている。当時の大河ドラマのセリフを再現してみせると、妻が「よく覚えているのね」と感心してくれるが、その一方で、「何か役に立つことある」と厳しい一言。
 だが、社会に出てからは大河ドラマはおろか、テレビのドラマを見る機会がめっきり減ってしまっていた。ところがだ、今年の「篤姫」は違った。日曜の8時に自宅に戻れない時は録画をして見ている。冒頭にも書いたが、何がいいのかよく分からないが、ついつい見続けてしまっている。
 その「篤姫」も残すところあと3回。幕末のクライマックスの江戸無血開城に向けてドラマは進行している。
 NHKの「篤姫」公式ホームページには企画意図がつづられている。「個人個人が責任ある行動を取ることの重要さは、今も昔も変わりはありません。(中略)篤姫、後の天璋院は、幕末にあって、まさに責任ある行動をとった人物です。(中略)自分の立場、責任を自覚した篤姫の行動が、江戸無血開城に大きな役割を果たしたのです」
 今の日本も、時がたって振り返ってみると、大変な激動の時代だったと言われるかもしれない。そのような時に、政治に関わる身としては「責任ある行動」をとっていかなければならないと痛感している。
 封建的な時代でも一女性として「立場」「責任」を自覚した篤姫の行動が、多くの視聴者を引きつけた。このところ、麻生首相の言動、一挙手一投足にマスコミは厳しい批判が集中している。
 ここは篤姫ではないが、日本の舵取りを担った麻生首相は踏ん張りどころだ。首相としての「立場」「責任」が注目されている。

シビリアン・コントロールと表現の自由

2008-11-11 23:39:01 | 活動徒然
 航空自衛隊のトップが更迭された。「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」などと主張する論文を発表した多母神俊雄・航空幕僚長。参院外交防衛委員会では前空幕長の参考人質疑が本日(11日)行われる。
 問題となった論文を改めて読んでみた。日中戦争について、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」と主張。さらに「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と展開している。
 どこかの右よりの論壇に登場しそうな論調だ。日中戦争全体をみて日本は果たして被害者なのか。また欧米列強と比較して侵略かそうでないかなのでなく、被害を受けたアジア諸国がどう感じているかだ。植民地支配された側が「侵略されていない」というなら分かるが、支配した側が「あれは侵略ではない」というのはいかがなものか。
 読売新聞の社説(2日)は「事実誤認や歴史家の多くが採用していない見方が目立っており、粗雑な内容」と指摘している。
 更迭後、前空幕長は記者会見で「政府見解に一言も反論できないなら北朝鮮と同じだ」と言ったという。
 わが国は憲法で、思想・良心の自由と言論・表現の自由を保障している。どのような歴史認識を持つのかはもちろん自由である。
さらに、憲法は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と文民統制、いわゆるシビリアン・コントロールを規定している。
 この「文民統制」は政軍関係において「政治」が「軍事」に優先する考えだ。つまり、主権者たる国民が選んだ代表を通じて自衛隊をコントロールすることにほかならない。
 武装実力組織の首脳が、「今の政府の考え方が間違っている」と主張し、その部隊が呼応したらどうなるか。今から72年前、陸軍の青年将校らが起こした2・26事件。時の政治を変えようとクーデターを起こした。軍事組織がある思想を体現しようとして、政治と衝突したのが2・26事件でもある。
 集団的自衛権の行使や武器使用の制約についても論文では問題提起している。しかし、それを決めるのは主権者たる国民であり、その国民に選ばれた国会及び政府である。
 誤解を恐れずに言えば、軍人は思想を持っても、公に語ってはいけないと思う。もし、その思想を語りたければ、軍人を辞めて、一国民として堂々と論争すればよい。
 「文民統制」だからこそ政治の側も、国の安全保障を担っていることを強く自覚していかなければならない。